【市内に100カ所超の共同浴場、無料の足湯・足蒸し施設も】
通称〝別府八湯〟と呼ばれる一大温泉地の別府。源泉数も湧出量も国内ではダントツの1位といわれる。泉質の種類も地球上に存在する11種類のうち放射能泉を除く10種類があり、これまた日本1位という。ちなみに別府に次いで源泉数、湧出量が多いのは同じ大分県内の湯布院。源泉数の3位以下は伊東、熱海、指宿と続く。(写真は国の名勝になっている「血の池地獄」)
JR別府駅前で出迎えてくれたのが〝別府観光の父〟と呼ばれる油屋熊八翁(1863~1935)の銅像。亀の井ホテル、亀の井バスなどの創業者で、ユニークな銅像の形は熊八が天国から「やあ!」と舞い降りてきた姿をイメージしているとか。熊八は「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」という名キャッチフレーズを作ったことでも知られる。この言葉を造形化したというモニュメントが、商店街の中の「別府市まちなか交流館」の前に立っていた(下の写真㊨)。
市内には100カ所を超える温泉の共同浴場があり、そのほとんどが誰でも100円で入浴できるという。そのシンボル的な施設が駅前の中心街にある市営の「竹瓦温泉」(下の写真㊧)。1879年(明治12年)創業で、その名は竹屋根葺きを瓦葺きに建て替えたことに由来する。地獄めぐりの観光客でにぎわう鉄輪(かんなわ)温泉にも、目抜き通りなどに足湯や足蒸しの施設があった(㊨)。こちらは無料で誰でも利用できる。
「鬼石坊主地獄」は灰色の熱泥が坊主頭のようにブクブクと沸騰する(下の写真㊧)。その一画に敷き詰められた大きな石の間からゴーゴーという大音響とともに噴気が上がる場所があった。「鬼の高鼾(たかいびき)」と名付けられていた。一瞬、御嶽山の噴火が頭をよぎった。「血の池地獄」は明治8年、13年、21年、38年、44年、大正元年、昭和元年、2年と爆発を繰り返してきたという。池の一角に昭和2年の爆発を記念した大きな柱が立っていた。そこには「爆発ケ所 高サ約二百二十米」と記されていた。
明礬(みょうばん)温泉(上の写真㊨)の「薬用湯の花」づくりは江戸時代から約280年の伝統を持つ。「湯の花小屋」と呼ばれるわら葺きの小屋の床に青粘土を敷き詰め、噴気の強さを調整しながら湯の花の結晶をつくる。小屋の周辺から白い湯煙が立ち上り、独特な硫黄の香りが漂っていた。この湯の花の製造技術は8年前の2006年、国の重要無形民俗文化財に指定された。(下の写真2枚は「かまど地獄」)
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