金曜の特講で『銀河鉄道の夜』の話をしたのだが、どうも感傷的になりすぎたようで、重要な「切符」の問題を取り上げるのを忘れてしまっていた。
そもそも、切符とは何だろうか。バスや電車に乗車する際、自分が目的地までの運賃を支払ったという証明書であるというのが、まあ大方の定義だろう。しかし切符の重要なところは、所有していることが明確な場合は、多くその存在を忘却してしまっているということなのだ。逆にその存在が否応なく意識されるのは、自分が切符を持っていないかもしれない、なくしてしまったかもしれないという不安のなかにおいてなのである。改札の手前で青くなり、体中のポケットや鞄のなかを引っかき回した経験は、誰しもが持っていることだろう。
『銀河鉄道の夜』のなかで、ジョバンニは、「ほんたうの天上へさへ行ける」切符の持ち主として描かれている。それは彼が「ほんたうの幸福」を探す旅を続けてゆく証なのだが、宮澤賢治は、他の乗客たちのジョバンニへの羨望を記すことで、切符の所持がある種の優越であることもはっきりと示している。そして注意しておきたいのは、ジョバンニが、車掌の出現まで切符の存在をまったく意識していないこと、車掌の「切符を拝見いたします」という声を聞いた途端不安に駆られること、周囲の羨望を受け切符を上着のかくしに入れてからまたその存在を意識しなくなることである。彼は、自分の切符を褒めそやした鳥捕りへ憐れみの眼差しを向け、物語は、タイタニック号の沈没で水死した青年と妹弟との会話へと移ってゆく。
切符を持つことが安心感を生み、さらにその安心感が切符の忘却によって成り立っているなら、切符は感受性を鈍らせ思考停止を招くものともいえる。「考え続ける」ためには、切符など持たない方がいいのかもしれない。しかしその際、「切符を持たない乗客」の存在を鉄道のルールが許容するかという、新たな問題も起ち上がってくる。切符を拒んで乗車するという行為には、当然のごとく、それ相応のリスクと覚悟が要請されるのである。
そもそも、切符とは何だろうか。バスや電車に乗車する際、自分が目的地までの運賃を支払ったという証明書であるというのが、まあ大方の定義だろう。しかし切符の重要なところは、所有していることが明確な場合は、多くその存在を忘却してしまっているということなのだ。逆にその存在が否応なく意識されるのは、自分が切符を持っていないかもしれない、なくしてしまったかもしれないという不安のなかにおいてなのである。改札の手前で青くなり、体中のポケットや鞄のなかを引っかき回した経験は、誰しもが持っていることだろう。
『銀河鉄道の夜』のなかで、ジョバンニは、「ほんたうの天上へさへ行ける」切符の持ち主として描かれている。それは彼が「ほんたうの幸福」を探す旅を続けてゆく証なのだが、宮澤賢治は、他の乗客たちのジョバンニへの羨望を記すことで、切符の所持がある種の優越であることもはっきりと示している。そして注意しておきたいのは、ジョバンニが、車掌の出現まで切符の存在をまったく意識していないこと、車掌の「切符を拝見いたします」という声を聞いた途端不安に駆られること、周囲の羨望を受け切符を上着のかくしに入れてからまたその存在を意識しなくなることである。彼は、自分の切符を褒めそやした鳥捕りへ憐れみの眼差しを向け、物語は、タイタニック号の沈没で水死した青年と妹弟との会話へと移ってゆく。
……ジョバンニはなんだかわけもわからずににはかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺をつかまへてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたやうに横目で見てあはてゝほめだしたり、そんなことを一一考へてゐると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持ってゐるものでも食べるものでもなんでもやってしまひたい、もうこの人のほんたうの幸になるなら自分があの光る天の川の川原に立って百年つゞけて立って鳥をとってやってもいゝといふやうな気がして、どうしてももう黙ってゐられなくなりました。……(『新校本全集』11巻、150頁)このくだりを読むと、ぼくはいつも、切符などないほうがいいのではないかと考えてしまう。ジョバンニにとって本当に必要なのは、切符ではなく、「自分は切符を持っていないかもしれない」と意識した際に沸き上がってきた不安の自覚なのではないだろうか。それを通してこそ、彼は、鳥捕りという乗客のありようをより深く理解できる。そして、幻想第四次の世界ではまったくその存在を忘却されている私たち、切符を持たない存在である「ザネリ」の立場に身を置くことができるのである。
切符を持つことが安心感を生み、さらにその安心感が切符の忘却によって成り立っているなら、切符は感受性を鈍らせ思考停止を招くものともいえる。「考え続ける」ためには、切符など持たない方がいいのかもしれない。しかしその際、「切符を持たない乗客」の存在を鉄道のルールが許容するかという、新たな問題も起ち上がってくる。切符を拒んで乗車するという行為には、当然のごとく、それ相応のリスクと覚悟が要請されるのである。