く~にゃん雑記帳

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<桜井市埋蔵文化財センター> 企画展「魅惑の玉」

2015年01月08日 | 考古・歴史

【市内の古墳群や遺跡から出土した勾玉や管玉など一堂に】

 古墳時代の墳墓が多く集積する奈良県桜井市の市立埋蔵文化財センターで企画展「魅惑の玉」が開かれている(4月19日まで)。当時の鮮やかな色を今に残す勾玉や管玉、切子玉、棗玉(なつめだま)、梔子玉(くちなしだま)……。市内の古墳から出土した様々な玉類が「身にまとう玉」「神にささげる玉」「ガラスの来た道」などのテーマごとに展示されている。

  

 古墳時代中期、5世紀末の赤尾崩谷(くずれだに)古墳群。その方墳や円墳からは1万点を超える夥しい玉類が出土した(上の写真㊧棺内から見つかった首飾り)。中でも1号墳からは棺内の被葬者が身に着けた状態で翡翠(ひすい)や琥珀(こはく)、碧玉、ガラス、金、銀など様々な材料で作られた玉類が見つかった。首に3連の首飾り、両手首には玉のブレスレットを着け、肩から胸にかけてガラス玉を縫い留めたショールのようなものを羽織っていたとみられる。被葬者は大王家に重用された朝鮮半島からの渡来系豪族と推定されている。

 古墳からは碧玉や緑色凝灰岩を加工した腕輪形石製品も見つかっている。棺の中に副葬品として死者の周りに配置されていた。腕輪として利用されることはほとんどなく、権威を象徴する儀式の道具や魔除けのような存在だったとみられる。祭祀用に用いられた玉類の1つに子持勾玉(こもちまがたま)がある(上の写真㊨)。長さ10cm前後の大きな勾玉(親玉)に小さい勾玉形の子玉が付いたもの。多産や豊穣を祈るための祭祀道具とみられる。

 

 金や銀製のアクセサリー類は古墳時代後期になって多くなる。ただ金・銀が国内で採掘されるのは7~8世紀頃から。それ以前は舶来の貴重品で、メッキ加工も盛んに行われた。ガラスは東アジアを経て弥生時代に日本にもたらされた。桜井市内では上之庄遺跡で古墳時代前期に滑石や碧玉の玉作りが行われ、7世紀頃になるとガラス玉の生産も始まった。上之庄遺跡や谷遺跡、上之宮遺跡からは、たこ焼き器のような小玉を作る鋳型も出土している(写真㊧)。古墳からは異国で作られたガラス製品も見つかっている。双築(なみつき)古墳群の1号墳から出土した紺色の玉(写真㊨)は、西アジア~地中海周辺地域で発達しローマガラスの素材にもなった「ナトロンガラス」と呼ばれるものという。海上の交易ルートをたどって日本まで運ばれてきたとみられる。  

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