kazuフォトローグ

「徒然なる日常」を写真で語ります。

静寂

2012年01月30日 | 
喧騒そのものの中央高速・甲州街道沿いの寺、日蓮宗・覚蔵寺。
少し脇道に入ると、静寂の空間が広がる。
下高井戸界隈は、この寺の地所が多い。
割安な住宅の広告は、良く見ると、この寺の借地権が設定されている。

光沢のある御影石の塀の内側に、竹林が風情を醸し出す。
さぞかし手入れが大変だろう。
そんなことは余計な詮索か。
ともあれ、癒される空間ではある。

「あすという日が」

2011年04月30日 | 
「あすという日が」という合唱曲を、初めて聴いた。
涙が止まらなくなった。
自分が今、安全と思える場所にいて、
さまざまな歌、歌詞が、これまでのものとは違って聞こえる。

「ふるさと」を、P.ドミンゴがコンサートの最後に歌った。
そんな何気ない、あたり前だった風景が、心にしみる。

都市の造形がゆがんで見えた。

下高井戸は寺町?

2011年03月03日 | 
杉並区下高井戸、甲州街道沿いに並行した暗渠の上に、玉川上水公園、第一、第二、第三と名前がついている。
ここは寺町? と思えるほど、二、三、四丁目には、一つずつ寺がある。龍泉寺、覚蔵寺、宗源寺。
中でも、三丁目の覚蔵寺は、堂々たるものである。
1日放送のNHKTV「クローズアップ現代」の、‘お墓に異変!寺離れをとめろ‘に出てくる寺とは、状況が違うようだ。

番組の中の、600年も続いてきた寺が、檀家10人しかいなくなった、という話もすごいけれど、葬儀社がその寺と組んで納骨堂をつくり、新しいビジネスとして注目を集めていることも、時代を感じさせる。
そうした中で、「仏教が、自殺をするなど、ほんとうに困っている人たちの役に立っているのか」、と立ち上がった若い僧侶の姿に、拍手をおくりたくなった。地域の人々のためになる寺、それこそが、そこに寺が建てられた原点だったのではないか、そんな思いがしたのだ。

真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺

2010年12月04日 | 
高幡不動尊を正式名称で言うと、お経のように随分と長い。
不動堂に入ったら、「般若心經」が置いてあった。
もともとインドの経典を中国語に訳したものを、漢字読みにしたものだが、
「・・・色即是空空即是色・・・」ぐらいしか知らない。しかも、分かりにくい。むずかしい。
だから、深入りしないことにした。
で、伽藍である。こちらは形あるもので分かりやすい。江戸時代安永八年(1779)仁王門以外焼失してしまったが、昭和50年代以降に再建された。
五重塔は平安時代初期の様式で建てられたという。各軒下に提灯が下げられているが、何を意図しているのか分からない。
今度、行った時、聞いてみよう。

凛々しいですね~

2010年12月03日 | 
紅葉を見るためだけで、何の知識を持たずに行った日野市の高幡不動尊。
境内の一角に、何やら銅像が立っている。
近寄って見ると、なんと土方歳三像。
彼は、現在の日野市石田の生まれ。ここ高幡不動尊金剛寺は菩提寺なのだ。
明治2年(1869)没。享年35。
先週、坂本龍馬が見廻組に殺されてドラマ「龍馬伝」は終わったけど、土方歳三は榎本武楊とともに箱館政府をつくり、幹部として陸軍奉行となるのである。
その翌年には、新政府軍との箱館戦争で命を落とす。これには徹底抗戦を主張する土方を排除するため、味方に暗殺されたという説もある。
いずれにせよ、どちらも暴力革命の犠牲者である。

身代わり本尊(新丈六不動明王)高幡不動尊

2010年12月03日 | 
撮影禁止の張り紙が何処にもない。
若者が一人、長い間、この不動明王に頭を下げていた。
ストロボをたくのがはばかられたが、何枚かシャッターを切った。
若者は、全く意に介さない。思いつめるほどの願い事があったのだろうか。
像は異様に黒光りし、不自然だった。
後で、案内書を見たら、1,000年も前の本尊は、近年修復を終え、奥殿に安置されているという。
こちらは、拝観しそびれた。

♪今日でお別れね~

2010年11月30日 | 
近場で最後の紅葉を見ようと、京王線の高幡不動に出かけた。
上京して40年以上、この私鉄沿線界隈に住んでいながら、一度も行ったことがない。
桜上水から高幡不動まで、急行・特急を乗り継いで30分弱。深大寺に行くのと似たようなものだ。
「京王ニュース」の新聞折り込みがなければ、行くことはなかっただろう。
駅ビルが出来ていて、駅前も開けている。
参道はすぐ。徒歩5分。高齢者にはありがたい。
境内ではなぜか、山形名物串コンニャク、三陸のワカメ、北海道の干しタラなどの海産物、岐阜の富有柿の販売。
デパートの物産展ではないぜよ。
奥に行くと、見事な紅葉である。数えなかったけど約1,000本もの紅葉があるそうだ。
「今日が最後だね」と三脚立てて、キャノンのファインダーのぞいていたアマチュアカメラマン。
そのそばで、シャッター切っていたら、「そんなに脇あけてたら手ぶれするよ」と言われてしまった。
いい加減な、もと自称プロである。基本をすっかり忘れてしまっていた。反省。

御神木も生きているのですよ!

2010年10月24日 | 
山形・山寺立石寺奥の院の仙台・秋保大滝不動堂。
お堂の脇に、銀杏?の御神木がありました。寺に注連縄?と思ったのですが、神仏混淆の名残でしょう。
近寄って見ると、幹にびっしり一円貨が押し込まれているではありませんか。
いかに安易に御利益を望むにせよ、これじゃ木がかわいそう。
かといって、注連縄の前に、さい銭箱置くのも、なんだかなあ、という感じです。
ご住職は、植物保護の立場からどう判断されているのでしょう。

家紋はダテじゃないよ

2010年10月15日 | 


「竹に雀」が、伊達家の家紋、とばかり思っていたら、他にもあるんですね。
その数なんと13。始祖の家紋は、源頼朝からいただいた「三つ引両」。仙台市のロゴマークは、これをデザインしたもの。「仙」をうまく丸めました。
「竹に雀」は上杉家から。伊達正宗は、それを後ろ楯にしようと、この家紋を多用。一番知られるようになったんですね。
写真の雀の目、怖そう。お隣りの家紋は「九曜」。これは恒武平氏から正宗の時に。
二つの家紋で、仙台・北山の輪王寺は、正宗ゆかりの寺ということが分かりますね。
他に「菊」、「桐」などもあるけど、それぞれ皇室、豊臣家がルーツ。
家紋の多さは、それだけ、長い間、さまざまなつながりを持ち、乱世を生き抜いてきたという証。
伊達家の家紋はダテじゃない。お粗末さまでした。
(輪王子・蘭庭堂の扉=9代政宗夫人の名をつけた堂)