かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

金福の旅 その6 手繰ヶ城山古墳

2012年07月07日 | Other Western Japan

まだ昼だが、久しぶりに1R回ってきた。流石に調子出ず。

それにしても、晴れたり、雨降ったり、風吹いたり、落ち着かない天気。夕方には、夕立も?梅雨もそろそろか?
夜は、横浜での飲み会に出動予定。



ネットで調べたら、永平寺近辺に、古墳が多くあるらしい。ただ、情報集め不十分で、うろちょろしていたら、この看板が見つかった。古墳群の中でも、最大級の手繰ヶ城山古墳の登り口にあった。車で行けそうなので、登って行ったら、かなり近くまで行けた。



最後の10分ぐらいは歩き。雨も小降りになって、森の中のしばしの散歩が楽しめた。マイナスイオンがいっぱいだ。



最初に見えたのが、この方墳。陪塚だった。26m×19mのサイズという。



森が伐採されているところに出た。前方後円墳の尾根だ。左半分は、伐採されておらず、元の姿がわかる。手前が方墳側になる。



古墳を尾根づたいに行き、後円部側から、方墳サイドを、逆に見下ろしたところ。円墳側の方が高くなっていることがわかる。
それにしても山の中。大阪や、奈良の古墳とは、ずいぶん趣が違う。元にあった山をどの程度生かして作ったのだろうか。
詳細な研究レポートが見つかった。2段構造になっていて、埴輪が発掘されたという。石棺等は、見つかっていない。



円墳の頂上からは、福井平野が一望にできる。日本海も見える。この地域を支配していた大首長のお墓にふさわしい埋葬地だ。出身地であった、韓国方向を見下ろしていたのかもしれない。



最初に登ったところの反対側(方墳の右下側)に看板があった。
全長128mで、福井県で二番目の大きさという。
4世紀のもの考えられており、大和政権が成立していたか微妙な時期だ。
継体天皇の出身も、このあたりだとする説がある。
とすると、このあたりが、今の天皇家の本当の発祥の地なのかもしれない。

コメント
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