miniな舞台

観劇記録+日記@不定期更新。俳優・内野聖陽さんを勝手に応援中!時々サカナクション。

今後の観劇予定

直近はナシです… コロナめ!

No.634 「タージマハルの衛兵」

2019年12月22日 22時16分47秒 | 2019年の観劇記録
2019年12月22日(日) マチネ 新国立劇場・小劇場 1階 D1列 シモテブロック

フマーユーン=成河、バーブル=亀田佳明。
作=ラジヴ・ジョセフ、翻訳=小田島創志、演出=小川絵梨子、美術=二村周作、他。

1648年、ムガル帝国のアグラ。建設中のタージマハルの前。「建設期間中は誰もタージマハルを見てはならない」と、皇帝からのお達しがあった頃。
ついにタージマハルのお披露目の日の前日、夜通しで警備についている、フマーユーンとバーブル。二人は幼い頃からの親友であり、現在は軍に入隊をしている。警備中はタージマハルに背を向け、沈黙のまま直立不動でなくてはならない。だが、空想家のバーブルは黙っていられなくなり、律儀に立ち続けるフマーユーンに話しかけてしまう。
二人の会話はまるで『ゴドーを待ちながら』の二人のように、もしくは『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』の二人のように、とりとめのない言葉の応酬のようでありながら、二人の人間の差を描き出して行く。
やがて二人は、バーブルが不用意に発した一言を発端に、あまりにも理不尽で悲劇的な状況に追い込まれていく。その先にあるのは......。
(あらすじは公式HPより)

チケ取った後に、あらすじを知り、「手を切り落とす…だと?」
これは流血的な??と不安になり(^_^;)、年内最後の〆観劇の予定だったが見直す事になった。

血のシーンは思った程ではなかったが、その後フマーユーンがバーブルの手を斬らなくてはならないシーンが、流血はないものの一番痛みを感じた。

今までだったらオシャベリのバーブルに成河くんがキャスティングされていただろうが、今回は逆。
成河くんと亀田くんの二人の力量が遺憾なく発揮されて、演技自体はとても素晴らしかった。

新国立の「ことぜん」(『個』と『全体』)シリーズということで、個=バーブル、全体or国家とか権力とか=フマーユーンという対比だった。
「ちゃんと警備や任務を遂行していれば いつかは報われる」「父の意見には反論できない」フマーユーン。
建設に携わった人たちの手を斬り落とし、任務をなしとげ憧れのハーレムの警護員になることに喜ぶフマ。それは自分を見下していた父へ自慢すべきものだったのに、バーブルがふと発した「美を殺してしまった…」という言葉。
実際手を斬り落としたのはバーブルで、傷口を焼いて血を止めたのはフマーユーンだったのだが、「こんな綺麗な建築を二度と作れないように」との命令=「もうタージマハル以上の美は作られない」=「美はここで死んでしまった」
と結びついてしまい、バーブルの妄想が炸裂してしまう。あくまでも妄想だけだったのか、本当に実行しようとしたのかは解らないが、とにかくフマは信じてしまった。

結局バーブルは投獄され、手を斬り落とされるが、フマは放置して去ってしまう。
バーブルを売ったに等しいことをしたのにフマは夜警の任務のままラストシーンを迎えている。
結局父の権力の傘からは逃れられなかったのか。

フマとバーブルが若い頃ジャングルをさまよい、木の上で綺麗な鳥の羽ばたきを観た回想シーン(かな?)をどう捉えるか、終演後に友と語り合った。