く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ポルトガル大衆歌謡ファド>鹿糠ちはる 若手ファディスタの注目株

2012年02月17日 | 音楽

 

【マカオ観光局のボーカリストとして活躍】

 

 フランスにシャンソン、イタリアにカンツォーネがあるように、ポルトガルには「ファド」と呼ばれる大衆歌謡がある。そのファドの「女王」が有名なアマリア・ロドリゲス(1920~99年)。日本国内では月田秀子が第一人者として活躍中だが、若手ファディスタ(ファド歌手)も育ってきた。その一人が鹿糠(かぬか)ちはる。昨年、旧ポルトガル領・マカオ観光局の公式イベントボーカリストに起用されたのをきっかけに、内外で活動の舞台を広げている。

 

 鹿糠は札幌や東京で主にアメリカンポップスやジャズを歌っていたが、2003年ごろ、大阪に拠点を移しファドを歌い始めた。ファドの歌心をつかむため本場リスボンにも数回渡って〝修業〟を重ね、05年には「ファドの友ポルトガル協会」会長から正会員証を授与された。

 

          

 

【「ファドは暗い」そのイメージを変えたい】

 

ファドでまず思い浮かぶ曲がアマリアの「暗いはしけ」。漁師の妻が帰ってこない夫への心情を切々と歌ったものだ。その連想に加え、ファドがポルトガル語で「運命」や「宿命」を意味することなどもあって、ファドは悲しみに沈んだ暗い歌という先入観があった。

 

5~6年前、大阪でのライブで鹿糠の歌声を初めて聞いたとき、それが間違いだったことを知った。その歌声はファド特有の歌い回しの中にも、軽やかで伸びやかな点が印象的だった。ファドは広く庶民の喜怒哀楽を歌ったもので、明るく陽気な歌も多いことも知った。

 

鹿糠は「これまでのファドのイメージを変えたい」と話す。「ポルトガルでは人生の深みを心の奥底から歌う歌手がいれば、ウェートレスの女性が突然、リスボンを讃える歌を歌い始めたこともあった。多彩な表現で愛されているファドに感銘を受けた」からだ。

 

【3月1~3日、大阪市内でライブ】

 

2007年、鹿糠は大阪から東京に拠点を移す。そのころからライブやイベントへの出演回数も徐々に増え、昨年はマカオ観光局のイベントボーカリストとして全国各地で「マカオの夕べ」コンサートに出演、中国古筝奏者の伍芳(ウー・ファン)らと競演した。ポルトガル人が初めて漂着したというマカオの世界文化遺産「媽閣廟」の前でもファドを披露した。鹿糠にとって忘れがたい思い出とともに自信につながったのではないだろうか。

 

大阪での鹿糠のライブにはできるだけ足を運ぶようにしているが、年輪を刻むように歌声に味と深みが出てきたように思う。その成長ぶりをライブで確認できるのはファンの一人としてうれしい限りだ。今年も3月1~3日、「花見月ライヴ in OSAKA」と銘打って大阪市内4カ所でライブを予定している。

 

【心に響くポルトガルギターの哀愁の音色】

 

ファディスタは通常館内でのライブではマイクを使わない。歌声が生なら、伴奏する12弦のポルトガルギターとヴィオラ(ポルトガル語で「ギター」の意)もギター本来のアコースティックな音色。電気機器を介さないからだろうか、哀愁を帯びた歌声と音色が聴く者の心に直接響いてくる。

 

昨年12月の大阪ライブでは、湯浅隆と水谷和大の息の合った演奏が始まるやいなや、ファドの世界に引き込まれた。石畳の街並み、歌声が漏れるファドの酒場……。まだ行ったことがないリスボンの下町に誘ってくれる。その空気感がなんとも心地よい、

 

湯浅はポルトガルギターの第一人者。その華麗なテクニックは他の追随を許さない。水谷も日本ギターコンクール・アンサンブル部門で優勝したこともある実力者。2人の伴奏が鹿糠の歌声をいっそう引き立てる。再び3人の組み合わせでファドを堪能できるのが今から楽しみだ。(敬称略)


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