東京新聞2023年5月14日 17時00分
研究名目で日本から持ち出され、オーストラリアの博物館などで保管されていたアイヌ民族の遺骨4体が1世紀ぶりに国内に返った。アイヌの遺骨を返還する動きは進んでいるものの、本来あるべき場所に戻っているとは言いがたい。元々は研究目的というが、そもそも「民族を知る」とはどういうことか。江戸期に北の大地を探索した先人たちの軌跡から、探求のあり方を考えた。(木原育子)
◆遺骨返還「皆さまの苦しみを心よりおわび」

返還されたアイヌ民族の遺骨を抱えるエンチウ遺族会の田沢守会長(左)=6日、オーストラリア・メルボルン(共同)
6日、オーストラリア・メルボルンの返還式典。「遺骨持ち去りがもたらした皆さまの苦しみを心よりおわびする」。遺骨を保管してきたビクトリア博物館のティム・グッドウィン理事はそう言って頭を下げた。
今回戻った遺骨は、1911~36年に見つかった4体。当時日本統治下だった南樺太(サハリン)のポロナイ川河口付近で発掘された遺骨を含む。「樺太アイヌ」の遺骨が海外から返還されるのは初めてだ。
近年、世界に散逸したアイヌの遺骨返還が相次ぐ。ドイツでも2016年に、保管していたアイヌの遺骨が盗掘されたものだと判明し、翌年返還された。研究者の調べで英国や米国などでも保管されていることが分かっており、日本への返還は続くとみられる。
◆子孫ら疑問「慰霊施設や研究室に預けられることが返還なのか」
ただ遺骨が戻った後の日本国内の動きは、アイヌの尊厳回復につながっているとは言いがたい。
6日の式典後、北海道アイヌ協会の大川勝理事長は記者団に「白老に立派な慰霊施設を造ってもらった。アイヌが一堂に集まってきちんと慰霊したい」と説明。4体のうち3体は、白老町に国が整備した民族共生象徴空間(ウポポイ)内の慰霊施設に保管される。
一方で、樺太アイヌの遺骨は、北海道大で一時保管された後、文部科学省の第三者委員会が返還の当否を審査する過程に入る。樺太アイヌの子孫らでつくる「エンチウ遺族会」が引き渡しを希望しているからだ。
エンチウ遺族会の田沢守会長(68)は帰国後、「こちら特報部」の取材に応じ、胸の内を明かした。「国やメディアは『返還』というが、国の慰霊施設や北大の研究室に預けられることがなぜ返還なのか。アイヌ民族としては、一刻も早く土に返したいと思っている」
◆「なぜそこまで条件や足かせをつけて渋るのか」
アイヌは和人から耐えがたい差別や搾取された歴史をもち、国が建てた慰霊施設に再び収められることに苦痛を感じる人も多い。
国が14年に定めたガイドラインでは、全てにおいて国が判断するプロセスをたどる。まずアイヌ側から遺骨を特定して返還申請する必要がある。返還の対象団体も出土した地域に住んでいたアイヌの団体が原則で、「確実な慰霊」が可能か否かの審査もある。
遺骨の返還運動を続けてきた木村二三夫氏(74)は「アイヌを土に返す道筋に、なぜそこまでして条件や足かせをつけて渋るのか。自分たちが盗掘していったものを謝罪して返すのは当たり前だ」と憤る。
文科省が19年に発表した調査では、国内で北大や東京大など12大学に遺骨1574体が保管されていた。20年の調査ではこのうち1320体余が慰霊施設に移されたが、大学に残る遺骨もある。博物館保管分も合わせると、遺骨の数字はさらに膨らむ。提訴などがなければ、ほとんどの遺骨がアイヌ側に引き渡されていない。
遺骨返還訴訟を担ってきた市川守弘弁護士も「訴訟における和解を通じて、『遺骨はアイヌの地域集団に戻す』という道筋を勝ち取ってきた。しかし、今回の返還で遺骨を慰霊施設や北大に預けるのは、その道筋を反故
ほご
にするものだ。アイヌの権利を再び否定することにつながる」と訴える。
◆アイヌ探求の歴史とは…搾取の歴史につながった一面も
アイヌの遺骨が国内外に散逸するのは近代以降だが、アイヌに関するまとまった記述が見られるようになるのは江戸後期からだ。間宮海峡と北方民族に関する書籍がある探検家の高橋大輔氏(56)は、「日本の北方探索は、当時のロシアの南下政策に伴う国境対策の観点で始まった。その過程でアイヌを探求するようになった」と説明する。
例えば、間宮林蔵の師、村上島之丞(1760-1808年)が描いた「蝦夷島奇観
えぞがしまきかん
」は、アイヌの生活史を絵筆で忠実に表現し、民俗学的な視点で捉えた国の重要文化財だ。高橋氏は「この時代の記述はアイヌを知りたいという純粋なまなざしにあふれる。だが次第にこれらの絵からどんな商売ができるのか読み取られ、搾取の歴史につながった一面もある」と語る。
ちなみに、この時代の北方探索者は村上島之丞も含め、なぜか伊勢国(三重)やその周辺出身者が多い。伊勢市で古書店を営み、地元の郷土史に詳しい奥村薫氏(72)は「伊勢神宮周辺には御師
おんし
と呼ばれた参拝や宿泊などの世話をする神職がいた。地域ごとに担当エリアを分け、独自の情報ネットワークを持っていた。伊勢は幕府の直轄領の天領でもあり、幕府の情報を入手しやすい立場でもあった。必然的に伊勢やその周辺の人が幕府と関わっていたのだろう」とし、「アイヌに関する話は北海道だけの話ではない」と話す。
◆交換で得たアボリジニの遺骨はどこに? 果たすべき責任
近代に入り、大正から昭和初期になると、頭蓋骨など骨格の比較から民族のルーツを探る人類学が盛んになった。今回のオーストラリアから返還された遺骨も、1911~36年にかけて、アイヌ研究で知られる解剖・人類学者で東京帝大医科大(東京大)の教授を務めた小金井良精(よしきよ)氏らが、オーストラリア側に研究目的で寄贈したものだ。
メルボルンの返還式典に同行した北大の加藤博文教授(先住民考古学)は「国をまたいだ返還が実現し、一義的には良かった。だが、なぜ盗掘してまで遺骨を持ち出したのかについての説明や実態調査、国などからの公式の謝罪もされていない」と指摘する。
樺太アイヌの遺骨は、オーストラリアの先住民族アボリジニの遺骨と交換し、この遺骨は日本側に残っているとされる。加藤氏は「日本にアボリジニやハワイ、台湾などの先住民族の遺骨がどれだけ保管されたままの状態か調査が必要だ。アイヌの遺骨だけでなく、日本も責任を果たさなければならない」と語る。
◆「日本の人類学は世界の潮流に逆らっている」
米国では、90年にアメリカ先住民族の墓地の保護や遺骨返還に関する法律が整備され、先住民との関係改善が図られてきた。
九州大の瀬口典子准教授(人類学)は「米国では人類学者が遺骨の出自、地域を特定し、積極的に子孫のコミュニティーに返してきた。アイヌ側が遺骨を特定して申請しなければ、返還プロセスが始まらない日本とは全く異なる」と指摘。
日本では2019年にアイヌの同意が得られていない遺骨は調査研究の対象としない倫理指針が示されたが、各学会で見解が違い、合意できていない。瀬口氏は「米国では研究者と先住民族の双方が将来納得できる形で、協働研究する道を模索している。日本の人類学は世界の潮流に逆らっている」とする。
先住民族の復権に取り組む室蘭工業大・丸山博名誉教授は「世界の先住民族研究は、脱植民地化に向かっている。先住民族を知的好奇心の対象とする研究から、先住民族自身の意思に基づき植民地化で著しく損なわれた先住民族の生活、文化、社会などの再興を目指す研究へと転換している」とし、「日本でもそうした研究が進められて初めて、遺骨返還などアイヌが直面する課題の解決に向かうのではないか」と続ける。
◆デスクメモ
研究の名の下、国をまたいで、盗掘した先住民族の遺骨をやりとりする。ぞっとする話だ。少数派や死者への敬意を全く感じられない。返還の動き自体は好ましいが、その先が迫害をしていた側だとしたら、適切ではない。誰の遺骨なのか、よく考えて対応すべきだろう。(北)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/249828
研究名目で日本から持ち出され、オーストラリアの博物館などで保管されていたアイヌ民族の遺骨4体が1世紀ぶりに国内に返った。アイヌの遺骨を返還する動きは進んでいるものの、本来あるべき場所に戻っているとは言いがたい。元々は研究目的というが、そもそも「民族を知る」とはどういうことか。江戸期に北の大地を探索した先人たちの軌跡から、探求のあり方を考えた。(木原育子)
◆遺骨返還「皆さまの苦しみを心よりおわび」

返還されたアイヌ民族の遺骨を抱えるエンチウ遺族会の田沢守会長(左)=6日、オーストラリア・メルボルン(共同)
6日、オーストラリア・メルボルンの返還式典。「遺骨持ち去りがもたらした皆さまの苦しみを心よりおわびする」。遺骨を保管してきたビクトリア博物館のティム・グッドウィン理事はそう言って頭を下げた。
今回戻った遺骨は、1911~36年に見つかった4体。当時日本統治下だった南樺太(サハリン)のポロナイ川河口付近で発掘された遺骨を含む。「樺太アイヌ」の遺骨が海外から返還されるのは初めてだ。
近年、世界に散逸したアイヌの遺骨返還が相次ぐ。ドイツでも2016年に、保管していたアイヌの遺骨が盗掘されたものだと判明し、翌年返還された。研究者の調べで英国や米国などでも保管されていることが分かっており、日本への返還は続くとみられる。
◆子孫ら疑問「慰霊施設や研究室に預けられることが返還なのか」
ただ遺骨が戻った後の日本国内の動きは、アイヌの尊厳回復につながっているとは言いがたい。
6日の式典後、北海道アイヌ協会の大川勝理事長は記者団に「白老に立派な慰霊施設を造ってもらった。アイヌが一堂に集まってきちんと慰霊したい」と説明。4体のうち3体は、白老町に国が整備した民族共生象徴空間(ウポポイ)内の慰霊施設に保管される。
一方で、樺太アイヌの遺骨は、北海道大で一時保管された後、文部科学省の第三者委員会が返還の当否を審査する過程に入る。樺太アイヌの子孫らでつくる「エンチウ遺族会」が引き渡しを希望しているからだ。
エンチウ遺族会の田沢守会長(68)は帰国後、「こちら特報部」の取材に応じ、胸の内を明かした。「国やメディアは『返還』というが、国の慰霊施設や北大の研究室に預けられることがなぜ返還なのか。アイヌ民族としては、一刻も早く土に返したいと思っている」
◆「なぜそこまで条件や足かせをつけて渋るのか」
アイヌは和人から耐えがたい差別や搾取された歴史をもち、国が建てた慰霊施設に再び収められることに苦痛を感じる人も多い。
国が14年に定めたガイドラインでは、全てにおいて国が判断するプロセスをたどる。まずアイヌ側から遺骨を特定して返還申請する必要がある。返還の対象団体も出土した地域に住んでいたアイヌの団体が原則で、「確実な慰霊」が可能か否かの審査もある。
遺骨の返還運動を続けてきた木村二三夫氏(74)は「アイヌを土に返す道筋に、なぜそこまでして条件や足かせをつけて渋るのか。自分たちが盗掘していったものを謝罪して返すのは当たり前だ」と憤る。
文科省が19年に発表した調査では、国内で北大や東京大など12大学に遺骨1574体が保管されていた。20年の調査ではこのうち1320体余が慰霊施設に移されたが、大学に残る遺骨もある。博物館保管分も合わせると、遺骨の数字はさらに膨らむ。提訴などがなければ、ほとんどの遺骨がアイヌ側に引き渡されていない。
遺骨返還訴訟を担ってきた市川守弘弁護士も「訴訟における和解を通じて、『遺骨はアイヌの地域集団に戻す』という道筋を勝ち取ってきた。しかし、今回の返還で遺骨を慰霊施設や北大に預けるのは、その道筋を反故
ほご
にするものだ。アイヌの権利を再び否定することにつながる」と訴える。
◆アイヌ探求の歴史とは…搾取の歴史につながった一面も
アイヌの遺骨が国内外に散逸するのは近代以降だが、アイヌに関するまとまった記述が見られるようになるのは江戸後期からだ。間宮海峡と北方民族に関する書籍がある探検家の高橋大輔氏(56)は、「日本の北方探索は、当時のロシアの南下政策に伴う国境対策の観点で始まった。その過程でアイヌを探求するようになった」と説明する。
例えば、間宮林蔵の師、村上島之丞(1760-1808年)が描いた「蝦夷島奇観
えぞがしまきかん
」は、アイヌの生活史を絵筆で忠実に表現し、民俗学的な視点で捉えた国の重要文化財だ。高橋氏は「この時代の記述はアイヌを知りたいという純粋なまなざしにあふれる。だが次第にこれらの絵からどんな商売ができるのか読み取られ、搾取の歴史につながった一面もある」と語る。
ちなみに、この時代の北方探索者は村上島之丞も含め、なぜか伊勢国(三重)やその周辺出身者が多い。伊勢市で古書店を営み、地元の郷土史に詳しい奥村薫氏(72)は「伊勢神宮周辺には御師
おんし
と呼ばれた参拝や宿泊などの世話をする神職がいた。地域ごとに担当エリアを分け、独自の情報ネットワークを持っていた。伊勢は幕府の直轄領の天領でもあり、幕府の情報を入手しやすい立場でもあった。必然的に伊勢やその周辺の人が幕府と関わっていたのだろう」とし、「アイヌに関する話は北海道だけの話ではない」と話す。
◆交換で得たアボリジニの遺骨はどこに? 果たすべき責任
近代に入り、大正から昭和初期になると、頭蓋骨など骨格の比較から民族のルーツを探る人類学が盛んになった。今回のオーストラリアから返還された遺骨も、1911~36年にかけて、アイヌ研究で知られる解剖・人類学者で東京帝大医科大(東京大)の教授を務めた小金井良精(よしきよ)氏らが、オーストラリア側に研究目的で寄贈したものだ。
メルボルンの返還式典に同行した北大の加藤博文教授(先住民考古学)は「国をまたいだ返還が実現し、一義的には良かった。だが、なぜ盗掘してまで遺骨を持ち出したのかについての説明や実態調査、国などからの公式の謝罪もされていない」と指摘する。
樺太アイヌの遺骨は、オーストラリアの先住民族アボリジニの遺骨と交換し、この遺骨は日本側に残っているとされる。加藤氏は「日本にアボリジニやハワイ、台湾などの先住民族の遺骨がどれだけ保管されたままの状態か調査が必要だ。アイヌの遺骨だけでなく、日本も責任を果たさなければならない」と語る。
◆「日本の人類学は世界の潮流に逆らっている」
米国では、90年にアメリカ先住民族の墓地の保護や遺骨返還に関する法律が整備され、先住民との関係改善が図られてきた。
九州大の瀬口典子准教授(人類学)は「米国では人類学者が遺骨の出自、地域を特定し、積極的に子孫のコミュニティーに返してきた。アイヌ側が遺骨を特定して申請しなければ、返還プロセスが始まらない日本とは全く異なる」と指摘。
日本では2019年にアイヌの同意が得られていない遺骨は調査研究の対象としない倫理指針が示されたが、各学会で見解が違い、合意できていない。瀬口氏は「米国では研究者と先住民族の双方が将来納得できる形で、協働研究する道を模索している。日本の人類学は世界の潮流に逆らっている」とする。
先住民族の復権に取り組む室蘭工業大・丸山博名誉教授は「世界の先住民族研究は、脱植民地化に向かっている。先住民族を知的好奇心の対象とする研究から、先住民族自身の意思に基づき植民地化で著しく損なわれた先住民族の生活、文化、社会などの再興を目指す研究へと転換している」とし、「日本でもそうした研究が進められて初めて、遺骨返還などアイヌが直面する課題の解決に向かうのではないか」と続ける。
◆デスクメモ
研究の名の下、国をまたいで、盗掘した先住民族の遺骨をやりとりする。ぞっとする話だ。少数派や死者への敬意を全く感じられない。返還の動き自体は好ましいが、その先が迫害をしていた側だとしたら、適切ではない。誰の遺骨なのか、よく考えて対応すべきだろう。(北)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/249828