JF4CADの運用日誌2.5

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太宰府御朱印巡り②

2024-02-27 | 御朱印めぐり
太宰府の御朱印巡り、後半です。帰り道で梅ヶ枝餅を引き替えて太宰府駅に戻り、お隣の五条駅に向かいましょう。

五条駅付近が太宰府市の中心で、徒歩圏には西鉄ストアや市役所があります。少し歩くと観世音寺があります。

観世音寺は746年に天智天皇の勅命で創建された寺院です。天智天皇が母の斉明天皇の菩提を弔うために創建したのですが、造営は遅々として進まず、斉明天皇が亡くなったのが661年ですから約80年かかってようやく完成しています。その後弘法大師空海が唐からの帰国後滞在したり、源氏物語の中でも触れられる九州を代表するお寺でしたが、1064年に火災に遭い、さらに1102年に台風被害を受けるなどで建物が次々と倒壊します。現存する仏像はこの時期に再製されたものとされています。

秀吉の九州平定の際に秀吉を立腹させる事件があって領地を取り上げられて荒廃し、1630年に金堂が倒壊してお堂がない状態となりましたが、黒田家などの援助により金堂と本堂が再建され現在も残されています。

明治になって東大寺の末寺から離れて華厳宗から天台宗のお寺となり、1959年には仏像を守るため鉄筋コンクリート製の宝蔵が完成、仏像はこちらに移されています。

こちらが宝蔵です。「九州の地方の寺の宝物なんて大したことないだろう」と思ったら大間違いで、京都でもなかなか見ない高さ5m前後の大きな仏像が並んでいます。観世音寺の仏像のうち18体が国の重要文化財に指定されており、その多くを一度に見ることができます。これは圧巻です。

観世音寺の御朱印です。なお観世音寺の宝蔵は「太宰府散策きっぷ」を買うと一緒にもらえるクーポンで団体料金になります。


観世音寺のすぐお隣が戒壇院です。

764年に聖武天皇により創建されています。元々は観世音寺の一部であり、唐から渡来した鑑真が753年にこの地で初の授戒を行っており、以後奈良の東大寺、下野の薬師寺と並んで全国で3ヵ所しかない戒壇の場となっています。この当時僧侶はいわば国家資格で、戒壇を受けないと正式な僧侶にはなれなかったため、西国唯一の戒壇の場として貴重な役割を果たしています。

その後僧侶は各宗派が認めるようになり戒壇院は衰退、15世紀頃まで授戒が行われてきましたが観世音寺の衰退と運命を共にしています。廃寺同然となって観世音寺を黒田藩が再興する際に戒壇院は博多の聖福寺などの禅宗寺院が管理することとなって観世音寺から独立、1873年に聖福寺と同じ臨済宗妙心寺派に属することになりました。

本堂は1743年に再建されたものです。本尊は毘盧舎那仏で、12世紀半ばの作とされています。

戒壇院の御朱印です。


福岡市内から日帰り可能ですのでゆっくり回ってみてください。太宰府では他に光明禅寺もありますが、長らく改修工事を理由に拝観を受けていない状態です。

今回の御朱印情報です。
太宰府天満宮 1種を朱印所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
天開稲荷社  1種を太宰府天満宮内の授与所で授与。
観世音寺   1種を宝蔵の受付で授与。
戒壇院    1種を本堂で授与。書き置きのみ。
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