【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

山野井孝有『いのち五分五分-息子山野井泰史と向き合って』山と渓谷社、2011年

2011-10-27 00:09:37 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

           いのち五分五分息子・山野井泰史と向き合って

 著者は世界的登山家である山野井泰史さんの父親です。

 本書で山野井孝有さんは、息子である山野井泰史さんとその妻妙子さんの人生との関わりを語っています。登山家を息子にもつことの不安、苦しみ、そして生きがいが率直に書かれています。

 表題の「いのち五分五分」は、自身が高齢になってきてこの世を去ることと息子さんが登山で亡くなること、どちらが先に亡くなるかの確率が五分五分でるということでつけたそうです。本書の前に「五分五分」という自費出版の本があるようです。

 泰史さんは、登攀で何度も死にそうになっています。とくに2002年10月の極限のギャチュンカン登攀では悪天候のため泰史、妙子夫妻は行方不明になり、生還はほぼ絶望の状況だったとか。死力を尽くして二人は「奇跡の生還」をしました。このあたりの事情は「第6章:ギャチュンカンからの生還」に詳しいです。

 しかし、夫妻は足と手の指が凍傷となり、帰還後の治療のすえ泰史さんは右足の全指を切除することになり、妙子さんは両手の指のすべてを第二関節まで失うことになりまし(「第7章:凍傷治療から再起へ」)。

 泰史さんはその後も山を諦めず、2005年に7月にはポタラ峰北壁に単独登頂に成功しました。

 泰史さんが登山家になったのは、著者の妻の叔父が小学生だった泰史さんをよく山に連れていったからとのことです(南アルプスの北岳など)。中高校生のときは山に夢中で、それ以外のことには全く関心がなかったようです。

 高校就学時よりアルパイン・クライミングに傾倒します。卒業後はアメリカ合衆国のヨセミテなどでフリークライミングに没頭しました。

 父親の孝有さんは泰史さんに登山家になってもらっては困ると思い、彼を説得し、大喧嘩になりましたが、泰史さんの強い意志に山登りになることをやめさせることを断念しました(奥さん[本書のなかでは「かみさん」と書かれている]は意外と早く泰史さんが自分の望むとおりに生きることに同意していたようです)。

 以後、泰史さんは全て自力で計画をたて、登攀を成し遂げていきます(もっとも泰史さんは何度も大怪我をして両親を心配させています)。

 著者は父親の眼でその成長に目を細めつつ、しかしいつ事故に遭うかもしれないギリギリの人生につきあうことになります。

 植村直己冒険賞受賞の経緯、伴侶である妙子さんのこと(泰史さんより9歳年上、既に結婚前にブロードピーク[8047メートル、1991年]、マカルー[8463メートル、1991年]、ガッシャブルム峰[8035メートル、1993年]、チョー・オユー[8201メートル、1994年]の四座を制覇していました)、泰史・妙子夫妻の奥多摩での生活、女優市毛良枝さんはじめ多くの人々との付き合い、NHKの特別番組「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」(2007年11月放映)のこと、老年になってからの著者の息子夫妻との山行(富士山など)-父親の視点から世界の登山家の生き方を見続けた証がここにあります。


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