【華やかな花渡り式と勇壮な宵宮落し】
比叡山麓にある日吉大社(大津市坂本)で、例祭の「山王祭」がにぎやかに繰り広げられている。13日には昼すぎから表参道の日吉馬場で稚児のお練り「花渡り式」があり、日が暮れると宵宮場の大政所で神輿4基による勇壮な「宵宮落し神事」が行われた。14日には神輿7基が参道を琵琶湖岸まで下り、船に乗って唐崎沖まで渡る「船渡御」と「粟津の御供献納祭」が古式ゆかしく繰り広げられる。
日吉大社は「山王さん」として親しまれており、全国の日吉神社・日枝神社・山王神社などの総本宮。山王祭は毎年4月12~14日に行われており、そのうち12日と13日は東本宮の祭神大山昨神(おおやまくいのかみ)を中心とした神事、14日は西本宮の祭神大己貴神(おおなむちのかみ)を中心とした神事が行われる。大己貴神(大国主神)を奈良の三輪山(現在の大神神社)から勧請したのは668年で、今年は西本宮御鎮座1350年の節目に当たる。
花渡り式は13日午後1時すぎから始まった。主役はかわいい甲冑姿のお稚児さんで、前後を羽織姿の露払いや化粧回しを着けた警護役の金棒曳き、華やかな造花、稚児の親族たちが続く。かつて多い年には20組ほどの花が出たそうだが、今年はちょうど10組だった。稚児は原則として4歳ぐらいまでの男児が務め、お供も男性に限られてきたという。ただ今年は稚児の中に女児の姿も散見された。参道で見守っていた関係者に伺ったところ「女子の参加は数十年ぶり」とのことだった。
行列は二の鳥居からゆっくりと参道を上って右折し、夜に宵宮落しの舞台となる大政所に向かった。稚児たちが歩く距離は300mほどだが、重くて慣れない甲冑姿とあって、ちょっぴりすねたり途中で父親に抱かれたりする稚児も。右折する直前、稚児が東西の本宮が鎮座するお山に向かって深々とお辞儀すると、参道を埋めた観客から大きな拍手が起こり「ご苦労さま」といった掛け声も投げ掛けられた。宵宮場の大政所では各組が到着するたびに神楽が奉納された。
大政所には金色に輝く神輿4基がずらりと並び、向かって右側に設置された大型スクリーンでは別会場で進行中の「読み上げ式」などの模様がライブ中継された。読み上げ式は「駕輿丁(かよちょう)」と呼ばれる4つの神輿の担ぎ手を一人一人点呼するもの。その後、竹松明を先頭に担ぎ手たちが次々に宵宮場に駆け込んできては神輿をドスン、ドスンと前後に激しくゆすり始めた。神輿の前面には「上半身裸の屈強な男性が5人ずつにらみを利かせていた。「前張り役」と呼ばれる。
神輿振りが1時間ほど続いた後、甲冑姿の男性たちが現れ我先に2人ずつ神輿に飛び乗った。この後、各神輿の前で獅子舞などが演じられ、続いて山王祭実行委員長の祭文読み上げ。それが終わるやいなや、各神輿は壇上から地上に落とされ先陣を競うように担がれて宵宮場を後にした。この神輿振りから神輿落しまでの一連の所作は、御子神が誕生するお産の陣痛と出産の場面を表すといわれる。神輿振りの最中横一列になって腕を組む男性陣も実は陣痛の様子を隠すのが役目という説もあるそうだ。また柱で5つに分けられた大政所の部屋のうち、神輿が入っていない向かって右端の部屋は「稚児の間」と呼ばれているという。誕生する御子神のために空けているというわけだ。
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