川本三郎『向田邦子と昭和の東京(新書)』新潮社、2008年
![](https://ec2.images-amazon.com/images/I/51s4meDZmML._SS500_.jpg)
ひと昔前には、こう言ったものです。「おにぎり」ではなく「おむすび」、「グラス」ではなく「コップ」、「クッキー」ではなく「ビスケット」、「石鹸」ではなく「シャボン」、「味噌汁」ではなく「おみおつけ」、「辞書」ではなく「字引き」、「失敗」ではなく「しくじり」、「泣いた」ではなく「ベソをかいた」。
「卓袱台」、「寝押し」、「ご不浄」、「しつらえ」、「鰹節をかく」、「手脚気」とかは、いまでは死語になりつつある言葉です。
明治、大正にあったもものは昭和30年代ごろまでは存在していました。だから、それを表現する言葉も残っていまいした。
それが生活の急速なアメリカ化で、かつての生活そのもの、生活に根づいていた言葉、生活用具が消え、それとともに昭和は遠くなっていったのです。著者はそのことから話を起こし、その昭和の平均的な生活を小説にあらわした向田邦子について論じています。
向田邦子は言葉に敏感で、日本の伝統的な古い家族の在り方、生活、古い言葉のよさを好んで描き、好んで用いました。いわば「昭和の申し子」であった作家であり、東京の山の手の市民感覚をもっていた向田邦子。その彼女は、意外にも、おんならしさを嫌い、だらしない男に寛容であり、秘密と嘘とを抱え込んだ家族を描くことが得意でした。
52歳で飛行機事故で亡くなった向田邦子が守り続けたものは何か、描きたかったものは何か、本書はそれらを簡明な文章で紹介しています。
パブリッシングリンクのサイトに掲載されたものが本になったとのことです。
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ひと昔前には、こう言ったものです。「おにぎり」ではなく「おむすび」、「グラス」ではなく「コップ」、「クッキー」ではなく「ビスケット」、「石鹸」ではなく「シャボン」、「味噌汁」ではなく「おみおつけ」、「辞書」ではなく「字引き」、「失敗」ではなく「しくじり」、「泣いた」ではなく「ベソをかいた」。
「卓袱台」、「寝押し」、「ご不浄」、「しつらえ」、「鰹節をかく」、「手脚気」とかは、いまでは死語になりつつある言葉です。
明治、大正にあったもものは昭和30年代ごろまでは存在していました。だから、それを表現する言葉も残っていまいした。
それが生活の急速なアメリカ化で、かつての生活そのもの、生活に根づいていた言葉、生活用具が消え、それとともに昭和は遠くなっていったのです。著者はそのことから話を起こし、その昭和の平均的な生活を小説にあらわした向田邦子について論じています。
向田邦子は言葉に敏感で、日本の伝統的な古い家族の在り方、生活、古い言葉のよさを好んで描き、好んで用いました。いわば「昭和の申し子」であった作家であり、東京の山の手の市民感覚をもっていた向田邦子。その彼女は、意外にも、おんならしさを嫌い、だらしない男に寛容であり、秘密と嘘とを抱え込んだ家族を描くことが得意でした。
52歳で飛行機事故で亡くなった向田邦子が守り続けたものは何か、描きたかったものは何か、本書はそれらを簡明な文章で紹介しています。
パブリッシングリンクのサイトに掲載されたものが本になったとのことです。
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