【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

ポネット(Ponette)ジャック・ドワイヨン監督、フランス、1996年

2017-09-27 20:34:14 | 映画

                                                
 4才の女の子ポネット(ヴィクトワール・ティヴィンソル)が母の突然の事故死を現実的に受け入れるまでを描いた物語。舞台はプロヴァンスのある村。母親を自動車事故で失ったポネットは死の意味が分からない。いつかママに会えると、おまじないやお祈りをするポネット。ポネット自身も、その事故でケガをして左手にギブスをつけ、ヨヨットという大切な人形をいつも手にしていた。父親は最初、ポネットに「ママはひどいケガで死ぬかもしれない」と死を隠していたが、そのうち「ママは死んだ、分かるよね」と諭した。父親はポネットを伯母さんのところに連れて行った。そこにはマチアスという男の子とデルフィーヌという女の子がいた。ポネットは、母の死の意味がよく分からず、その事実を受け入れることもできなかった。ママとおしゃべりをしたく、ママと遊びたい。そのためにいろいろな努力をした。父親はそんなポネットに「ママを待つなんて少しおかしいぞ。神様なんていない。神様は死んだ人たちのもの。ママに神様とイエス様とお話しさせてあげなさい。おまえは命のある世界、パパたちの世界に住んでいるんだ」と説明した。

 ポネットは納得せず、ママと会うてだてを考え、おまじないを唱えたり、小さなプレゼントを探したりした。目をつぶってのお祈りもそのひとつ。「全能の神様、ママは死にました。神様と一緒のはずです。でもママとお話がしたい。がんばったのに話せません。全然こたえてくれません。お話するように伝えてください」。そして、「私がお祈りしたことを伝えてくれましたか。ママと神様のために祈りました。病気ではないけど、ベッドでまっています。こうすれば誰も気づかずに秘密にできます」と言うのだった。

 学校での子どもたちとやりとりがある。女の子のアダは、テストを通過すればママとお話が出来るとポネットに提案し、彼女は一生懸命そのテストにとりくむ。男の子のきつい言葉もある。「ママが死ぬってことは、子どもが悪い子だから」だと。こうした幼児の世界に特有の光景の描写が繰り返されることで、知らず知らずのうちにポネットの悲しみに共感してしまう。

 ママと話しをしようと、様々な努力を試みるポネットは何も変わらない現実に悲しくなり、とうとうママのお墓に一人で行く。お墓に花をそなえ、墓標をみつめ、そのうち手で土をほり始めるポネット。そこにママが現れる。幻想である。ママはポネットに事故死したことについて、また生き方について語り始めた。事故死したのは「死に逆らわないで、楽な方をえらんだの。闘わないで身をまかせたの」と。そして「夢のなかで遊ぼう、ママの想い出をつかまえて。命あるうちに何でもして。全部楽しんでから死ぬの、大切に生きるの。私の娘なら難なく生きていける」と励ました。ポネットはママとたくさん話ができて、漸く満足し、ママがふっといなくなっても一人でたっていた。ポネットを捜しに来たパパに「ママが楽しむことを学びなさいって」といっていたと伝えた。

 この映画を評してある評論家は次のように言っている。主演の「女の子もまた、ポネットを演じることで、新しい言葉を獲得していったのだろう。それでもなお、その子どもは。大きくなったとき、自分が四才のときにポネットを演じたことを思い出せなくなるだろう。“7才までは神のうち”とはそういうことなのである。まさにこの映画は、四才の子どもだけが演じることが出来た奇跡のような物語なのだ」と。同感である。


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