【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

文字どおりアメリカ・インディアンの悲惨な歴史

2009-08-04 00:15:25 | 歴史
藤本茂『アメリカ・インディアン悲史』朝日選書、1974年
          
          
 アメリカ独立戦争以降の約200年の歴史については、世界史の教科書でもある程度学び、そこでは黒人の奴隷化とその解放も盛り込まれています。しかし、アメリカ先住民であったインディアンに関する記述はバランスを欠くほど微小です。日本人はインディアンがどのような民族であり、西欧人の侵攻の過程でどのような確執があったのかを具体的に知らないというのが現状です。知らされていない、といった方がよいくらいです。

 そのインディアンの悲しい歴史(メイフラワー号で北米大陸マサチューセッツ州に上陸した少人数の白人たちがタバコ園をつくったところから、土地を追われたチェロキー族の「涙のふみわけ道」まで)をドラスティックに描いたのが本書です。歴史書でありながら叙述のスタイルはノン・フィクションのルポルタージュ風でもあります。

 要約は難しいがですが、トライしてみると・・・・。

 話はコロンブスのアメリカ大陸「発見」に遡りますが、以後アメリカに入植した人々はキリスト教という宗教をもち、神の加護のもとにある自分たちに抵抗する原住民は野蛮人に他ならないと考え、強制移住、あるいはその殲滅を図りました。

 神の加護のもとにある西欧人が「新天地」で何をもとめたのかといえば、それは土地です。しかし、土地はインディアンにとっては空気、水と同じように自然物でした。彼らはそれらの恵みのもとで、原始的コミューンを平和的に営んでいました。そこに近代文明を掲げた西欧人が入植し、勝手な仕方で土地売買の契約を現地の人と結び、領土を拡大していく、といった具合です。

 インディアンは西欧人が持ち込んだ珍しい品物や酒(インディアンは酒の文化をもともともっていなかったとか)と、彼らにとっては無償であった土地を易々と交換し、土地はタダ同然の価格で買いたたかれました。アメリカの露骨な侵略の意図の本質は、インディアンにも次第に知るところとなり、徹底した抗戦が展開されました。

 インディアンのなかにも次々と英雄が現れ、アメリカの企みを見抜き、侵略には命を賭して戦います。暴力と略奪、それがアメリカのインディアンに対して行った歴史的行為です。

 そのやり方を見ていると、現代のアメリカが世界で行っている戦略と同じであるということがわかりました。インディアンにおまえらは武器をもっているだろうと、それらを全部提出せよ、提出しないなら調査に入る、抵抗するなら軍事力で鎮圧する。しかし、結果的にインディアンは何も武器をもっていないことがわかる、といったやり方です。

 また、インディアンに対する侵略と焼き打ち、大量虐殺(捜査と殲滅[サーチ・アンド・デストロイ)]。これはベトナム戦争でアメリカがベトナムのソンミ村で行ったやりかたと同一のものです。

 最後に著者は書いています、「インディアン問題はインディアンをどう救うかという問題ではない。インディアン問題はわれわれの問題である。われわれをどう救うかという問題である」と(p.256)。

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