く~にゃん雑記帳

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<奈良大学博物館> 企画展「発掘された古代国家」5月23日まで

2015年04月22日 | 考古・歴史

【文化財学科創設35周年記念、初めて外部から借用した展示品を中心に】

 奈良大学博物館(奈良市山陵町)で企画展「発掘された古代国家」が開かれている。奈良大学法人創立90周年と文化財学科創設35周年を記念した事業。同博物館としては初めて奈良文化財研究所や九州歴史資料館など外部から借用した出土品や史料を中心にした本格的な企画展示となっている。5月23日まで。

 

 今展は律令国家形成の歩みをこれまでの発掘調査の成果を基にたどるのが狙い。展示は「律令国家への飛躍」「古代の都―平城京の内と外」「国家存亡の危機と防衛」「国を支えた生産」の4部で構成する。まず律令国家形成への端緒を示す遺跡として、推古朝に造られた飛鳥寺や小墾田宮(おはりだのみや)などを取り上げる。飛鳥時代の小墾田宮の場所はまだ確定していない。ただ奈良時代の小治田宮は雷丘(いかづちのおか)東方遺跡に比定されており、8世紀後半の井戸から「小治田宮」と記された墨書土器が多数出土している(上の写真㊧)。石神遺跡から見つかった7世紀前半の朝鮮半島産の硯(すずり)「獣脚硯(じゅうきゃくけん)」(同㊨)なども展示している。

 

 663年、倭国は朝鮮半島の白村江で新羅・唐の連合軍に大敗する。連合軍の侵攻を恐れた中大兄皇子(天智天皇)は国を挙げて大規模な防衛対策に乗り出す。まず北部九州の守りを固めるため大宰府の北側に水城(みずき)や大野城を築いた。水城は総延長約1.2kmに及ぶ長大な土塁。日本書紀は「大堤を築きて水を貯えしむ。名づけて水城という」と記す(上の図は「筑紫平野の防衛ライン」)。大和や讃岐、対馬にも山城が築城された。西日本各地には吉備の「鬼ノ城」(上の写真㊨)など古文書に記述がない山城や石塁なども多く残る。さらに都を飛鳥から内陸部の近江大津宮に遷した。

 

 天智天皇没後、壬申の乱で勝利した大海人皇子(天武天皇)も白村江の敗戦を教訓に、唐の巨大な軍事力や国家体制に追いつく必要性を痛感する。王宮の飛鳥浄御原宮には後の大極殿に相当する「エビノコ大殿」が建てられ、宮内には各種の役所や海外からの賓客をもてなす苑池も造られた。飛鳥時代最大の官営工房、飛鳥池工房遺跡は当時の技術水準の高さを示す。同遺跡からは「天皇……」と記された最古の木簡も見つかった(上の写真㊧=複製)。この木簡に書かれた「天皇」は天武天皇を指す可能性が高い。石神遺跡からは最古の暦が書かれた7世紀後半の「具注暦木簡」(写真㊨=複製)が出土した。当時の役所で暦が使用されていたことを示す。

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