【人と馬の深い関わりを紹介、大正時代に三重県出土の馬具類も初公開】
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で年末年始の恒例展示「十二支の考古学」が開かれている。今回のテーマは新年の干支「午(うま)」。3世紀頃の日本の様子を示す「魏志倭人伝」には「牛馬なし」と記されており、馬が大陸から入って普及したのは5世紀の古墳時代中頃からという。同展示では出土品など考古資料を基に人と馬との深い関わり合いを紹介している。19日まで。
「日本書紀」によると応神天皇の時、百済の王から馬2匹が献上されている。朝鮮半島から馬が渡来し、飼育方法や馬具の製作技術も伝えられたのは間違いなく、斑鳩町・藤ノ木古墳など多くの古墳から馬具や馬形埴輪が出土している。馬は神聖な存在として罪や穢れを払う大祓いや雨乞いのための供物として神社に奉納された。その後、実物の馬に代わって土製の土馬や絵馬も盛んに奉納された(上の写真㊨の土馬は蘇我馬子の邸宅があったとみられる明日香村・島庄遺跡から出土)。奈良時代の絵馬は平城京や難波宮、奈良市の日笠フシンダ遺跡(下の写真㊧=復元)などから出土している。
会場には同博物館に新しく寄託された三重県津市・高茶屋大塚古墳出土の杏葉・鏡板などの馬具類も展示中(上の写真㊨)。大正時代の初めに山林開墾中に見つかっていたもので、橿原考古学研究所の調査で古墳時代後期の精巧な金銅製馬具類と判明した。杏葉には龍文が透かし彫り、鏡板付き轡(くつわ)には唐草文が描かれており、有力者を埋葬した古墳の副葬品とみられる。群馬県出土の馬形埴輪、大和郡山市・稗田遺跡や奈良市・一ノ谷遺跡出土の土馬・墨書人面土器、奈良市・野神古墳出土の馬具類なども展示されている。(下の写真2枚は別会場の第二展示室で公開中の藤ノ木古墳出土の金銅製馬具)
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