舞台は1955年のアラバマ州モンゴメリー。この州は人口に黒人がしめる比率が高い。この映画は、この保守的で頑固で変わろうとしない地域に起こった黒人のバス・ボイコット事件*とこの運動に対するミリアム(シシー・スペイセク)、オデッサ・コッター(ウーピー・ゴールドバーグ)たちの生活、考え方を描いた作品である。このボイコット事件は、アメリカの公民権運動に火をつけた事件である。
ノーマン・トンプソンには、妻ミリアムと二人の女の子、サラ、メリー・キャサリンとの幸せな家庭があった。比較的裕福なトンプソン家は、黒人のメイドを二人雇っている。そのうちの一人オデッサは主人公の一人であるが、キャサリンは彼女の記憶をさかのぼる、オデッサは「人生を私に目覚めさせてくれた人、とくに目立つ人ではなかったが、何か事件が起こったりすると、周りの人たちを感化する独特の魅力を持っていた」と。
黒人のバス・ボイコット事件は、ある黒人の女性がバスで白人に席を譲らなかったことで逮捕されたことに抗議し、黒人たちがバスの乗車を拒否するという内容のものであった。オデッサは当然、この運動に同調し、仕事さきのトンプソン家までかなりの道を徒歩で通うことになる。妻のミリアムは、自身が黒人のメイドに世話になって成長したという事情があり、人種差別撤廃に理解があった。彼女は長距離を歩いて通うオデッサを気の毒に思い、夫に内緒で週に二回ほどスーパーに行くときに、オデッサを車で迎えた。ところが、ある日、夫が風邪で出勤しなかったさいこの秘密事が発覚し、口論になる。一度はひきさがったミリアムではあったが、納得できない彼女は車の相乗り活動に参加するようになった。心ある白人はこの運動に加わっていたが、これはある意味では危険な行為であった。それというのも、この地域の白人による黒人蔑視は、相当にひどいものであったからであった。
映画ではそのようなシーンがいくつか紹介される。まず、映画の前半に、ボイコット事件が発生する前のことではあるが、次のような場面がある。ミリアムがメイドのオデッサに娘達を公園で遊ばせて欲しいと子守りを頼み、彼らが公園で遊んでいると、通りがかりの警官が「この公園は黒人の立ち入り禁止」と退去させた。この件は、ミリアムが議員をつうじてこの警官に謝罪させて落着したが、人種差別が日常茶飯事であるこの社会の断面はこのシーンに浮き彫りにされていた。ボイコット事件が起きてからも、トンプソン家での食事の集まりで夫の母、弟の話しは偏見にみちている、「黒人をのさばらせたら、つけあがる。怠け者のくせに要求ばかりする。黒人を甘やかしたら、今にとんでもないことになる」等々。
バス・ボイコット運動の輪が広がるにつれ、白人は危機感を深め、ノーマンは黒人排斥の市民評議会に参加し、また相乗りを暴力で阻止する集まりに参加するようになった。そこでノーマンはミリアムが子どものメリー・キャサリンを連れ、ワゴン車でこの運動に協力している現場を見て驚く。白人側と黒人側が対峙し、協力者であるミリアムは義弟に殴られ、他の男にワゴン車の窓を割られた。白人側の「アフリカに帰れ、歩いて帰れ」の罵声、そしてことが暴力沙汰になろうとしたおり、黒人は女性たちを中心に手をつないで連帯の歌を静かに合唱し、歌が罵声を凌駕して行く。ミリアムも涙しながら黒人と手をとって抵抗の輪に加わるのであった。
バス・ボイコット運動には五万人が参加。翌年、最高裁は「黒人がバスのどの席に座るのも自由である」との判決を出す。「真実は必ずよみがえる、虚偽は決して長続きしない、諸君は実りを刈り取ることができる、道理は必ず通る世の中になります、正義は最後には勝ちます」、キング牧師の演説の声がエンディングに響く。
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