【衣装や文書・写真・採物の扇・鼓胴など48点】
奈良県立民俗博物館(大和郡山市)で1日からコーナー展「新指定 民俗文化財紹介」が始まった。館蔵の「大和万歳資料」48点が3月末、奈良県民俗文化財に指定されたことに伴うもの。大和万歳でかつて使われた衣装の烏帽子や袴、採物の扇や小鼓、写真など往時の活動をしのばせる資料の数々が展示されている。7月15日まで。
万歳は正月を寿いで1年の幸せを祈る祝福芸で、太夫と才蔵が2人1組になり扇や小鼓を持って軽妙な掛け合いと舞を披露する。今の漫才の原型といわれ、古くから全国各地に伝わっている。大和万歳は鎌倉時代の記録にも残り、安堵町や広陵町などに本拠を置き農閑期を利用して畿内を巡回した。大正年間までは京都御所にも参内していたという。1955年には県指定文化財に。しかし、その後伝承が途絶えて77年には指定が解除された。
博物館所蔵の資料は最後の伝承者の家族から寄贈されたもの。48点の内訳は衣装が烏帽子や帯も含め19点、採物が扇や小鼓の胴・皮・調緒の21点、それに写真と文書各4点。文書の中には正月に京都御所への参勤を伝達する江戸時代後期の〝達状〟も含まれる。大和万歳には「柱立」や「田植舞」「月歌」など十余の歌詞が伝わっていたという。
全国各地では尾張や三河、越前などの万歳が国の重要無形民俗文化財に指定され、今もしっかりと伝承されている。その一方で大和万歳のように後継者不足などを理由に姿を消したり、存続が危ぶまれたりしているものも少なくない。高齢化や過疎化が進む中で、民俗芸能を伝承していくことがいかに難しいかを物語る。ただ地域によっては復活の取り組みも始まっており、豊後万歳(大分県)は2010年に新しく保存会が発足した。大和万歳は途絶えてすでに30年余。もう復活は無理なのだろうか。
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