【奈良時代の基壇(約24m)の周囲に盛り土し一回り大きく】
奈良文化財研究所などが発掘調査中の東大寺の東塔跡で21日、これまでの発掘成果を公開する現地説明会が開かれた。調査は5年計画で今年7月にスタート。これまでに鎌倉時代の基壇の規模が約27m四方、高さ1.7m以上で、約24m四方と推定される奈良時代の基壇の上と周囲に盛り土を加えることで一回り大きくしていたことが分かった。
東塔が西塔とともに最初に完成したのは奈良時代の764年。その約400年後の1180年、平重衡による南都焼き討ちによって焼失し、1238年ごろ東塔だけが再建された。しかし、その東塔も1312年落雷によって再び焼失してしまった。東塔は七重で、高さは寺に残る古文書から33丈(100m)または23丈(70m)だったとみられる。現存する国内の五重塔で一番高いのが京都・東寺の約55m、次いで奈良・興福寺の約50m。東塔がいかに高く威容を誇っていたかがこの数字からも分かる。
今回の発掘調査は基壇の中央から北東部分にかけて。その範囲内で9つの礎石の穴が見つかった。全体では心礎を中心に礎石の上に柱が縦横4列に計16本並んでいたが、礎石自体は明治時代に廃仏毀釈の混乱の中で抜き取られ行方が分からないという。抜き取り穴の並びから塔の柱配置は3間四方と判明、柱の間隔は中央が約6m、両端が約5.4mで、鎌倉時代に再建された南大門とほぼ一致した。
心礎の位置には見学者のために目印として高い棒が立てられていた。基壇の盛り土には焼土も混じっており、その中には奈良時代の瓦も含まれていたという。平氏の南都焼き討ち時に焼失した瓦などを盛り土に加えて新しく基壇を築いたとみられる。基壇の北面と東面の中央部分からは階段跡が見つかり、北面の階段から北側に向かって参道が延びていた。今回の学術発掘調査は東大寺にとって初めての大規模なもの。今後の発掘で新たにどんなことが分かってくるのだろうか。
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