く~にゃん雑記帳

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<孝田有禅・川路聖謨を讃える会会長> 「外交官は川路の巧みな交渉術を学べ」

2012年08月27日 | ひと模様

【プチャーチンと対峙、「北方四島=日本領」明記の日露和親条約を締結】

 川路聖謨(かわじ・としあきら、1801~68年)は幕末、奈良奉行を務めた役人。在任中、緑化運動や民主的な施策を展開するなど善政を行い、今なお〝奈良の恩人〟と慕われている。その川路が幕府の勘定奉行になった後、ロシアとの領土境界問題の交渉を担当した。「川路がいなかったら、北方四島はロシアのものになっていたに違いない。竹島や尖閣諸島も含め領有権問題で揺れている今こそ、日本の外交官は巧みな川路の交渉術を学んでほしい」――。「川路聖謨を讃える会」会長の孝田有禅さん(86)はこう力説する。

   

 孝田さんは1945年、奈良師範学校本科(現奈良教育大学)卒。約40年間の小中学校での教員生活の後、西吉野村教育長。現在は曹洞宗雲洞山禅龍寺(五條市西吉野町)の第28代住職を務める。奈良市立椿井小学校在任中に初めて「植桜楓之碑」(下の写真)を見て川路聖謨の存在を知ったという。この石碑は川路が展開した緑化運動を記念し嘉永3年(1850年)に建立されたもので、猿沢池から興福寺につながる石段(通称五十二段)を上がった左手にある。孝田さんが「五十二段のさくら」と題してまとめた一文は小学道徳の副読本「美しい心」に掲載され、大きな反響を呼んだ。その後、もっと多くの人に川路の功績を知ってもらいたいと「讃える会」を立ち上げた。

   

【集会所の設置、貧民救済、家内産業奨励、天皇陵の整備……】

 幕府の普請奉行だった川路が奈良奉行に任じられたのは1846年、45歳のころ。当時、奈良では百姓一揆や打ち壊しが続発して荒れ果て、奉行所内も腐敗・堕落していた。川路は「荒廃した古都にまず緑を取り戻そう」と緑化運動を進め、同時に思い切った施策を次々に打ち出した。孝田さんはその功績として①集会所づくり②病人・老人・貧民の救済制度の創設③墨作りや革製武具の製作など家内産業の奨励④天皇陵の整備や盗掘対策⑤河川の整備⑥拷問の廃止や罪人への思いやり⑦強盗・賭博の取り締まり強化――などを挙げる。「とりわけ庄屋での会合をやめ、自由にモノが言える集会所をつくった意義は大きい」という。

 川路は1851年、大坂町奉行を命じられ奈良を離れる。別れを惜しんだ人々は餞別として町々から奈良晒し2反ずつを贈ろうとしたが、川路は町名を記した熨斗紙だけを受け取って品物を返した。このため町民は春日社に川路の「武運長久」を祈る石灯篭を奉納したという。川路は大坂赴任の前にまず江戸に帰るが、その時にも何百人もが名残を惜しんで京都の木津川まで見送りに行ったそうだ。

【鋭い舌鋒。一方でユーモア精神も】

 川路はその後1853年、幕府の「露使応接掛」を命じられロシア全権プチャーチンとの領土境界問題の折衝を任される。53年といえばペリーの浦賀来航の年。この年の長崎での交渉は物別れに終わるが、翌年、下田で再会談がもたれた。川路は「択捉(えとろふ)は番所を設けて管理しており、我が国の領土であることに疑いはない」と粘り強く指摘。その結果、択捉島以南が日本領土であることが画定され、54年(安政元年)12月21日、日露和親条約が締結された。新暦に直すと2月7日。この日はいま「北方領土の日」になっている。

 領土交渉に当たった川路の印象を、プチャーチンに随行したゴンチャロフが「日本渡航記」に書き留めている。「川路は非常に聡明であった。その一語一語が、眼差しの一つ一つが、そして身振りまでが、すべて常識とウイットと炯敏(けいびん)と練達を示していた」。川路はこんな話もしたそうだ。「我が妻は江戸でも一、二を争う美人である。今、妻を思うや切なるものがある。ましてや何年も故郷を離れているプチャーチン殿も同様の思いが強かろう。切りのいいところで妥結して愛する妻の元へ帰ろうではないか」。ユーモアを交えた話に双方笑って打ち解け合ったという。

 川路は奈良の恩人だが、「今の北方四島が日本領土であると必死に交渉に当たって、日本領土に決定させた大恩人でもある」と孝田さん。竹島や尖閣諸島を巡り日韓、日中がぎくしゃくしているが、孝田さんは「感情をぶつけていくやり方はどうにかならないものか。礼節をわきまえて、もう少し大人の対応をしてほしい」と苦言を呈する。経済だけでなく外交面でも閉塞感に覆われている時だけに〝第二の川路〟の登場を期待したいところだが……。(奈良市生涯学習センター26日開催の「奈良偉人伝」の講演から)


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