ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

ロシアにて 五回

2007年05月29日 | Weblog
☆ 友人(教授)のプレゼンテーション
 次の日の午前11時頃と聞いていた友人の発表は、一人ひとりが
持ち時間が延びているためか、なかなか始まらず、少し落ち着かず
イライラしているように見受けられました。
 結局始まったのは午後2時でした。彼女は老人問題を取り上げ
ましたが、その内容は心理療法の一つである箱庭療法でしたが
画像を適度に取り入れ、英語で解説する様子は、自信に満ち溢れて
いました。その後中国のグループのプレゼンター達が、続けて何人か
発表しましたが、緊張のためか英語の長い文章が発音できず、傍の
人にサポートしてもらっている大学の学者もいて、「こんな人も
いるのだ」と、わたしはホッとした気分になりました。
 中にはアクション入りもあり、なかなかバラエテ-に富んでいま
したが、各国の人々が午前から昼の休憩も取らず、夕方までそれぞれ
いろいろな発表をしていました。
 わたしはわからないながら、あくび一つ出さず聞いたり観察したり
一生懸命でした。これが来年のわたしの夢に繋がるのですから------
 比較的あきっぽいわたしですが、その集中度はかなりのもので
我ながら感心し、すべてがいつもこうなら良いのにと思いました。
    ☆ ナターシャは日本びいき
 わたし達二人は閉会前に会場を出て、ナターシャと街を散歩しながら
ホテルに帰ることにしました。彼女はロシア人ですがある語学の大学で
日本語と、英語と中国語を教えている先生でした。
 学会の要請でわたし達三人の日本人を、サポートすることになっていた
ようで、二人の教授達が発表するときにもいつも傍にいて、言葉の分からない
部分を係りの人に通訳し、またすべてきめ細かく配慮してくれたそうです。
 歩きながら建物の歴史や、モニュメントの説明などを受けたりしました。
ナターシャは日本が大好きで、エカテリンブルクには「日本交流センター」
があり、そこにはウラル茶道クラブもあり、日本から先生がときどき来て
指導してくれると聞き驚きました。
 また道元を読み、漢字が美しいと言うナターシャ、そして折り紙もできる
そうで、日本の伝統的な文化について知識も多くわたし達日本人より、よっぽど
日本的な感じでした。
 後で記念にと着物を着た写真をくれましたが、それがとてもよく似合って
いました。そしてはじめはたどたどしかった言葉が、わたし達としばらく
話したためでしょうか、かなり流暢になってきたのは感心しました。
 三ヶ国語を教える彼女は、やはり語学の才に秀でているのでしょう。
ホテルのわたしの部屋は広くてシックで、同じ料金なのにと、友人
が驚いたくらいも素敵でしたので、外で食べるよりわたしの部屋で
ナターシャのお礼と、友人のプレゼンテーション成功のパーティ
を開こうと、地元のナターシャナの案内で、いろいろな食品や飲み物を
買って帰りました。それから女性三人で、閉ざされていたロシアの
事や、日本の現在の状態などについて、情報交換を交えながら
楽しく過ごしました。でもエカテリンブルクで、こんなに日本びいき
のロシアの女性がいるなんてと、わたし達はナターシャに会えた
ことを感謝しました。
                          能里子

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