定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

振(ブ)れる思い

2015年01月12日 20時26分16秒 | お仕事関係
※ZARDのヒット曲のタイトルではありません。


この三連休、会社の予算作成のため、自宅で悶々とした三日間を過ごした。

新政権初となる国補正予算をわが社の予算に少しでも多く取り込むため、いざという時にすぐに会社に出向けるよう、予算主管課から、3日間余儀なく自宅待機を強いられていたためである。
自宅待機を強いられている間は、首輪につながれた犬のようなものである。
外食も出来なければ、自宅での飲酒もご法度。
わが社の言葉で「連絡体制」なるものが「解除」されない限り、自宅待機している社員は、休日といえども、心のスイッチをオフにすることは出来ない。

本日、三連休の最終日の夕方になって、やっと予算主管課から「解除」の連絡が入った。

私は少し予算主管課に対して小言を言ってしまった。

予算主管課が先週末に示していた書類作成期限は
①予算要求総括表 1月10日(土)午前12時まで(期限厳守!)
②予算要求個票 1月12日(月)午前10時まで(期限厳守!)

予算主管課としては、①の期限より前のタイミングで、自宅待機している各課の社員に対して、現在の状況、提出期限の延長を報告すべきである。

①の報告延長状況に連動して、②の提出期限もあらたに設定のうえ周知するべきであろう。

それら①②の状況報告を一切飛ばして、本日夕方になってやっと「解除」連絡とは・・・・

予算主管課の若い担当者に遅延理由を確認したところ、「本社予算の総元締めである財政担当課から連絡が無かったから・・・」と口ごもる。

「財政担当課の横暴から各課を守ることも、予算主管課である君たちの大事な仕事の一つでは無いのですか?」

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今から12年前、自分が予算主管課で、この若い担当者と同じ仕事をしていた頃を思い出した。

各課と財政担当課との狭間で上手に立ち回れなかった自分は、当時の上司である係長から過度の指導を受けた。(※ホームページ 「奈義のいた村」を参照)

その時係長から
「性格異常者」
「善人面した悪党」
「言語障がい者」
等々、数々の罵詈雑言を繰り返し、密室の会議室で浴びせられていた。

これらの過度の「指導」の中で、当時実践は出来なかったが、肝に浸みた言葉が有った。

「各課の社員のため、財政担当課とケンカすら出来ない弱みそか。」

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今の予算主管課は、12年前に自分がいた頃に比べると、上部組織である財政担当課に対して物を言えない、弱体化した組織に陥っており、その結果、実際に予算を作成している各課の負担が増大している。

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当時の上司の「指導」語録は、自分が係長になって以降、反面教師として実践してきたが、この言葉は箴言だった・・・

この三日間ずっと、仕事のスイッチをオフに切り替えられなかった自分は、こんなことも考えるようになり始めた。