日本裁判官ネットワークブログ

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「新年の想い」

2016年01月27日 | ムサシ

1 今年の正月は,元日から晴れて風もなく,穏やかな日が数日続いた。今年はよい年になるのではあるまいかという期待を抱かせるような天気で,何となく嬉しい気分であった。
2 ところが期待に反していろいろなことが起きた。新年早々に,高校時代からの50年余に及ぶ親交のあった友人が急死し,通夜に参列した。血液のガンだったそうで,発症から約2か月で帰らぬ人になってしまった。
3 それから間もなく,妻の父が老衰で亡くなった。妻の実家である千葉市から引き取って,私の郷里で老人施設の世話になっていた。昨年6月には満百歳の誕生日を迎え,その施設の第1号の超百歳の長寿者として,その施設からも当地の市長からも祝福され,総理大臣の表彰も受けた。長女である妻とその妹夫婦とともに地元の新聞に写真入りで報道された。妻が元気な父と暫くニコニコと会話して間もなく後に,穏やかに息を引き取ったのである。通夜と葬儀が行われた。
4 その後暖冬の筈が急変して,何十年に一度という強烈な寒波にも襲われた。この調子だと今年は余りよい年にはならないのだろうかと不安な気持ちになりかけていたところ,昨年11月に審理不尽のままで強引に終結されていた民事合議事件が再開されることになり,また面倒な遺産分割調停が事務所にとって嬉しい形で成立し,事務所で臨時の懇親会を開催して祝杯を挙げようかという気分になっている。
5 やはりよいこともあれば,そうでないこともあって,光陰矢のごとく時は流れて行くということなのかも知れない。好きな歌人である石川啄木の短歌に,「なんとなく 今年はよいこと あるごとし 元日の朝 晴れて風なし」というのがある。今年が是非よい年になってほしいというのが,誰しもの切実な願いであることは間違いないところである。(ムサシ)


6 コメント

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Unknown (はるな)
2016-01-28 10:52:33
昨年末、一戸建て物件の入居者が強制執行当日に家財と車を置いて夜逃げした。断行時間10時になり執行官、副代理人、引っ越し業者が物件になだれ込みわたしも後に続いた。懐かしい思い出一杯の家が無残な形になっていたが、業者が引き上げた後、知り合いの女性が来て開口一番「わたしの家も古いけどこれほど汚くない」と言った一言に火が付き暮れから正月は一人でせっせとクリーニングに励んだ。そして今月また可哀想だが賃貸物件としてお嫁に出す。こんどは大事にしてもらえと心の中で祈る。
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清原選手が覚醒剤使用で逮捕勾留され残念です (秦野真弓 しんのまゆみ)
2016-02-04 19:46:13
今年は新年から、事件ありますね
私は,小さい頃、憧れた清原選手の覚醒剤使用→ショック
清原選手の脳
私の脳と異なり
防衛省PAC3同様
球に対し,瞬時に
脳で視覚情報処理する脳力ある筈
わざわざ,覚醒剤により脳力,破壊するなんて、愚か
尚、清原選手の母親も認知症≒通常1400gの脳が800gまで低下する事あり得る病気とか
3月,認知症の御家族に優しい最高裁判決、期待
尚,裁判官の脳って通常,何gですか?
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Unknown (はるな)
2016-02-06 12:20:40
あの清原の情に訴えるようなブログ卑怯にもほどがある。何が子供と別れたあと泣いたとかいって、シャブで逮捕されて、本当に泣いてるのは子供。元妻がどれほど子供を守っても守り切れるものじゃあない。また週刊文春はよけいなこと書いて部数売り上げるのだろう。
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人命を救いたいなら私を勝訴させて、公の場で私の被害を回復して下さい (nisimiyu(西川美幸、元・日本物理学会代議員))
2016-02-07 14:28:15
 3兆円近い価値ある3.11津波事前警告を既にできた私の被害回復に協力して、私にこそ、夢のある再生医療や人工臓器などの研究をさせて下さい。私は2008年頃に、会社の勤務時間の一部を非常勤公務員として研究に充てられる、失敗しても研究費を返さなくて良い国の制度について知りました。しかし、東京大学で博士号を取得してから、履歴書に幼少時IQ199だった事実も書いて入社した私は、当時の勤務先、(株)日立メディコで、この制度への応募を希望したところ、博士号を取得していない男性上司達に、応募自体を禁止されました。私は、希望した研究職のアルバイトを土日等にすることも、会社に顕微鏡などの私物を持ち込むことにより効率良く医療技術をを研究することも禁じられ、兼業は株式投資程度しか許されなかったのです。

 私は、2008年頃から直属の男性上司に
「西川は能力がないと思うから研究はさせない、特許は会社の負担になるから書くな」
と言われました。沢山独自の工夫をしてもこの男性上司は、自分の指示した以外のことは、自ら耳を塞いで聞くことを拒否しました。現在私は既に日立アロカメディカル(株)に転籍したので正直に書いていますが、当時は、男性上司達に特許を書くなと言われていることも、私が幼少時から希望していた研究職への応募自体を禁止されたことも、業務秘密漏洩で懲戒処分になると怖いので、公の場では書けませんでした。

 私は2006年頃から、地道に自宅で医学の勉強や理論物理、疫学などの研究を続けており、最近は、病気や再生医療についての独自理論も考えています。例えば、肝臓は綺麗な六角柱の並んだ構造ですが、これを物理的に説明できないでしょうか?360度は1年の日数には少し足りませんが、6という数字は、大きさの割に約数の多い「丸い数」だから、鏡の部屋のように対称性から反射波が集まりやすく、量子力学に特有の共鳴力で安定になるのではないかと思うのです。「2度あることは3度ある、振り子も一回転すれば振動のモードが大きく変わる」という「カタストロフィーの理論」は中学生の頃に読みました。

 他にも私は、
「月経が左右の卵巣から交互に起きるのはカルマン渦のような流体効果か?」
「臓器の立体的な構造決定に磁気も関係しているのか」
「癌はDNAの相転移のようなものか、生物の系統樹を遺伝子の安定性から説明できないか」
「癌細胞の挙動も、ある程度は単純な電磁気学で説明できるのではないか」
「喫煙者ではビタミンAの多量摂取により却って肺がんが増えた理由について」
など、多様な仮説を考えています。但し、私は物理学が専門の女性博士ではあっても、医師資格はないため、優秀なお医者様達との共同研究を希望しております。裁判官のお知り合いに適切な方がいらっしゃれば、紹介して下されば幸いです。

 日立グループの業績V字回復に最も貢献したのは、3兆円近い3.11津波事前警告を肝心な時にできた私です。私の独自研究を妨害して、犠牲者を増やす方に加害することしかできなかった男性上司達に、権力を与えないで下さい。長年の血の滲むような努力の結果、1万人を超す人命を救い得る3.11津波事前警告を世界で唯一人、肝心な時、肝心の場で、沢山証拠の残る形でできた私にこそ、権力で妨害されないよう身分保障をした上で、自由に最先端の医療技術の研究をさせて下さい。

 2010/9/5の「なゐふる」への投稿など、私の約半年前からの津波の事前警告は、私個人が複数の異常を感じていたからで、男性達に助言された結果ではありません。「ATLAS at Osaka」と「スミチョイMMA氏のブログ」へは現在、2回めの投稿証明のお願いをして、返信待ちの状態です。私が2002年に東京大学の男女共同参画公聴会で発表した事実なども裁判所には証拠提出してありますが、外部リンク先からは消えてしまいました。著作権の問題はありますが、1万人を超す人命に関わっていた真実なのですから、沢山の証拠を保存、公表して教訓にすることにもご協力願います。

 本庶佑先生や大村智先生は私の母、(旧姓こやす)祐子の、北里大学薬学部での恩師です。また小柴昌俊先生は、2002年、私が東京大学の素粒子物理ティーチングアシスタントをしていた頃に初めて私から声をかけたところ、その数ヶ月後に受賞なさったのです。ちなみに山中伸弥先生も、私がメディコの成果主義目標管理システム「チャレンジシート」に実名を挙げて「このような優秀なお医者さん達と対等な立場で共同研究してみたい」と書いた約1年後の受賞でした。「こやす」は古来、多数の神社などに冠された名前で、地震予知体質も母系遺伝だったようです。10歳頃に地蔵系のお経の訳を読んだ当時から、多くの人を救う手助けをすることを望み、実名に「幸」を含むが後ろ髪はやや薄い私こそが、「幸福の女神」だったのかもしれません。
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地震予知にまつわる奇妙な経験 (nisimiyu(西川美幸、元・日本物理学会代議員))
2016-02-07 14:44:38
 私は地震予知については、幼少時から能力を期待され、予め説明を受けた後で、その人を信頼できると思ったからこそ、引き受けてあげた面があります。1985年頃に受けた「日能研の全国無料公開テスト」で「液状化現象の説明文」が出て「なるほど」と思ったのを覚えています。当時、私は初受験の結果、全国で2位くらいだったか、鉛筆セットをもらえました。日能研の全国無料テストで上位20位以内だった子の多くがその後は東大に現役合格したとか、週刊誌の記事もあったようです。「能力」と言いますが元々、「道成寺」や「般若」は能の用語です。しかし、私は大学院以後、幼少時から希望していた研究職を、能力の無かった男性達に奪われ、3.11津波を事前警告できた後に妹を殺されて、人生を壊されました。そんなことまでは承知していません。

 私が小学生の頃、塾で男の先生は
「仏教というのは本当は、雪吊りと言って、崖の上に縛り付けて「まだ悟らないか」と脅かすようなことをされるんだぞ」
と言っていました。禅画や国宝の「玉虫厨子」等にこのような風景が描かれている他、江戸時代の学校は寺子屋と言って、禅宗のお坊さんなどが教えていることも多かったらしいです。しかし、1999年8月4日に自殺した物理学科の元同級生、「横田雪瑛(台湾名は黄蘭雅)」さんは、死因が縊死だったことや、自殺した場所が毎日通う大学キャンパス近くに借りた自室だったこと、自殺日は母親の誕生日に近かったことなどが、私の妹、恵美と酷似しているため、不気味です。横田さんのお通夜はなぜか、正常眼圧緑内障で父が入院していた東京医大(新宿)のすぐ近くでした。喪服でお見舞いに行く気にはなれず、そのまま帰宅した記憶があります。横田さんの不審死についてはなぜか週刊文春の2007年6月14日号に記事が出ていて、私は、杏林大学病院に入院中の母からその最新号を受け取りました。その記事に載っていた顔写真のひとつは間違いなく彼女のようでした(証拠を http://nisimiyu.web.fc2.com/court/ProofIndex.htm#6-6 にリンクしてあります)。

 週刊文春は裁判でも、「信頼できない雑誌」の扱いをされていることが多いようですが、なぜこうなったのか、訳が判りません。私の知らないところで多くの関係者がいるようで、私ひとりの手には負えません。私が幼少時に受けた教育は、私の両親も認めた信頼の置けるものでしたから、「黄檗宗」がカルトだったとは思えないのですが、事実解明にご協力願います。普通の科学者になりたかっただけの私がなぜ、未だに研究職に就けず、人生を壊されなければならないのでしょうか?「マリア地蔵」等に、首の取れているものが多いことも、震災後に調べて不気味でした。地蔵が他人を救うために自分から首を落とす話なら確かに幼少時に読んだように思いますが、生身の人間である私はそんなことを承知しておらず、この話には共感していません。

 「こやす」と読める姓は全国にさほど多くもないため、本当に迫害されたことでもあったのか、気持ち悪いです。「アヴェ・マリア」が海上自衛隊で歌われているらしいことなら先日知って、少し安心できましたが。昨年12月に発見した、榮倉奈々出演、山下達郎「クリスマス・イブ」特別映画版PV https://www.youtube.com/watch?v=x8CgehqveLI#t=10
にも、「雪吊り」が描かれているようです。この動画には素直に、芸術的価値があると思います。ついでながら、2013年頃のクリスマスイブにはチキンが多く売れたようですが、私自身は2009年から卵乳菜食の実験中なので買いませんでした。私が小学生の頃は男の子達が、百人一首の「芦のまろや」を「足の丸焼き」ともじってふざけていたり、父が、小野小町の歌を「ふりゆくものは、我が身なんだ!」と詠嘆していました。

 私は2010年の夏、あまりにも暑いのでついお化け屋敷のようなことを考え、バスの停留所の名前が、妙にオカルトっぽく続く通りの存在に気づきました。ただ、その頃の社員教育で「差別に繋がるので地名には言及するな」と習ったため、公表していません。私は2010年9月初め、百人一首に天変地異に関する歌がないか、集中的に調べました。誰に習ったか、本で読んだのか、遠い昔の話で忘れましたが、いろは歌の「ゐ」や「ゑ」は「忌み字」と言って特別な意味があったような?気もしました。百鬼夜行図は中学生頃に見たことがあります。栗本薫先生の「魔界水滸伝」には「禍津神」も登場するため、「くもゐにまがふ」は禍々しい感じがしたのです。その後スミチョイMMA氏の「竜巻のような形の雲が宏観異常か」にコメントしました。

 この2010年9月当時、私は中央構造線の存在をWikipediaで知ったので、実家近くの崖沿いの家に、たまにナスで作った人形が置かれていたことを思い出して「彼岸とは、陸続きでありながら別種の、反対側の地層のことを言うのだろうか」という独自の解釈まで考え、関東ローム層の下に埋もれた中央構造線の場所を、自宅で地名のみから推定した後、結果を小集団発表の予備資料とするため、会社の自分のアドレスにメールしていました。「橋のない川」という「住井すゑ」さんの書いた本は幼少時に名前だけ聞いたことがあり、中は読んでいません。島崎藤村氏の「緑なすはこべは萌えず 歌哀し佐久の口笛」は中学の国語の教科書で習い、美しい日本語だと感じたので今も思い出せますが、「破戒」は、途中でつまらないと感じ、読了できませんでした。中学3年頃に、私の興味は量子力学などの現代的科学に移った上、 母が入院したため、現実に生きることの方が、重要な問題になりました。
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続き (nisimiyu(西川美幸、元・日本物理学会代議員))
2016-02-07 14:53:08
 私が3歳頃に実家最寄り駅で遭遇した電車の脱線事故については、2010年夏の(当時実家に帰るのは月に1度ほどでしたが)ある日だけ、現場の踏切で特に危機感を感じたので、地震予知に直接関係があります。近くの、卵とじや韮レバ炒めが美味しくてよく食べに行ったお蕎麦屋さんが「さか本」という名なので、強引に解釈すると宗教関連だった可能性もあるかと思いますが、まさかこの事故が人為だった訳ではないでしょう。地震予知体質の多くは母系遺伝なようです。あるいは、禅語に「無事是貴人」とあるのなら、「大事故を近くで免れる」という貴重な体験をした子は、危機感知能力の高まる見込みがあるので、選んで教育していたのかもしれません。しかし、私が小学生以後に受けた宗教的教育は参考程度で、私の3.11津波事前警告は宏観異常をきっかけに論理的に考えた結果が多かった以上、私が男性によって創られた、男性にとって都合の良い話に感動する訳でもないのです。父は妹の葬儀後まもなく、私の悪口ばかり言うようになり、未だに私とは直接話そうとしません。今年のお正月も、父は実家に「美幸の立ち入り禁止!」という張り紙をしていたそうで、私は要介護度1の母が心配なのに、実家に帰れませんでした。妹の自殺を思うと、気持ち悪いですが事実を知りたくて調べています。

 「澪標」なら大阪市のマークだったらしくて「咲くやこの花館」もあるらしいですが、源氏物語はあまり読んでいません。あまりにも浮気すぎる男性を女性は本能的に避けたいので、このような物語を好きにはなれなくて、これも男性向けの物語だったのではないかと思います。この粗筋も、私は東日本大震災後に、関連する逸話がないかと思ってWikipediaで調べただけです。ただ、私は東大の大学院で男性事務員に「白痴」と言われて一度退学させられ、2度入学金を払わされた1999年の夏頃、非常に気分が荒れて、木島平での「素粒子・原子核・高エネルギー三者若手夏の学校」には青春十八切符で、数日間は野宿して行きました。うなされたのか、同室の、金沢からバイクで来たという女子学生に「悪い夢でも見たの?」と言われました。私は後半日程の超弦理論の講義は聞かずに、途中から京都大学基礎物理学研究所の研究会に移ったところ、夏の学校の講演者の一人がここでも講演していて、真面目な講演の中で一言だけ、冗談ぽく「ノストラダムスの大予言」に言及していました。

 私は当時、明石の駅に一晩泊まりましたが、「漁師をやめる」と言ってさっぱりした様子でリュックサックの荷物を捨てるおじさんの話を興味深く聞いたこと、翌朝まだ暗い中、明石港を歩いたところ、黒光りする墓石が多くて、「物理に進むなら地震予知などもできなければならない」と思ったことは事実です。昔から伝わる物語の元となった、現実に起きた事象が何だったかは判りかねますが、東日本大震災の約半年前から私が無料プラネタリウムを参照させて頂いた「つるちゃん」も「日本の臍」明石の人でした。少し不思議ですが、人は無意識のうちに、物理的ポテンシャルに従って行動しており、場所によっては特異点でもあったのかもしれません。

 この1999年夏の学校から東京に帰って間もなく、横田さんの訃報をメールで見ました。横田さんについては、当時ネットを検索するとこの夏の学校で昼食の予約をしていたことや、「ranga」を含むメールアドレスで、中国語も話せて、科学技術系文書の英語翻訳アルバイトをしていたらしいことが判りましたが、夏の学校では見かけませんでした。この年は東大が準備校だったために何人かは前の方で聴いていました。横田さんは多くの素粒子論研究室学生と異なり、数理科学研究科の所属だった上、当時私は研究室に机がなかったために、彼女と日常的に会った訳ではないのですが、確かに「ノートを盗まれた」とは言っていました。

 彼女が1999年春の、Wess&Bagger「SuperSymmetory」輪講で発表しながら疲れた様子で「聞こえない」と言っていたこと、ヘッドホンで歌を聞いていたこと、一度だけ、派手な赤色のドレスを着て「江口指導教授に2時間ほどみっちり教えてもらった」と言っていたことが印象的です。夏の学校直前の輪講会を私は休んだのですが、横田さんについては「ふらふらになりながら発表していた」と他の男子学生から聞きました。しかし彼女が涙を流して泣いたり怒鳴ったりしているところは見たことがありません。私の妹も、あまり感情を表に出さない性格でした。私は「尾崎豊や芥川龍之介は青年期から言っていることがおかしかった」という説を聞いたことがあります。彼女達も、もし本当に自殺だったのなら、幼少時からの体質や性格も関係していた可能性がありますが、不審な点が多過ぎます。

 裁判所からの書類には桜の図柄が入っていましたが、子安神社で祀られているのがコノハナサクヤヒメで地蔵が閻魔大王の役でもあるのなら、本物の私が、偽物に敗訴させられたことになるのでしょうか?以下の多くは他のコメント等に既に書いたことですが、私は平成23年(行ウ)第555号と平成26年(ハ)第2129号と平成26年(ワ)第1334号の、3事件の原告です。いずれも(控訴審も)敗訴となりましたが、肝心な時、「なゐふる」や宏観異常掲示板など肝心の場で2011/3/11の津波を事前警告したのが世界で私しかいなかったことは、世話人の中川和之氏(時事通信社)や当該掲示板の管理人さんに問い合わせれば簡単に証明できます。

 私は、2010年春のうちに当時のメディコの正式業務「小集団活動」の、活動テーマを決める会議で
「手段を選ばず効率的に平均寿命を延ばすための研究」
を提案していましたが、多数決の結果、却下されました。仕方なく、休日などに独りで疫学研究などを続けた(何年も前から自宅で地道に研究していた)結果を、2010/9/29に「生きるための超音波」として個人発表したのです。その時に逆流については口頭で発表し、残りの月と地震予知、チェルノブイリ現状を含む
原稿 http://nisimiyu.web.fc2.com/court/4-1.zip
は発表時間が足りかったので「読んでおいて」と言い、翌30日に共有サーバに置いて小集団メンバに通知しました(証拠提出済み)。

 しかし震災後、私の3兆円近い価値ある実績は、できなかった男性上司達に無理やり「業務でない」とされ、私は逆に、無理やり罪を着せられました。実名HP http://nisimiyu.web.fc2.com/court/ProofIndex.htm に、多くの人命に関わる千ページを超す客観的証拠の一部を公開しています。私の2004年の博士論文元原稿を問答無用で1/6に削除させた教授達や、100人を超す、超対称性詐欺理論で科研費を稼いだ研究者など、西川美幸以外の素粒子専門家は誰一人、肝心な時、「なゐふる」に加入する努力も能力も思いやりもなかったのです。
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