松川事件(1949年8月)では、機関士1名と副機関士2名が死亡した。その人たち、また家族にとっては、とんでもない事件にまきこれたことになる。人生がめちゃくちゃになった。犯罪被害者等基本法というものがある。しかし、この法律は遡及しての適用ができない。そこで著者は、仁比聡平参議院議員と相談し、ときの法務大臣(千葉恵子)に松川事件殉職者に関する新法の検討を要請した(2010年5月)。
本書は、その著者が殉職者の遺族の立場から考察した松川事件とその後である。くわえて三鷹事件で典型的冤罪のまま獄死した竹内被告の事情と御子息による死後再審の請求についても厳しく言及している。さらに破防法成立を謀る謀略事件だった菅生事件(1952年6月)、辰野事件(1952年4月)、芦別事件(1952年7月)、青梅事件(1952年2月)、メーデー事件(1952年5月)、吹田事件(1952年6月)、鹿地事件(1951年1月)を分析している。
松川事件の究明に関しては、おおむね松本清張(『日本の黒い霧』)と大野達三(『松川事件の犯人を追って』)の研究成果を踏襲しているが、著者は犯人とおぼしき人物から書簡を受け取った本人でもあるので、「真犯人からの手紙の分析」が細かい。
どの謀略も、目的は日本を「不敗の反共防壁にする」というマッカーサー声明の精神の具体化だった。その具体化の先端にあったのがウィロビー計画である。犯人は自ずからアメリカの謀略組織、具体的にはCIC(米陸軍諜報部隊)ということになる。列車妨害の専門家がかつて日本で暗躍していたのである。著者は将来アメリカの公文書館などから真犯人の特定にせまる情報が明らかになるだろうということを期待をもって展望している(p.190)。
最新の画像[もっと見る]