【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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高田宏『言葉の海』新潮社、1978年

2013-08-30 23:24:59 | 言語/日本語

           
  「言葉の海」はノンフィクションの歴史小説のジャンルに入りますが、この小説はこと日本語の最初の辞書作りの話なので、本ブログでは「言語/日本語」のカテゴリーに入れます。


  日本語の大きな辞典といえば今では。「広辞苑」を挙げる人が多いが、ほかにも「広辞林」「言海」がある。「言海」は大槻文彦によって作られたもの。この小説は、その大槻文彦の生涯を、「言海」作成に焦点をしぼって書かれたもの。

  文彦は日本語辞書の作成を明治の近代国家確立を象徴する仕事と位置づけ、生涯をかけて渾身の力を注いだ。ヨーロッパの近代国家には、それぞれの国の言葉を集大成した辞書がある。それらは文彦の目標であった。また、辞書の作成には、日本語の文法が正確に把握されていなければならない。しかし、当時、日本語の文法を体系化した仕事はまだなかった。文彦はその両方にとりくむ。

  1875年(明治8年)、当時文部省報告課に勤務していた大槻文彦は、課長の西村茂樹に国語辞典の編纂を命ぜられ、この仕事を開始した。1882年(明治15年)に初稿を成立させたが校閲に4年をかけ、完成したのは1886年(明治19年)であった(収録されている語数は39103語、固有名詞などは扱っていない。本編の辞書部分の他に漢文で書かれた「言海序」、西洋文法を参考に日本語を体系化した「語法指南」、索引の仕方を書いた「索引指南」なども載っている)。

  「言海」はもともと文部省自体から刊行される予定だったが、予算の関係で出版が立ち消えしそうになり、結局、文彦が算段して自費出版することになった(明治24年)。文彦没(1928年[昭和3年])後に、兄の如電(修二)によって改訂された『大言海』が発刊された。

  なお、文彦の祖父は玄沢という蘭学者(杉田玄白、前野良沢を継ぐ)、早くから開国論を唱えた父盤渓は漢学者。文彦は学者の家系である。この小説では、東京の芝公園の紅葉観で開催された「言海」出版祝賀会から始まる。祖父、父との関係、友人の富田鉄之助、箕作鱗祥のこと、若くして英語と数学を学んだ洋書調書(洋学の教育と研究のための幕府の機関、前身は葉書調書)、仙台で入学した養賢堂(藩校)、横浜での英語の修業、鳥羽伏見から奥羽戦争、宮城師範創設のことなどを織り込んで、明治の国学者の偉業をいきいきと描いている。

 


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