【練り行列は規模縮小、舞楽奉納は屋内で】
華厳宗大本山東大寺(奈良市)で5月2日「聖武天皇祭」が営まれた。大仏(廬舎那仏)の造立を発願した聖武天皇(701~756)の命日に遺徳を偲ぶもので、天皇殿での御忌法要に続いて、大仏殿内で大勢の参拝客が見守る中「慶讃法要」が執り行われた。ただ最大の見どころの一つでもある練り供養は、新型コロナ感染防止のため今年も規模が縮小され、人気の煎茶振る舞いは中止、鏡池での舞楽・能の奉納も会場を屋内に移し人数制限の中で行われた。
聖武天皇を祀る天皇殿は巨大な金剛力士像で知られる南大門そばの参道東側にある。入り口の勅使門には十六八重菊紋の幕が張られ、正面の天皇殿には華やかな五色幕。この敷地内はいつもは立ち入りできないが、この日は法要の間だけ開放されており参拝客が次々に訪れていた。午前中に「御忌最勝十講」という法要が営まれた後、午後1時すぎに東大寺本山や奈良県内の末寺僧侶ら約25人が列を整えて大仏殿に向かった。8人に担がれた輿(こし)に乗るのはこの4月1日に第224世別当(住職)に就任したばかりの橋村公英師。新しく華厳宗管長も務める。
この練り行列は例年なら奈良公園の新公会堂(奈良春日野国際フォーラム甍)を出発し、南大門、中門を越えて大仏殿に向かう。参加者も愛らしいお稚児さんや平安装束の女性たち、僧兵、傘もちなども加わって総勢250人にもなる。それに比べると〝式衆〟と呼ばれる僧侶に限られた今回の行列はその10分の1ほどと少なく、やや華やかさに欠けたのは確か。ただ参道両脇に飾られたのぼり幕の幡(ばん)や南大門に掛けられた几帳などが、東大寺にとって最も大切な法要の日であることを表していた。
僧侶や来賓が大仏殿に入堂すると「慶讃法要」が始まった。惣礼、唄(ばい)、散華に続いて橋村別当が天皇の遺徳を讃える表白を読誦。この後、聖武講・講社長の掛樋時数氏が慶讃文を読み上げた。堂内には朗々とした読経が響き渡り、参拝者たちも僧侶とともに本尊の大仏に手を合わせて、国家鎮護や世界平和、厄病退散、家内安全などを祈った。式衆らは翌3日には聖武天皇の佐保山御陵を参拝して「山陵祭(さんりょうさい)」を営む。新別当橋村師の任期は4月1日から4年間。来年には東大寺初代別当、良弁(ろうべん)僧正の1250回忌という節目の重要な法要が控えている。
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