2016年7月23日(土) マチネ 世田谷パブリックシアター 1階 N列 センターブロック
マックス=佐々木蔵之介、ホルスト=北村有起哉、ルディ=中島歩、グレダ=新納慎也、ウルフ=小柳友、収容所の大尉他=石井英明、親衛隊の中尉他=三輪学、士官他=駒井健介、フレディ=藤木孝。
作=マーティン・シャーマン、翻訳=徐賀世子、演出=森新太郎、美術=伊藤雅子、照明=原田保、他。
ドイツ、ベルリン。第2次世界大戦が始まろうとしているきな臭い雰囲気が漂っている。
マックスは、ベルリンのアパートに恋人のダンサー・ルディと一緒に住み、定職に就くでもなく日々何とか小遣い稼ぎをして生きている。彼は毎日がとりあえず面白おかしく過ぎて行けば、それでいいのだ。
毎夜女装のママ・グレタが経営し、ルディがアルバイトしているクラブに入りアパートに持ち帰っている。ルディもあきれながらもマックスとの生活を続けていた。
しかしそんな享楽的な生活はある日突然くずれ去る。
ナチスの徹底したホモセクシャル狩りで、マックスとその恋人のルディはとうとう捕えられ、強制収容所送りとなってしまう。
極限状態の中で、彼は胸に同性愛者が強要されたピンクの星をつけたホルストという男と出会う。ホルストはホモセクシャルであるという理由で連行されていたのだ。
収容所の強制労働で彼ら二人に課せられた労働は、岩を右から左へ、そして左から右へ移すということのみ。来る日も来る日も、精神を崩壊させ、身体を痛めつけるだけの作業に明け暮れることになる。話してはいけない。近づいてもいけない。彼らには人間らしい行動をとることをなにひとつ許されなかった。
そんな単調な繰り返しの作業の中で、二人は次第に言葉を交わすようになる。短い休憩時間には 空を見上げながら看守に見つからないように小さな声で。次第に少しずつお互いを知っていくうちに、いつしかお互いに好意を寄せ合うようになる。
永遠に終わることのない収容所の作業をしながら、励まし合い生きていくマックスとホルストに降りかかる運命とは……。
ナチスによるもう一つの迫害の歴史と、極限の愛の物語。
(あらすじは公式HPより)
前楽観劇。
佐々木蔵之介さん、北村有起哉さんに森のクマさん(^_^;)演出なら観にいかなくては…と。
いやー重かった。でも観られてよかった。
舞台セットが人力で動かす回り舞台になってて、いい具合でした。それと照明によって作り出される影絵のような場面転換も印象的でした。
そういえば「東海道四谷怪談」でも光と影の使い方が独特だなぁと思ったのだが、森新太郎さんはこういう手法が得意なのかな?
男と男の愛の物語だけど、その前に「人間」として扱われなかった同性愛者への偏見と差別と、そしてナチスドイツが落とす暗くて黒い影が多いに影響を及ぼしている作品でした。
もともと良い暮らしをしていたマックスは何に対しても消極的で事なかれ主義な感じだったけど、収容所でのホルストとの時間と会話とがそんな彼を変えていったのだろう。ホルストが亡くなった後のシーンは威厳に満ちていた。
暗いばかりではなく収容所でマックスとホルストがひたすらシモテからカミテへ、カミテからシモテへ岩を運ぶシーンでは二人のやりとりに笑いも起こる。また有起哉さんがいいんだよ、セリフの言い方や間が。
単純作業の間、数時間に1回3分間だけ直立不動ながらも休憩時間がある。2人は立ったままお互いを見ないで会話をし、言葉による妄想でのセ●クスを交わす。上半身ハダカだったので、2人の熱いやりとりと身体から流れる汗や腹筋を楽しみ(?)つつ、妄想とはいえ絶頂を迎えるのを見るというw
作業中は顔を見ることも出来ないので、ホルストは愛の印として「自分の左眉を手でなでるのがサインだ」という。このセリフがラスト前のシーンで活きてきて思わず目頭が熱くなるのだった。
2幕目はほぼ蔵之介さんと有起哉さんの2人しか出てこないので、他のキャストは勿体無い感があった。
とくにマックスの伯父(叔父か?)フレディの藤木孝さんの重厚さ、ビジネスおかまのグレダを演じた新納さん(秀次!)の素敵っぷり(だって登場シーンは空中ブランコにのって歌いながらだからね)
エルンスト・レームとかヒムラーとか「我が友ヒットラー」の時にちょっと勉強した名前が出て来て、反応しちまったよ。
マックス=佐々木蔵之介、ホルスト=北村有起哉、ルディ=中島歩、グレダ=新納慎也、ウルフ=小柳友、収容所の大尉他=石井英明、親衛隊の中尉他=三輪学、士官他=駒井健介、フレディ=藤木孝。
作=マーティン・シャーマン、翻訳=徐賀世子、演出=森新太郎、美術=伊藤雅子、照明=原田保、他。
ドイツ、ベルリン。第2次世界大戦が始まろうとしているきな臭い雰囲気が漂っている。
マックスは、ベルリンのアパートに恋人のダンサー・ルディと一緒に住み、定職に就くでもなく日々何とか小遣い稼ぎをして生きている。彼は毎日がとりあえず面白おかしく過ぎて行けば、それでいいのだ。
毎夜女装のママ・グレタが経営し、ルディがアルバイトしているクラブに入りアパートに持ち帰っている。ルディもあきれながらもマックスとの生活を続けていた。
しかしそんな享楽的な生活はある日突然くずれ去る。
ナチスの徹底したホモセクシャル狩りで、マックスとその恋人のルディはとうとう捕えられ、強制収容所送りとなってしまう。
極限状態の中で、彼は胸に同性愛者が強要されたピンクの星をつけたホルストという男と出会う。ホルストはホモセクシャルであるという理由で連行されていたのだ。
収容所の強制労働で彼ら二人に課せられた労働は、岩を右から左へ、そして左から右へ移すということのみ。来る日も来る日も、精神を崩壊させ、身体を痛めつけるだけの作業に明け暮れることになる。話してはいけない。近づいてもいけない。彼らには人間らしい行動をとることをなにひとつ許されなかった。
そんな単調な繰り返しの作業の中で、二人は次第に言葉を交わすようになる。短い休憩時間には 空を見上げながら看守に見つからないように小さな声で。次第に少しずつお互いを知っていくうちに、いつしかお互いに好意を寄せ合うようになる。
永遠に終わることのない収容所の作業をしながら、励まし合い生きていくマックスとホルストに降りかかる運命とは……。
ナチスによるもう一つの迫害の歴史と、極限の愛の物語。
(あらすじは公式HPより)
前楽観劇。
佐々木蔵之介さん、北村有起哉さんに森のクマさん(^_^;)演出なら観にいかなくては…と。
いやー重かった。でも観られてよかった。
舞台セットが人力で動かす回り舞台になってて、いい具合でした。それと照明によって作り出される影絵のような場面転換も印象的でした。
そういえば「東海道四谷怪談」でも光と影の使い方が独特だなぁと思ったのだが、森新太郎さんはこういう手法が得意なのかな?
男と男の愛の物語だけど、その前に「人間」として扱われなかった同性愛者への偏見と差別と、そしてナチスドイツが落とす暗くて黒い影が多いに影響を及ぼしている作品でした。
もともと良い暮らしをしていたマックスは何に対しても消極的で事なかれ主義な感じだったけど、収容所でのホルストとの時間と会話とがそんな彼を変えていったのだろう。ホルストが亡くなった後のシーンは威厳に満ちていた。
暗いばかりではなく収容所でマックスとホルストがひたすらシモテからカミテへ、カミテからシモテへ岩を運ぶシーンでは二人のやりとりに笑いも起こる。また有起哉さんがいいんだよ、セリフの言い方や間が。
単純作業の間、数時間に1回3分間だけ直立不動ながらも休憩時間がある。2人は立ったままお互いを見ないで会話をし、言葉による妄想でのセ●クスを交わす。上半身ハダカだったので、2人の熱いやりとりと身体から流れる汗や腹筋を楽しみ(?)つつ、妄想とはいえ絶頂を迎えるのを見るというw
作業中は顔を見ることも出来ないので、ホルストは愛の印として「自分の左眉を手でなでるのがサインだ」という。このセリフがラスト前のシーンで活きてきて思わず目頭が熱くなるのだった。
2幕目はほぼ蔵之介さんと有起哉さんの2人しか出てこないので、他のキャストは勿体無い感があった。
とくにマックスの伯父(叔父か?)フレディの藤木孝さんの重厚さ、ビジネスおかまのグレダを演じた新納さん(秀次!)の素敵っぷり(だって登場シーンは空中ブランコにのって歌いながらだからね)
エルンスト・レームとかヒムラーとか「我が友ヒットラー」の時にちょっと勉強した名前が出て来て、反応しちまったよ。
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