【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

奥村宏『三菱-日本を動かす企業集団-』社会思想社、1987年

2010-07-02 00:30:38 | 経済/経営
           
  旭硝子、キャタピラー三菱、キリンビール、三菱電線工業、大日本塗料、ダイヤモンドクレジット、東京海上火災保険、東洋製作所、日本光学工業、日本郵船、三菱アセテート、三菱アルミニウム、三菱液化瓦斯、三菱化工機、三菱化成工業、三菱瓦斯化学、三菱金属、三菱銀行、三菱建設、三菱原子燃料、三菱原子力工業、三菱鉱業セメント、三菱地所、三菱自動車工業、三菱事務機械、三菱重工業、三菱商事、三菱信託銀行、三菱スペース・ソフトウェア、三菱製鋼、三菱製紙、三菱石油、三菱倉庫、三菱総合研究所、三菱電機、三菱プレシジョン、三菱モンサント化成、三菱油化、三菱ヨーク、三菱レイヨン、明治生命保険-上記はこの本の裏表紙に載っている三菱グループに属する企業。

 ひとつの企業を理解するには、創業の経緯、理念、それと関わる社是、社訓、そしてその企業の歴史、行動などを最低おさえる必要があります。

 三菱の創業者は岩崎弥太郎、土佐藩所有の汽船を貸与されることで事業を始めました(p.186)。社訓は「所期奉公」「処事光明」「立業貿易」の三綱領、創業から「国家とともに歩む」精神を貫いているといわれるているそうです(p.182)。

 創業後は後藤象二郎、大久保利通、大隈重信などの維新の元勲とのコミュニケ―ションのなかで事業を拡大しました。事業拡大とともに多角化し、財閥として発展、傘下企業は増大。以後、四代にわたり岩崎家がこの財閥をコントロールしました。

 戦後財閥解体の憂き目にあいましたが、企業集団として再生し、「金曜会」という社長会を立ち上げ、株式の相互持ち合いを進め独特の企業集団を形成、昭和30年、40年代には重化学工業化路線をひた走ることになります。

 50年代に入って重化学工業化が頭打ちになると、新しい路線が模索され、一方で大衆化の方向、他方で海外進出(外資との提携を含む)、国際化の方向が志向されました(世界の三菱化)。

 あわせて見落としてならないのは軍需産業化で、兵器の製造に乗り出し、名実ともに日本資本主義の核となる企業集団となりました。

 本書は、このように現代のリヴァイアサンたる三菱の生い立ちと現在を巨視的に、本質的に分析し、解剖した成果物です。

 著者は、言うまでもなく、法人資本主義論の旗頭的存在。その「法人資本主義」概念は、著者によって次のように要約されている、「相互支配による相互信任、これこそが株式相互持合いからでてくる論理であり、法人所有に立脚する経営者による支配こそがここで確立するのである。これが法人資本主義の支配構造なのである」と(p.87)。

 この本が書かれたのは1980年代の頭。このあと、法人資本主義のあり様がぐらついてくるなかで(法人資本主義はバブル経済の崩壊後,株価低下で評価損となるため,法人による所有株式の売却が進み,持合いの崩壊減少がみられた)、著者は『三菱とは何か―法人資本主義の終焉と「三菱」の行方』を著しています。

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