く~にゃん雑記帳

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<橿考研付属博物館> 春季特別展「八雲立つ出雲の至宝」

2022年05月06日 | 考古・歴史

【荒神谷の銅剣・銅矛、平所遺跡の「見返りの鹿」…】

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で春季特別展「八雲立つ出雲の至宝」が始まった。同博物館は施設改修中の2021年春、島根県立古代出雲歴史博物館(出雲市)で奈良県内の主な出土品を展示する「しきしまの大和」展を開催した。今回の特別展はいわばその〝返礼〟。国宝に指定されている荒神谷遺跡の銅剣・銅矛・銅鐸や加茂岩倉遺跡の銅鐸など、島根県出土の第一級考古資料が一堂に展示されている。会期は6月19日まで。

 荒神谷遺跡の発見は38年前の1984年の夏。出雲市の農道工事に伴う発掘調査で358本もの銅剣が発見された。さらに翌年にはすぐそばで銅矛16本と銅鐸6個が見つかった。遺跡名は近くに「三宝荒神」が祀られていたことから。その11年後の1996年、今度は雲南市加茂町の農道工事現場で史上最多の39点の銅鐸が出土した。2つの遺跡は直線距離で約3kmと程近い。それまで青銅製祭器のうち銅剣・銅矛は北部九州を中心に分布し、一方銅鐸は近畿が中心と考えられてきた。島根県の両遺跡の発見はその常識を覆す大発見となった。

 2つの遺跡はいずれも弥生時代中期の前2~前1世紀のもの。出土品の鑑定から当時の活発な地域間交流も分かってきた。荒神谷遺跡出土の銅鐸6個のうち3個がそれぞれ京都、兵庫、徳島出土の銅鐸と同じ鋳型で作られた同范(どうはん)銅鐸だった。また加茂岩倉の銅鐸も39点のうち同范銅鐸が16組27点確認された。その範囲は中国地方だけでなく四国や近畿と広範囲に及ぶ。その中には奈良県上牧町出土の銅鐸と同范のものもあった。

 古墳時代後期の平所(ひらどころ)遺跡(松江市)からは埴輪の「見返りの鹿」「飾り馬」「家」の3点(いずれも重要文化財)が展示中。後ろを振り返る「見返りの鹿」はこの埴輪を含め国内で3点が確認されている。あとの2つは奈良県橿原市の四条1号墳と静岡県浜松市の辺田平(へたびら)1号墳から出土した。平所遺跡の鹿は下半身が欠けているものの角がしっかり残っており、雄鹿の表情には凛とした雰囲気が漂う。

 出雲地方では古墳時代の前期から中期にかけ大型の方墳が造られ、後期になると前方後方墳が主体となった。その代表格が全長94mの出雲最大の山代二子塚古墳(松江市)。国の史跡にもなっている。その墳丘には埴輪とともに〝出雲型子持壷〟(写真㊤)が並べられていた。親壷の上部に5つの小さい壷を取り付けたもので、そのユニークな形状が目を引く。

 直径46mの大型円墳、上塩冶築山(かみえんやつきやま)古墳(出雲市)から出土した子持壷も展示中。この子持壷は副葬品とともに重要文化財になっている。金銅製の冠や馬具、金銀装の円頭大刀などの副葬品(写真㊤)は畿内の王権との関係をうかがわせる。岡田山古墳(松江市)1号墳の副葬品も重文。全長24mの小型の前方後方墳で、小さな石棺が納められていた。出土した円頭大刀には「額田部臣」(ぬかたべおみ)という銀象嵌銘。1983年に元興寺文化財研究所(奈良市)のX線検査で判明した。銘文入りのこの大刀はこの古墳の被葬者が「大和に本拠を持つ額田部連氏とも深い関わりを持っていたことを直接的に示す」(岡林孝作・橿考研付属博物館長)。


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