見もの・読みもの日記

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テロとの戦争・そして沖縄/朝日カルチャー講座(西谷修、小森陽一)

2008-01-12 23:32:18 | 行ったもの2(講演・公演)
○朝日カルチャー講座『対談・世界史の中の日本・政治』(講師:西谷修、小森陽一)

 先週の鼎談で小森陽一さんの話術に感心したので、迷っていた今日の講座も聴きに行ってしまった。対話者から面白い話を引き出すのが巧いし、学者どうし、阿吽の呼吸に陥りがちな対話を、噛み砕いて聴衆に提示する方法も巧い。たぶん、出来のよくない学生を指導した経験が豊富なんだろうなあ、と推測する。

 対談のマクラとなったのは、「新テロ対策特別措置法」可決のニュース。参院で否決された法案が衆院で再可決されるのは、1951年の「モーターボート競走法」以来、57年ぶり2例目だという。この「モーターボート競走法」とは、小森氏によれば、競艇の莫大な収益を、笹川良一の日本船舶振興会に集約するために作られたものであり(→Wikipedia)、同財団は、朝鮮戦争(1950~1953)において、仁川から上陸する国連軍=アメリカ軍を支援した(この海域に詳しい旧日本海軍の軍人の参加が必要だった)。57年を隔てた2つの例を対比させてみると、日本の議会が(与党が)どういうときに本気で動くのかが、呆れるほどよく見えてくる。

 今日の対談は、小泉・安倍から福田へという最近の政局が中心になるのかと思っていたら、話はどんどん歴史を遡ることになってしまった。安倍元総理が「脱却」を掲げた「戦後レジーム」の真の姿とは何か? 戦後日本を作ったのは、アメリカのエージェント(代理人)となることで保身・復活を遂げた人々である。愛国を唱える右翼すなわち売国奴であるという、ねじれ現象。アメリカに対する、植民地同然の「自発的隷従」こそ、日本の戦後レジームではないか、と西谷氏。

 ここから話題は「軍備」と「戦争」へ。1648年、ウェストファリア条約によって近代の国際法秩序が定められ、国権の発動としての交戦権が認められた。しかし、国際秩序とは、特定のメンバーシップ(ヨーロッパ諸国)間でのみ通用するもので、それ以外の場所(植民地)では軍事力は無法化する。植民地軍は周辺の住民を守るものではなく、軍の駐屯地だけを守るためにあるからだ。そして、この「限られたメンバーによる秩序ある国際社会/その他の無法地帯」という二分法思考は「テロとの戦争」の原型ともいえる。「テロとの戦争」というのは、なんだかよく分からない他者を、怪しいと感じたら、全て殺してもいいという理屈であり、世界の政治の語り方を滅茶苦茶にしてしまった、と西谷氏は慨嘆する。

 もうひとつ、メンバーシップの中で起きていることは、1979年のサッチャー政権以来の新自由主義の蔓延である。淵源をたどれば、社会ダーウィニズムが唱えた「優勝劣敗」の論理に、人々は魅入られ過ぎている。繁栄を求めるシステムは、結局、アフリカ(=収奪の対象)を必要とすることに気づくべきではないか。

 ここで両氏から、最近の大学って、どうしちゃったんだろうね、という嘆きとも憤慨ともつかぬ本音が漏れたのには、胸が痛んだ。競争原理の導入は大学の活性化が目的だったはずだ。しかし、実際には、金を稼げる学者=勝ち組の論理がまかり通って、良心的な教育研究者のモチベーションは全然上がっていない。この状況が続いたら、日本は取り返しのつかない状態になるんじゃないかしら。それでも両氏は、将来を担う若い人たちとかかわり続けるために、大学を辞めないとおっしゃっていたけれど。

 ほのかな明るさを感じたのは、沖縄の話題。西谷氏は、「集団自決」教科書検定問題に関する緊急集会(2007年9月29日)の際、沖縄にいたそうだ。公共交通機関の乏しい沖縄では、参加呼びかけのビラにバス無料券が付いているとか、会場付近の大きな駐車場が無料開放されるとか、報道されないディテールが面白く、立場や支持政党の違いを超えて集まった人々から西谷氏の受けた感銘に、私も強く共鳴した。

 西谷修さんの本は、読んでみたいと思いながら、難しそうで、ちょっと気後れしていた。とりあえず著者本人が、意外と気さくなおじさん(無駄に難しいことは言わない)であることは分かった。今度、著作も読んでみよう。
コメント (1)
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