先日、紺野ユカさんと話をしていたら、「私、三益愛子さんの最後の母もの『母の旅
路』に出ていたのよ」と言うのです。この映画は昭和33年(1958)に製作されたもので、
原作・川口松太郎、監督・清水宏。三益さん主演で佐野周二、藤間紫、仁木多鶴子、
金田一敦子、紺野ユカに柴田吾郎の名前で田宮二郎も出演して、私も宣伝で走り
回った記憶があります。そんな事を考えながら、三益愛子さんはどうしてもアップす
べきと考えました。
彼女こそ戦後大映の母もの映画で一世を風靡した大女優さんです。明治43年に大
阪で生まれた三益さんは高等女学校を中退し、まず舞台に挑戦して成功、エノケン
や古川ロッパなどの相手役などで活躍、昭和10年に東宝入りします。
当時妻子があった川口松太郎と恋愛して川口浩を産みますが、入籍をしないまま
過ごし、昭和26年にやっと正式夫人となります。暫くは家庭で落ち着いた生活を送
っていたのを、川口松太郎の勧めで芸能界に復帰、昭和22年(1947)に川口松太郎
が大映の専務に就任すると同時に彼女も大映入りしました。そして悲劇の母を演じ
た「母もの」シリーズが大ヒット、母ものだけでも33本の主演をしています。
三益愛子さんはその前も後も約60本の大映作品に出演していますが、母もの以外
でも「赤線地帯」「大阪物語」などで際立った演技を見せてくれました。
昭和34年(1959)の「四谷怪談」を最後に大映を去り、活躍を舞台に移されましたが、
菊田一夫の「がめつい奴」で大ヒットを飛ばしたほか、乞われて映画出演もされてい
ます。残念なことに昭和57年(1982)膵臓癌のため71歳で亡くなりました。
↑ 「母の旅路」のスチールです。懐かしい顔が一杯ですので探してください。
↑ 九州に来られた時の三益さん。右の写真の4人目が三益さん、6番目が川口先生
日本の母親といえば三益さん、という感じですね。大映退社後の35年に、東宝の「太平洋の嵐」で夏木陽介さんの母親役で出演されていて、やはり日本の母親を感じさせてくれる役でした。この作品には榎本健一さんも出演されていました。
川口ファミリー勢揃いの写真も、今となってはなんとなく切ないですね。川口恒さんは小さいころからああいう顔立ちだったのですね。二段目の左側のスチールですが、男性は根上淳さんでしょうか。
話は変わりますが、先週の川崎さんと若尾さんのスチールの隅に「大映スコープ」という表示がありました。大映のワイド画面は、他社よりも横長に感じられるのですが、合っているでしょうか。
川口専務が大映を離れ、三益さんや川口浩も大映を去って行きました。
まるで大映の盛運を失った感じでもありますね。
二段目のスチールの男性は根上淳さんです。
当時はシネマスコープをそれぞれ大映スコープとか東映スコープとか
言っていて、サイズはみんな同じです。
この映画は昔スカパーで見たことがあるのですが、柴田吾郎は映画の中では、確かサーカスでの空中ブランコの練習中に出てきたような記憶があります。もしかするとセリフはなかったのでは? そういえば、三益愛子さんの母もののひとつである、「母」にも出ていました。医者の役で、「キミ、いいからだしてるね」と言って、男の患者を診察する役でした。こういう映画をみると、後にあのように活躍するような俳優がこんなに下積みが長かったとは、と思わざるを得ません。しかし、本当に若いころの彼は男前です。
大映はすごかったですね。
8枚目の写真、三益さん、川口さん、野添さん好きでした。3人が揃った、増村監督のデビュー作くちづけ良かったです。メロディが今でも聞こえます。
大映のニューフェイスは原則として演技研究所で1年間勉強して映画に出るようになります。
それからも下積みから始まりますので大変ですが、しっかりした基礎演技の勉強をしている
ので、伸びるひとはぐんくん成長します。
このスチールには、懐かしい三益愛子さん、佐野周二さんに、田宮二郎、仁木多鶴子、金田一
敦子、紺野ユカ、浜口喜博などの顔が見えます。
自画自賛になりますが、大映って素晴らしい映画会社だったと思います。
そんな会社ですから私も入社したのだし、その後、本を出そうと考えるに至り
ました。
それはこの記事本文の文章中にある『母もの映画』なるものですが、この母もの映画と言うのは私のタイトルの文章中にも書きましたが、倒産した大映の十八番〈おはこ〉だったと私〈牢壮〉は聞いています。
そこで極めて単純で初歩的な質問ですが、この母もの映画と言うのは『ストーリー的』にはどのような内容の映画なのでしょうか? いわゆる『センチメンタルなメロドラマ』的なストーリーなのでしょうか?
これは前にも書いたと思いますが、念の為にもう一度、書けば私〈牢壮〉は1962〈昭和37〉年10月生まれの満53歳で大映の全盛期をリアルタイムでは全く知らない世代です。どうか『御教示』して下さい。
因みに蛇足として付け加えるならば大映テレビ室が分離独立して発足した『大映テレビ株式会社』が1970年代に制作してTBS〈東京放送〉系列で全国放映された有名なあの『赤いシリーズ』にはストーリー的には倒産した大映が制作した『母もの映画』の影響があると言われています。
今回は以上です。