【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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奨励会[将棋]の厳しさと著者の視線の温かさ

2008-02-17 00:36:53 | スポーツ/登山/将棋
大崎善生『将棋の子』講談社文庫、2003年
          将棋の子 (講談社文庫)
 日本将棋連盟には厳しい「掟」があります。23歳の誕生日までに初段、26歳の誕生日までに4段に昇格しなければならないというものです。この規則に抵触すると奨励会退会者となり、将棋指導員として将棋の普及の資格を保有する者となるか、あるいはその資格を放棄して完全なアマチュアに戻るかのどちらかを選択するしかありません。普及指導員の肩書きを持てば、免状を推薦する資格などを保有できますが、アマチュアの大会に参加することはできません[p.318]。

 本書はこの奨励会の関門を通過した者、挫折した者の物語です。主人公は札幌市出身の成田英二(以下、他の棋士も含め敬称略)。小学生の頃から抜群の棋力をもち、アマ三段。全国高校選手権で優勝。昭和52年、奨励会に受験、4級合格。

 しかし、そこからが苦行が始まります。持ち前の呑気な性格。終盤には強いのに序盤、中盤に型がなく、周囲のアドバイスにあまり耳をかさず、自分流を貫いたこともあって、ついに26歳の誕生日までに4段に昇格できず、奨励会退会となりました。

 英二支援のため一家は東京に引っ越してきたのですが、父も母も英二のことを心配しながら死去。英二は将棋を諦め北海道へ。栗山町、北見市ででパチンコ店、札幌に戻って古新聞業。さらに、サラ金に手を出し、債務者になりました。

 著者は小学校の頃に札幌市の北海道将棋会館で見かけ、その後、東京の日本将棋連盟・将棋会館の道場でまみえますが、奨励会退会後の成田とは音信不通でした。

 その成田が札幌市の白石将棋センターに連絡先を指定していることを知った著者は何十年ぶりかで彼に会いに札幌に出かけます。この本の「第一章」の話はそこから始まっています。

 主人公は成田ですが、他に奨励会の地獄の門で苦吟した中座真、岡崎洋、秋山太郎、関口勝男、米谷和典、加藤昌彦、江越克真将のエピソードを織り込んでいます。

 最後、成田は著者との出会いが間接的な契機となって、将棋教室の指導員に。著者は書いています、「将棋は厳しくはない。本当は優しいものなのである。もちろん制度は厳しくて、そして競争は激しい。しかし、結局のところ将棋は人間に何かを与え続けるだけで決して何も奪いはしない。それを教えるための、そのことを知るための奨励会であってほしいと私は願う」と[p.326]。

  本ブログの「ブックマーク」に日本将棋連盟のURLを張り付けました。成田さんは、「棋士の紹介」の「指導棋士」の一覧に確かに登録されています。

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