く~にゃん雑記帳

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<立命館「平和ミュージアム」> 全面改装し展示方法など一新

2023年10月05日 | メモ

【過去の戦争の歴史や市民の暮らしぶりを振り返る!】

 「立命館大学国際平和ミュージアム」(京都市北区)が大規模なリニューアルを終え、このほど再オープンした。開館したのは約30年前の1992年。「平和と民主主義」を教学理念に掲げる同大学が衣笠キャンパスの一角に設けた。工夫を凝らした長大な年表や歴史資料、テーマごとの展示などから、戦争と平和を自らの課題として見つめ直してほしいという願いが伝わってきた。

 入館は立命館の学生たちは無料だが、一般客は有料(大人400円)。常設展示コーナーは地下1階にある。地下に下りる入り口の左手に日本を代表する彫刻家本郷新(1905~80)の作品『わだつみ像』が立つ。この像の前では毎年12月8日前後に「不戦のつどい」が開かれているそうだ。上部の壁面には漫画家手塚治虫の不朽の名作『火の鳥』の大きなレリーフ。1階には長野県上田市にある戦没画学生の作品を集めた「無言館」の京都館もある。

 地下に下りると横幅が5m以上ありそうな大画面が目に飛込んできた。ここは「導入シアター」。世界各地の紛争などの画面が映し出され、こう問いかける。「あなたにとって平和とはなんですか?」「平和を築くために私たちはなにができるんだろう?」。年表は世界と日本の出来事の2本立てで1510年の「ポルトガル ゴアとマラッカを占領」から始まり、2023年の「世界人口80億人突破」まで続く。長さは約70mもある。

 その上のパネルでは主に1840年代の蝦夷地・小笠原・琉球の領有化から始まって、第2次世界大戦と終結後の冷戦などを日本の動きを中心に取り上げている。その中でアイヌや沖縄人、台湾先住民を“生身の人間”として展示した1903年の第5回内国勧業博覧会の「人類館事件」、1930年に起きた台湾先住民の抗日武装蜂起を警察力で弾圧した「霧社事件」なども紹介する。1943年の「ペンを銃に持ちかえて」と題した箇所では「立命館大学は約3000人の学生を戦地へと送り出し、軍隊に志願しない朝鮮・台湾出身の学生を除名(除籍)処分としました」と自戒の言葉を綴っていた。

 実物資料として展示中のものに満洲(中国東北部)で細菌兵器の開発に取り組んだ七三一部隊(関東軍防疫給水部)が使用した防毒面、1945年8月の広島原爆で被災死した高校生の作業服と弁当箱、長崎・浦上天主堂の被爆した聖像の頭部など。長さ2.5mほどの「核模擬爆弾」も展示している。1960~70年代に沖縄の伊江島で米軍が投下訓練用に使用していたという。米軍はベトナム戦争で核兵器を使うことも検討していたそうだ。

 年表パネルの向かい側には通路を挟んでテーマ表示のコーナーが広がる。「帝国日本の植民地・占領地」「十五年戦争の加害と被害」など4つのテーマごとに、現地住民の暮らしぶりなどを当時の写真や実物資料で紹介。南洋群島の項では「次第に一等国民内地人、二等沖縄人、三等朝鮮人、四等島民(現地住民)とする見方が広まり、沖縄と朝鮮の人々は差別されつつ差別する複雑な立場に置かれた」との説明が付いていた。

 同ミュージアムは博物館としての資料展示だけでなく、平和への取り組みなどを内外に発信してきた。ロシアによるウクライナ侵攻に関しても2022年3月2日、国連安全保障理事会の常任国で世界の安全と平和に責任を持つべきロシアを厳しく糾弾する声明を発表している。「反戦のために立ち上がっている人々と連帯し、速やかなロシア軍の引き上げと戦争責任者の処罰、賠償の開始など法の支配への回帰を訴えます」

 館内を出て右に曲がると、草むらに不思議な形の大きな陶器が4つほど転がっていた。はてな? そばに立つ説明板に「迎撃用ロケット燃料精製装置(呂号陶器)」とあった。その下には「1944年頃~1945年 京都市藤平窯業有限会社製作」。太平洋戦争の末期、軍部の要請で米軍のB-29迎撃用の燃料装置として作られたらしい。それにしても展示というより、粗大ゴミのような扱いはどうにかならないものだろうか。


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