☆ 友人(教授)のプレゼンテーション
次の日の午前11時頃と聞いていた友人の発表は、一人ひとりが
持ち時間が延びているためか、なかなか始まらず、少し落ち着かず
イライラしているように見受けられました。
結局始まったのは午後2時でした。彼女は老人問題を取り上げ
ましたが、その内容は心理療法の一つである箱庭療法でしたが
画像を適度に取り入れ、英語で解説する様子は、自信に満ち溢れて
いました。その後中国のグループのプレゼンター達が、続けて何人か
発表しましたが、緊張のためか英語の長い文章が発音できず、傍の
人にサポートしてもらっている大学の学者もいて、「こんな人も
いるのだ」と、わたしはホッとした気分になりました。
中にはアクション入りもあり、なかなかバラエテ-に富んでいま
したが、各国の人々が午前から昼の休憩も取らず、夕方までそれぞれ
いろいろな発表をしていました。
わたしはわからないながら、あくび一つ出さず聞いたり観察したり
一生懸命でした。これが来年のわたしの夢に繋がるのですから------
比較的あきっぽいわたしですが、その集中度はかなりのもので
我ながら感心し、すべてがいつもこうなら良いのにと思いました。
☆ ナターシャは日本びいき
わたし達二人は閉会前に会場を出て、ナターシャと街を散歩しながら
ホテルに帰ることにしました。彼女はロシア人ですがある語学の大学で
日本語と、英語と中国語を教えている先生でした。
学会の要請でわたし達三人の日本人を、サポートすることになっていた
ようで、二人の教授達が発表するときにもいつも傍にいて、言葉の分からない
部分を係りの人に通訳し、またすべてきめ細かく配慮してくれたそうです。
歩きながら建物の歴史や、モニュメントの説明などを受けたりしました。
ナターシャは日本が大好きで、エカテリンブルクには「日本交流センター」
があり、そこにはウラル茶道クラブもあり、日本から先生がときどき来て
指導してくれると聞き驚きました。
また道元を読み、漢字が美しいと言うナターシャ、そして折り紙もできる
そうで、日本の伝統的な文化について知識も多くわたし達日本人より、よっぽど
日本的な感じでした。
後で記念にと着物を着た写真をくれましたが、それがとてもよく似合って
いました。そしてはじめはたどたどしかった言葉が、わたし達としばらく
話したためでしょうか、かなり流暢になってきたのは感心しました。
三ヶ国語を教える彼女は、やはり語学の才に秀でているのでしょう。
ホテルのわたしの部屋は広くてシックで、同じ料金なのにと、友人
が驚いたくらいも素敵でしたので、外で食べるよりわたしの部屋で
ナターシャのお礼と、友人のプレゼンテーション成功のパーティ
を開こうと、地元のナターシャナの案内で、いろいろな食品や飲み物を
買って帰りました。それから女性三人で、閉ざされていたロシアの
事や、日本の現在の状態などについて、情報交換を交えながら
楽しく過ごしました。でもエカテリンブルクで、こんなに日本びいき
のロシアの女性がいるなんてと、わたし達はナターシャに会えた
ことを感謝しました。
能里子
次の日の午前11時頃と聞いていた友人の発表は、一人ひとりが
持ち時間が延びているためか、なかなか始まらず、少し落ち着かず
イライラしているように見受けられました。
結局始まったのは午後2時でした。彼女は老人問題を取り上げ
ましたが、その内容は心理療法の一つである箱庭療法でしたが
画像を適度に取り入れ、英語で解説する様子は、自信に満ち溢れて
いました。その後中国のグループのプレゼンター達が、続けて何人か
発表しましたが、緊張のためか英語の長い文章が発音できず、傍の
人にサポートしてもらっている大学の学者もいて、「こんな人も
いるのだ」と、わたしはホッとした気分になりました。
中にはアクション入りもあり、なかなかバラエテ-に富んでいま
したが、各国の人々が午前から昼の休憩も取らず、夕方までそれぞれ
いろいろな発表をしていました。
わたしはわからないながら、あくび一つ出さず聞いたり観察したり
一生懸命でした。これが来年のわたしの夢に繋がるのですから------
比較的あきっぽいわたしですが、その集中度はかなりのもので
我ながら感心し、すべてがいつもこうなら良いのにと思いました。
☆ ナターシャは日本びいき
わたし達二人は閉会前に会場を出て、ナターシャと街を散歩しながら
ホテルに帰ることにしました。彼女はロシア人ですがある語学の大学で
日本語と、英語と中国語を教えている先生でした。
学会の要請でわたし達三人の日本人を、サポートすることになっていた
ようで、二人の教授達が発表するときにもいつも傍にいて、言葉の分からない
部分を係りの人に通訳し、またすべてきめ細かく配慮してくれたそうです。
歩きながら建物の歴史や、モニュメントの説明などを受けたりしました。
ナターシャは日本が大好きで、エカテリンブルクには「日本交流センター」
があり、そこにはウラル茶道クラブもあり、日本から先生がときどき来て
指導してくれると聞き驚きました。
また道元を読み、漢字が美しいと言うナターシャ、そして折り紙もできる
そうで、日本の伝統的な文化について知識も多くわたし達日本人より、よっぽど
日本的な感じでした。
後で記念にと着物を着た写真をくれましたが、それがとてもよく似合って
いました。そしてはじめはたどたどしかった言葉が、わたし達としばらく
話したためでしょうか、かなり流暢になってきたのは感心しました。
三ヶ国語を教える彼女は、やはり語学の才に秀でているのでしょう。
ホテルのわたしの部屋は広くてシックで、同じ料金なのにと、友人
が驚いたくらいも素敵でしたので、外で食べるよりわたしの部屋で
ナターシャのお礼と、友人のプレゼンテーション成功のパーティ
を開こうと、地元のナターシャナの案内で、いろいろな食品や飲み物を
買って帰りました。それから女性三人で、閉ざされていたロシアの
事や、日本の現在の状態などについて、情報交換を交えながら
楽しく過ごしました。でもエカテリンブルクで、こんなに日本びいき
のロシアの女性がいるなんてと、わたし達はナターシャに会えた
ことを感謝しました。
能里子