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感覚のズレ

 私の住む市では4月22日に市長選挙・市会議員選挙が行われる。それに先立って県会議員選挙も行われるため、これからしばらくは選挙で町中がやかましくなる。いつの間にか候補者のポスターを貼る掲示板も市内のそこかしこに設置された。


市議会議員選挙には、定数28に対して40人近くが立候補する予定だと言われている。地方都市の市議会議員選挙としてはかなりの激戦になるようだ。何故それほど多くの人が議員職を望むのか分からないが、一度そういう思いを抱いてしまうとなかなか夢から覚めることは難しいようだ。
 その好例とも言うべき人物が、18日の日曜日に市議選に向けての「事務所開き」を私の家の近くで行った。8年前の市議選に新人として立候補して、当地区の人々の支援を集めて初当選を飾ったのだが、4年間の市会議員職にある間に支援者の望む働きができなかったためなのか、地位に胡坐をかいて自分を見失ってしまったのか、4年前の選挙では落選の憂き目にあってしまった。周囲の人々は、もうそれで諦めたものと思っていたようだが、今年に入って立候補に向けた準備を始めた。はっきり言って当地区での評判は芳しくないし、前回の選挙では最初の選挙で応援した人々の多数が離反してしまったのが大きな敗因であった。それを自分なりに反省して、身を正して今回の選挙戦に臨むなら離れた人心を取り戻すこともできようが、どうもそんな様子は伝わってこない。しかし意気込みは立派なもので、町内で廃業して空き家となった八百屋を選挙事務所に借りて、周囲をすべて紅白の板で囲ってしまい、一見して選挙事務所であると分かるように飾り立てた。

 

「えらいお金をかけるもんだ」と私の父は呆れ顔で言っていたが、同じ地区の住民である以上無碍にもできず、「事務所開き」には出かけていった。帰って来た父に様子をたずねてみると、「人が少ない、あれじゃあダメだなあ」と改めて人気のなさを実感したようだった。私には何の関係もない人物であるから、彼がどうなろうと大した興味は持っていないが、昨日車で選挙事務所の前を通りかかって驚いた。候補者の名前を書いた立て看板の横に、ある政党の名前が大きく記された立て看板が並べられているではないか。紅白の壁の上には、その政党のポスターがベタベタと貼ってある。これを見て私は、「何て鈍感な人だろう」とあきれてしまった。
 私たち市民が市会議員に期待することは、生活をよりよくするために私たちの意見を市の行政担当者に伝えるためのパイク役であろう。そうした私たちの声を行政に反映させるために、地道で真摯な活動をしてくれる人物を選ぼうとするのが市議会議員選挙だと私は思っている。そのため、多くの立候補者が地域の代表を標榜して、政党の推薦や公認を受けたりはしない(組織のしっかりした政党の候補者を除いて)。しかも、今は宮崎県で東国原知事が当選して以来、どの選挙の立候補者も政党色を薄めようと躍起になっている。そうした時流に逆らうように敢えて政党色を前面に打ち出して選挙戦を戦おうというのだから、政治的感覚は言うまでもなく、市民的感覚が全く欠落しているとしか思えない。
 落選中にその政党との結びつきが強まったのかもしれないが(事務所開きにはその政党から先の衆議院議員選挙に立候補して落選した元国会議員の奥さんが出席していたそうだ)、そんなものを市会議員選挙に持ち込もうとする感覚のズレというものは如何ともしようがない。
 これではとても当選は覚束ないと私は思うのだが、結果はいかに。
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