仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

人が芸に化けている/芸が人と化している

2006-04-23 11:09:51 | 劇場の虎韜
ちょうど1週間前の16日(日)、妻と連れだって、国立能楽堂へ大蔵流狂言の春公演を観にいってきました。午前中は雨だったのですが、お昼過ぎに千駄ヶ谷駅に着いた頃には小降りになり、ユーハイムで美味しいケーキに陶然としているうち、空もきれいに晴れあがりました。

さて、大蔵流。いわずと知れた京都茂山家ですが、人間国宝の千作氏を頂点に、2家族3世代中心の一門がよくまとまり、賑やかに芸道を発展させています。東京の和泉流・野村家が源氏とすれば、茂山家は平家でしょうかね(なんとなく。分かる人には分かる?)。公演の様子からも、呼吸のピッタリ合った、そして厳しくも打ち解けた一族のありようがうかがえます。近年は、茂・宗彦・逸平・童司ら若手の人気(まさにアイドル並!)が凄まじく、なかなかチケットがとれないのですが、今回は先行予約の抽選で勝利。初めて生で笑わせていただきました。

演目は、「花争」「川上地蔵」「素袍落」の3本。どれも大笑いでしたが、とくに、千作・七五三・宗彦の親子3代が演じたラストは圧巻でした。伊勢参りのお誘いにと、主人の伯父の家へ使いに出される太郎冠者。はなむけに酒を振る舞われ、すっかり酩酊してしまう様子がみどころなのですが、いやもう、太郎冠者を演じた千作氏の芸が凄いのなんの。まず、彼が舞台上に登場してきただけで、自然と私たちの顔は綻び、もうその一挙手一投足に目が離せなくなってしまいます。堂内の空気も本当に春らしく緩やかになり、何か幸せな気分になるのです。まさに〈お豆腐狂言〉の至芸! 人が芸になっているのか芸が人になっているのか、いや、そんなことを考えること自体が無意味なのでしょう。とにかく感嘆、そして柔らかな爆笑。
七五三演じる主人の伯父が酒を振る舞う場面も、「ああこれはもう親子じゃなくちゃできないね」という間合いのとり方。和泉流の芝居からは「家族」を感じませんが、大蔵流は、家の絆がいい意味で浮かびあがってきますね。千作氏が杯を煽る所作に、思わず3月にみた萬斎の所作を重ねてしまいましたが、これはもう比べてはいけないところでしょうか。萬斎にはまだ、小賢しいところがみえますが(そうみえてしまう私自身が小賢しいわけですが)、千作氏には恣意というものがまったく感じられません。「念仏を称えている」と思う自分自身があるうちは……とは時宗の話でしたが、まさにその域に達している印象です。隣の席では、妻が「おじいちゃんかわいいぞ!」と大満足の様子でした。来月3日にはまた萬斎を観にゆく予定ですが、果たして、この日に勝る愉悦を得られるでしょうか……。

さて、心を満腹にして能楽堂を出て、次は国立博物館の最澄展へ。稲本さんのブログで警告されていたので、お目当ての「六道絵」がなくならないうちに拝見。しかし、地獄の責め苦に苦しむ亡者たちをみても、肉体の崩壊を克明に追った描写もみても、千作氏の満面の笑顔が浮かんでしまう一日でした。
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