中村公園駅に戻り、名古屋駅乗り換えで国際センター駅に向かいます。
国際センター駅からほど近いところに円頓寺商店街があります。下町の商店街として一時は寂れたものの空き店舗を若い人に貸し出し再生が図られています。
そんな商店街に円頓寺があります。
1654年に日言によって創建された日蓮宗のお寺です。元は国際センター付近にあったようですが、1700年の火災で焼失、1724年に現在地に移転し復興しています。その後門前町が作られたのが円頓寺商店街です。
名古屋大空襲で焼失、その後鉄筋コンクリートで再建されています。
円頓寺の御朱印です。
少し歩くと泥江縣神社があります。「ひぢえあがた」と読むそうです。広井八幡宮とも呼ばれています。
名古屋の町が形成させるずっと前の859年に宇佐八幡宮から分祀され創建されています。「広井」も「泥江」もこの地の古い名前だそうで現在は中区錦1丁目になります。
名古屋城と町の整備で社地を削られ、さらに戦後の急速な都市化でさらに社地を削り現在に至っています。
本殿は鉄筋コンクリートですから、戦後の再建だと思われます。
泥江縣神社の御朱印です。
泥江縣神社から東に600mほど歩くと福生院があります。
途中に「長者町繊維街」の大きな看板がありますが、繊維街の組合が解散し撤去されるそうです。製造販売の一貫化や物流の流れが変わったことが理由みたいです。
福生院に到着。1386年に順誉が中村に創建した真言宗智山派の寺院です。大聖歓喜天を安置しています。その後1617年に現在地に移転、名古屋大空襲で焼失しましたが大聖歓喜天は守られ本堂も再建されています。
付近はビル街となり、コンパクトなお寺に感じてしまいますが参拝される方が多い賑やかなお寺です。
福生院の御朱印です。
まだまだ続きます。
国際センター駅からほど近いところに円頓寺商店街があります。下町の商店街として一時は寂れたものの空き店舗を若い人に貸し出し再生が図られています。
そんな商店街に円頓寺があります。
1654年に日言によって創建された日蓮宗のお寺です。元は国際センター付近にあったようですが、1700年の火災で焼失、1724年に現在地に移転し復興しています。その後門前町が作られたのが円頓寺商店街です。
名古屋大空襲で焼失、その後鉄筋コンクリートで再建されています。
円頓寺の御朱印です。
少し歩くと泥江縣神社があります。「ひぢえあがた」と読むそうです。広井八幡宮とも呼ばれています。
名古屋の町が形成させるずっと前の859年に宇佐八幡宮から分祀され創建されています。「広井」も「泥江」もこの地の古い名前だそうで現在は中区錦1丁目になります。
名古屋城と町の整備で社地を削られ、さらに戦後の急速な都市化でさらに社地を削り現在に至っています。
本殿は鉄筋コンクリートですから、戦後の再建だと思われます。
泥江縣神社の御朱印です。
泥江縣神社から東に600mほど歩くと福生院があります。
途中に「長者町繊維街」の大きな看板がありますが、繊維街の組合が解散し撤去されるそうです。製造販売の一貫化や物流の流れが変わったことが理由みたいです。
福生院に到着。1386年に順誉が中村に創建した真言宗智山派の寺院です。大聖歓喜天を安置しています。その後1617年に現在地に移転、名古屋大空襲で焼失しましたが大聖歓喜天は守られ本堂も再建されています。
付近はビル街となり、コンパクトなお寺に感じてしまいますが参拝される方が多い賑やかなお寺です。
福生院の御朱印です。
まだまだ続きます。