見もの・読みもの日記

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和歌と祭祀/昭和天皇(原武史)

2008-01-30 23:48:28 | 読んだもの(書籍)
○原武史『昭和天皇』(岩波新書) 岩波書店 2008.1

 待望の原武史さんによる昭和天皇論! そう思ったのは私だけではあるまい。同氏の『大正天皇』(朝日選書,2000)は、「頭が弱い」「病弱」といわれた大正天皇の人間味にあふれる姿を、巡行中のエピソードや御製の漢詩を使って描き出した、すがすがしい好著だった。

 本書は1986(昭和61)年11月23日から始まる。昭和天皇が執り行った最後の新嘗祭である。翌87年9月から長い闘病生活に入り、89年1月に死去。本書の記述によって、私は初めて、宮中祭祀における天皇の役割の過酷さを知った。時には夕方から未明まで、暖房設備もない暗闇の中に正座して、神に奉仕しなければならない。高齢の天皇に配慮して、座椅子を用いるとか、儀式の一部を省略するなどの対処は取られていたそうだが、「御肉体においても日本人中一番御苦労遊ばされるは、天皇陛下にあらせられる」という掌典職(宮中祭祀の担当官)の感想は、あながち誇張でないと感じられた。憶測するなら、いまの皇太子が登山やジョギングで体力づくりを続けているのも、即位すれば「死ぬまで」続く祭祀王の使命を慮ってのことではなかろうか。

 スポーツ好きで、欧州留学も果たした昭和天皇は、若い頃から宮中祭祀に熱心だったわけではない。彼が祭祀に対する見方を変えていく過程で重要な役割を果たしたものとして、著者は「杉浦重剛、白鳥庫吉の教育」「母である貞明皇太后の影響」「生物学研究によって感得した”自然界の神秘”」を挙げる。いずれも大きな問題を含んでいて、紙数の限られた本書では、十分語られていないような気がするのが惜しい。

 最も興味深いのは、貞明皇太后との”確執”である。本書の先触れともいうべき、保坂正康氏との共著『対論:昭和天皇』(文春新書,2004)でも、いちばん気になった部分だ。戦況悪化が深刻になっても、皇太后は自らを神功皇后に擬して「かちいくさ」を祈り続けた。その呪縛にとらわれた昭和天皇は、戦争終結を主張する近衛・高松宮に、なかなか接近することができなかったのではないかという。女性=非戦平和主義者という短絡思考の持ち主に、熟読してほしい箇所である。

 昭和天皇が戦争終結を決断した究極の目的は、国民の生命や安全ではなく「三種の神器」の護持にあった、というのはよく知られるところだ。近代ヒューマニストの目から見れば、極悪非道の国家元首という批判は免れがたい。しかし、昭和天皇が「三種の神器」とともに守ろうとしたものは何か。最期まで退位を選択せず、肉体的苦行に耐えて平和を祈り続けたのは、単に保身のポーズであったのか。それとも自覚された祭祀王としての責任の遂行であったのか。やっぱり、天皇制には近代合理主義だけでは解明できない部分があるように思った。

 戦後の昭和天皇は、自らの心中を語る言葉を、あまり多く残さなかった。しかし、その和歌はかなり雄弁である。冒頭の新嘗祭からさらに1年余、1988年8月、全国戦没者追悼式への出席(このときの「おことば」も率直・簡潔でよい)のあと、18日に那須で詠んだ歌。死の半年前である。

  やすらけき世を祈りしもいまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど

 私は不覚にもこの1首に感動した。これは、まぎれもなく、ほかの誰にも詠めない「天皇御製歌」である。島田雅彦編著『おことば:戦後皇室語録』の感想にも書いたように、私は基本的に皇室など「どうでもいい」と思っている。しかし、丸谷才一ふうに言えば、こうした「帝王ぶり」の和歌の伝統が断たれるのは、日本文学史のために惜しいような気もする。
コメント (2)
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