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く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<高島屋史料館> 企画展「画工画 明治の画工、世界に挑む」

2022年09月14日 | 美術

【下絵の大半は署名なく、作者は不詳!】

 大阪・日本橋にある高島屋史料館(高島屋東別館3階)で企画展「画工画(がこうえ) 明治の画工、世界に挑む」が始まった。2部構成で「高島屋の画室」と題した第1部の会期は10月24日まで、「下画(したえ)と染織品」と題した第2部は11月5日~12月19日。明治時代中期から貿易業に乗り出した高島屋は、当時「画工」と呼ばれた画家たちの下絵をもとに制作された屏風や壁掛けなど美術染織品を欧米に輸出した。企画展第1部では当時の下絵や書簡、記録などから画工画誕生の足跡を辿る。(写真は2021年8月に国の重要文化財に指定された高島屋東別館)

 高島屋は1882年頃から日本画家の岸竹堂や今尾景年らに下絵の制作を依頼していたが、本格的に輸出に取り組むため85年「輸出掛(かかり)画室」を新設。その画室には竹内栖鳳や都路華香、山元春挙、谷口香嶠、上田萬秋、菊池芳文、榊原紫峰ら錚々たる画家が名を連ねていた。史料館には彼ら画工が描いた膨大な下絵が保管されている。ただ下絵には署名や印がないため、大半は誰が描いたか分かっていない。

 企画展第1部に出品中の下絵も、作者名が判明しているのは谷口香嶠の1点と上田萬秋の2点の計3点のみで、そのほかはいずれも作者未詳。壁面2面には「“名も無き”画工が描いた画・図案」でびっしり埋め尽くされていた。谷口香嶠の『柳に鵞鳥図』(㊦)は白い3羽のガチョウを描いたもので、これを基に制作された刺繍大壁掛けは1904年に米国で開かれたセントルイス万国博覧会に出品された。(以下の写真はいずれも作品・ポスターの部分)

 上田萬秋の下絵2点は『松上の鷹』(㊤)と『波上飛雁』。上田は今尾景年に師事し花鳥画を得意とした。『松上の鷹』の下絵には紙を貼り直してタカの向きを変えた跡が残る。『波上飛雁』による友禅の壁掛けはセントルイス万博で名誉大賞・金牌を受賞した。作者不詳の下絵にも目を引く大作や名品が並ぶ。『夜桜に猿』(㊦)と『紅葉に猿』は同じ画家による一対の作品だろう。

 友禅『竹と薔薇と鶏図』は下絵の作者は不明だが、友禅師は大久保長吉と分かっている。友禅『鯉図』は下絵の作者も友禅師も不詳。変わったところでは1905年の「貿易店ポスター」。西洋の少年が「たかしまや飯田呉服店」と書かれた帳簿を持つユーモラスな図柄で、3人連れの若い男性たちが「おっ、いいねえ」と覗き込んでいた。ドイツの印刷業者への特別注文でこの極彩色の鮮やかなポスターが出来上がったという。このほか画工出勤簿や竹内栖鳳らの書簡、高島屋貿易部のアルバムなども展示中。

 高島屋が創設した画室には西洋の画集や雑誌類が多く集められ、画工たちはこれらを通じても西洋画の写実表現や遠近法などを熱心に研究したという。また高島屋当主の4代飯田新七(1859~1944)は襖絵の写生や図案考案のため、画工たちを伴ってしばしば法隆寺や大徳寺、平等院などを訪ねた。美術染織品の海外輸出を通じて高島屋が近代京都画壇の育成・興隆に果たした役割の一端を、この企画展で垣間見ることができた。

 11月5日からの第2部には100年以上の時を超えて里帰りした刺繍絵画『獅子図』が、神坂松濤の下絵とともに展示される予定。刺繍絵画は下絵を基に刺繍職人が針と糸で丹念に縫い上げて衝立や壁掛けなどに仕立てたもの。明治~大正期に室内装飾品として盛んに制作され欧米に輸出された。『獅子図』は京都高島屋で9月15~26日開かれる「刺繍絵画の世界展」にも出品される。

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