先週の土曜日(7/29)のことであった。
何回かのチャンスを逃していた「ときの広場」の皆さんとのミーティング(懇親会)に、ようやく今回出席できたのであった。
会場は、新潟駅前「海鮮居酒屋」。6時半からでした。
顔を出すとすでに大方の人がそろっていた。
私のBLOG「柄目木庵」からも、この「ときの広場」へのリンクが張ってある。
この「広場」に集うハム仲間達のミーティングであった。
年配の方から若い人たちも、そろって「ハムが大好きな人たち」ばかりなのである。
このことは、当たり前のように思われるが、さにあらず。
実は、私には苦い経験があった。
もう、かなり以前のことであるが、あることを契機にあれよあれよといううちに「無線仲間のグループ」ができた。
まだ、多くの人たちがにぎやかに、華やかにアマチュア無線を楽しんでいた時代であった。
いつの間にか、そのグループの「看板」に祭り上げられていた。
会の規約やら総会もあった。事務局での会報発行もあった。あまりにもがんばりすぎで、整いすぎたようだった。
しかし、
当然のことながら、ハムに対するそれぞれのメンバーの思いは、実にさまざまであった。それでも移動運用などは活発に行ってきた。
しかし、「飲むだけでよい」とか「上からごちゃごちゃ言うな」などと文句が出始めるようになってきた。
事務局を交代していただいたりもしたが、対応し切れなかった。崩壊は時間の問題となってきた。
いつの間にか、私も含めて多くの人が去っていった。
整いすぎた形は多くの仲間を包含するには窮屈となってきていたのであった。
そして時代は、ご存知のように「ハムの世界」も急激に大きく様変わりしてきた。
さいわい、いまやある意味でほんとに「アマチュア無線」が好きな人だけが残った、という状況である。
この「ときの広場」は、広場と名乗るように、まさに「広場」なのである。
ちょっと立ち止まる人もいれば、いつも立ち寄る人がいたり。さまざまである。
私は、このような広場的なお付き合いが、とても気に入っている。
「ときの広場」とは、いわき市の「オーロラグループ」とともに「佐渡移動運用」をした人たちの間から、自然発生的に生まれた。「とき」の名がそこから来ていると聞いている。
月一度であるが、「6mAMのロールコール」をサポートする人が出たり、アンテナ作りに余念のない人、奥様とのマッチングのためにアンテナに苦心されている人、奥様同伴で参加される方、などなどすばらしい方々ばかりである。
共通項は「アマチュア無線大好き」なのである。
実は、この間の「JA0AAさんのアンテナ・メンテ」をお手伝いした人たちも、この仲間でもある。
私は、この夜、孫との約束もあり、少し早めに失礼したのだが、無線談義が夜遅くまで続いたのだとか。最後までお付き合いできなかったことはとても残念ではあった。
次回のチャンスを楽しみにしたい。
何回かのチャンスを逃していた「ときの広場」の皆さんとのミーティング(懇親会)に、ようやく今回出席できたのであった。
会場は、新潟駅前「海鮮居酒屋」。6時半からでした。
顔を出すとすでに大方の人がそろっていた。
私のBLOG「柄目木庵」からも、この「ときの広場」へのリンクが張ってある。
この「広場」に集うハム仲間達のミーティングであった。
年配の方から若い人たちも、そろって「ハムが大好きな人たち」ばかりなのである。
このことは、当たり前のように思われるが、さにあらず。
実は、私には苦い経験があった。
もう、かなり以前のことであるが、あることを契機にあれよあれよといううちに「無線仲間のグループ」ができた。
まだ、多くの人たちがにぎやかに、華やかにアマチュア無線を楽しんでいた時代であった。
いつの間にか、そのグループの「看板」に祭り上げられていた。
会の規約やら総会もあった。事務局での会報発行もあった。あまりにもがんばりすぎで、整いすぎたようだった。
しかし、
当然のことながら、ハムに対するそれぞれのメンバーの思いは、実にさまざまであった。それでも移動運用などは活発に行ってきた。
しかし、「飲むだけでよい」とか「上からごちゃごちゃ言うな」などと文句が出始めるようになってきた。
事務局を交代していただいたりもしたが、対応し切れなかった。崩壊は時間の問題となってきた。
いつの間にか、私も含めて多くの人が去っていった。
整いすぎた形は多くの仲間を包含するには窮屈となってきていたのであった。
そして時代は、ご存知のように「ハムの世界」も急激に大きく様変わりしてきた。
さいわい、いまやある意味でほんとに「アマチュア無線」が好きな人だけが残った、という状況である。
この「ときの広場」は、広場と名乗るように、まさに「広場」なのである。
ちょっと立ち止まる人もいれば、いつも立ち寄る人がいたり。さまざまである。
私は、このような広場的なお付き合いが、とても気に入っている。
「ときの広場」とは、いわき市の「オーロラグループ」とともに「佐渡移動運用」をした人たちの間から、自然発生的に生まれた。「とき」の名がそこから来ていると聞いている。
月一度であるが、「6mAMのロールコール」をサポートする人が出たり、アンテナ作りに余念のない人、奥様とのマッチングのためにアンテナに苦心されている人、奥様同伴で参加される方、などなどすばらしい方々ばかりである。
共通項は「アマチュア無線大好き」なのである。
実は、この間の「JA0AAさんのアンテナ・メンテ」をお手伝いした人たちも、この仲間でもある。
私は、この夜、孫との約束もあり、少し早めに失礼したのだが、無線談義が夜遅くまで続いたのだとか。最後までお付き合いできなかったことはとても残念ではあった。
次回のチャンスを楽しみにしたい。