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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (91) 三益愛子さん

2015年12月07日 | 日記

 

              

 

      

 

    先日、紺野ユカさんと話をしていたら、「私、三益愛子さんの最後の母もの『母の旅

    路』に出ていたのよ」と言うのです。この映画は昭和33年(1958)に製作されたもので、

    原作・川口松太郎、監督・清水宏。三益さん主演で佐野周二、藤間紫、仁木多鶴子、

    金田一敦子、紺野ユカに柴田吾郎の名前で田宮二郎も出演して、私も宣伝で走り

    回った記憶があります。そんな事を考えながら、三益愛子さんはどうしてもアップ

    べきと考えました。

 

    彼女こそ戦後大映の母もの映画で一世を風靡した大女優さんです。明治43年に大

    阪で生まれた三益さんは高等女学校を中退し、まず舞台に挑戦して成功、エノケン

    や古川ロッパなどの相手役などで活躍、昭和10年に東宝入りします。

    当時妻子があった川口松太郎と恋愛して川口浩を産みますが、入籍をしないまま

    過ごし、昭和26年にやっと正式夫人となります。暫くは家庭で落ち着いた生活を

    っていたのを、川口松太郎の勧めで芸能界に復帰、昭和22年(1947)に川口松太郎

    が大映の専務に就任すると同時に彼女も大映入りしました。そして悲劇の母を演じ

    た「母もの」シリーズが大ヒット、母ものだけでも33本の主演をしています。

    三益愛子さんはその前も後も約60本の大映作品に出演していますが、母もの以外

    でも「赤線地帯」「大阪物語」などで際立った演技を見せてくれました。

    昭和34年(1959)の「四谷怪談」を最後に大映を去り、活躍を舞台に移されましたが、

    菊田一夫の「がめつい奴」で大ヒットを飛ばしたほか、乞われて映画出演もされてい

    ます。残念なことに昭和57年(1982)膵臓癌のため71歳で亡くなりました。

 

   ↑ 「母の旅路」のスチールです。懐かしい顔が一杯ですので探してください。

  

     

      ↑ 九州に来られた時の三益さん。右の写真の4人目が三益さん、6番目が川口先生

   

 

 

コメント (7)
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