瑳峨三智子さんは大映の女優さんではないのですが、大映作品によく出ていて
お馴染みなので今回取り上げました。
彼女は京都の出身で、昭和27年(1952)にまず東映に入社し、昭和31年(1956)に
は松竹に移籍しました。デビュー時の芸名は嵯峨美智子でしたが、途中で瑳峨
三智子に改名しています。
彼女はご存知のように山田五十鈴と月田一郎の間に生まれた一人娘で、生まれ
て暫くして両親が離婚したことなどから数奇な生い立ちを経ています。
東映に入ってから山田五十鈴さんと母娘対面をしたものの、2人の間柄はしっく
り行かず、母親を「山田さん」と呼んだり、いさかいを繰り返しては「あの鬼ばば」
と言ったりしたことは有名な話しです。
そんな瑳峨三智子でしたが、交渉事が上手く行って東映時代にも松竹になって
も大映映画によく出ています。亡くなるまでの彼女の映画出演は143本ですが、
その内23本が大映です。その内訳は雷蔵との共演が13本、勝との共演は6本で、
後は長谷川一夫先生、北原義郎、林成年、若尾文子との共演が各一本の計23
本という訳です。
雷ちゃんとの共演が特に多いのですが、彼女の持ち味が雷ちゃんのそれとよく
合うというのがその理由でしょうが、もっと本格的に二人の共演物を作ると良か
ったのにと思います。
彼女は町娘からお姫様まで、加えて明るいものから影のある役柄までと幅が広
いし、何をやらせても上手いお芝居をするし、またあの独特のお色気はお母さん
譲りだとみんな囁いていました。
昭和37年(1962)に岡田真澄と婚約するも2年後には婚約を解消しているし、それ
からトラブル続きで失踪騒ぎも度々起こしています。俳優・森美樹とのロマンスも
ありましたが、それも森美樹がガス中毒死したことで悲劇に終わっています。
素晴らしい女優資質を持ちながら、それを充分に生かせず仕舞いのまま、平成
4年(1992)8月に旅行先のバンコクでくも膜下出血のため急死しました。享年57
歳でしたが、存命していたら今年で80歳です。