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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (4) 三条江梨子さん、三木裕子さん

2014年03月10日 | 日記



  

     
     ↑ 左から三条、高松、野村監督、本郷、渡辺カメラマン(以前アップ済)


     三条江梨子と三木裕子の二人は、今までこのブログにも少しばかり顔を出して
     いますが、改めて取り上げたいと思います。

     まず三条江梨子は新東宝で三条魔子として活躍していましたが、昭和36年に
     新東宝が倒産、それから大映に入ってきた人です。
     昭和37年に橋幸夫の恋人役で出演することになり、それを機に三条江梨子に
     改名しました。
     大映では23本の作品に出演していますが、大映の倒産とともに芸能界を引退、
     日系三世の男性と結婚してハワイに住んでいました。現在はラスベガスに移り、
     カラオケ教室の先生をしているそうです。

     私も撮影所で、そして鹿児島ロケで一緒したし、ロケの帰途の途中で東京に戻
     す中継を博多で引き受け、一日間でしたが彼女との交友もありました。
     彼女が東京に戻り、盲腸で入院したとの報せを受け、その月の宣伝会議で上京
     した際に世田谷の病院へ見舞いに行ったことなどを思い出します。

     彼女の事で一番の思い出は、「視界ゼロの脱出」の指宿ロケで、指宿海上ホテ
     ルにロケ隊が宿泊していた時の出来事です。
     当時の大映ではスター級の俳優さんでもマネージャーを付けることは許されず、
     身の回りの世話をする付き人はOKでした。そこで彼女がロケに連れてきたのが
     お父さんでしたが、親娘でない様子を見た人がいて、それがお父さんではなくパ
     トロンだという話がロケ隊全員にパッと広がったのです。
     私はその後で彼女を博多や東京とかで、余程その真偽を聞こうと思ったのです
     が止めました。
     彼女は現在71歳。ラスベガスで幸せに暮らしているのなら、それでいい・・・と私
     は思っています。


     もう一人は三木裕子です。昭和36年に大映に入社、「嫌い嫌い嫌い」がスタート
     で、引続いて出演した「痴人の愛」などに出演、活躍を楽しみにしていた女優さ
     んでした。それからバタバタと22本の映画に出演し静かに消えて行った人です。

     私的に大映で好みの女優さんは何人かいますがその内の一人で、小柄ながら
     均整の取れたスタイル抜群の素敵な女性でした。
     九州各地で開催した「本郷功次郎まつり」に、叶順子とともに華を添える意味で
     参加してくれたし、私も楽しい数日間を過ごした思い出があります。

     映画に出ると結構派手な感じでしたが、本人は大人しいごく普通のお嬢さんで
     した。
     もう少し強い気持ちの持主でないと、映画界は生き残れない世界ですので、と
     ても残念な思い出を残している彼女でした。

     

  
                 ↑ 2枚とも三木裕子と私です

     ↑ 左から阿部脩、叶順子、浅野九州支社長、三田村元、本郷功次郎、三木裕子
     
コメント (8)
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