JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

名古屋大曽根御朱印巡り③

2024-06-22 | 御朱印めぐり
名古屋大曽根のの御朱印巡り、出来町通りに戻り、バスで移動します。

出来町通りは全国でも名古屋だけにある基幹バスが走る通りです。通常路線バスは一番左端(歩道に近い)レーンを通行しますが、基幹バスは一番内側のレーンを走行し、路面に打たれた鋲や色を変えた舗装でバス専用のレーンとしています。路面電車をそのままバスに置き換えたようなスタイルで、停留所同士の間隔を広げて所要時間を短くしています。

しかしながら停留所は道路の中央に島状に設置されるため、一般のバスでは運転席側に降車できないことから、バス停の前後で車線が屈曲することになります。車両に特別な設備が不要で、地下鉄の建設費よりも遙かに安く作れますが、車線数の多い道路でないと一般車の渋滞を招く上に道路構造を大きく変えないといけないため名古屋以外では普及しなかった面白いバスです。


バスを降りて東界寺に向かいます。

1728年に尾張徳川家6代藩主・徳川継友の母であった泉光院が創建した真言宗豊山派の寺院です。本尊は継友の父である3代藩主・徳川綱誠の念持仏であった薬師如来で、鎌倉時代の運慶作とされています。10代将軍の徳川家斉には53人の子供があったとされますが、綱誠も40人(男22人・女18人)の子だくさんであったそうです。継友は十一男にあたり、ケチと言われながらも1.3万両あまりの黒字を残し藩財政の立て直しに成功しています。はしかのため39歳で死去し、十九男の宗春が7代藩主となっています(4代~7代までが綱誠の子)。

山門は2017年、本堂は1995年にそれぞれ建て替えられたものです。

東界寺の御朱印です。現在のご住職は先日熱田でお参りした弥勒院がご実家だそうです。


締めは六所神社です。

創建は12世紀末とされますが実態がよく分からないそうです。文献に登場するのは17世紀後半からのようです。境内は森になっていたと言われます。1967年に現在の社殿が完成しています。

六所神社の境内には「龍神社」があります。すぐ近くにはバンテリンドームがあり、龍神社の話を聞きつけたドラゴンズ球団の社長がお参りしたところチームが連勝したのだそうです。この日はドームでオープン戦の開催日でしたが、残念ながらお参りしているファンはいなかったです。ちなみにこの日はロッテと1-1で引き分けだったそうです。ファンの方、ぜひ龍神社で必勝をお願いしてからドームへどうぞ。

六所神社と兼務社の白山神社の御朱印です。


雨が降って寒いため今回はここまで。大曽根駅が近いのでJRで帰宅しましょう。

今回はご紹介しませんでしたが徳川公設市場など庶民的なスポットもあり、この界隈は町歩きにぴったりだと思います。


今回の御朱印情報です。
山田天満宮  3種を授与所で授与(境内社含む)。オリジナル御朱印帳あり。
片山八幡神社 1種を社務所で授与。
徳源寺    2種を寺務所で授与(1種は書き置きのみ)。
建中寺    1種を寺務所で授与。
東界寺    1種を庫裏で授与。
六所神社   2種を社務所で授与。兼務社白山神社の御朱印も対応。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 名古屋大曽根御朱印巡り② | トップ | 移動耳より情報 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

御朱印めぐり」カテゴリの最新記事