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人形劇「北のおばけ箱」 障害ある子供も制作 第2弾、札幌で24~25日上演

2022-12-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞12/11 07:30

「北のおばけ箱2」の公演に向けたペングアートでの人形づくり(金本綾子撮影)
 アイヌ民族に伝わるおばけが登場する人形劇「北のおばけ箱2」が24日(土)、25日(日)に札幌市こどもの劇場やまびこ座(東区北27東15)で上演される。今年2月に障害のある子供たちが舞台美術などで参加した第1弾が上演された同シリーズ。第2弾の今回も、障害のある子供たちが人形を制作。当日は手話通訳も加わり、より多くの人が楽しめる内容になっている。
 本作は知里真志保編訳「アイヌ民譚(みんだん)集~えぞおばけ列伝」を題材に、北海道演劇財団の斎藤歩さんが脚本を担当。パナンペ夫妻が、川の女神をオニたちから守るために活躍する物語で、かわいらしいおばけが次々に登場する。人形を操るのはやまびこ座などで人形劇を学ぶ小学生から大学生ら。物語を盛り上げるオニの人形づくりを、放課後等デイサービス「ペングアート」(豊平区、卜部奈穂子代表)に通う発達障害の子供たちが担当する。
 演出・美術監督を務める矢吹英孝さんは「障害がある人たちと一緒に舞台を作り上げることで、共生社会や多様性をお互いが理解できる機会になれば」と狙いを話す。11月からは「ペングアート」での人形づくりが本格化。29日には小学3年から高校1年までの男女4人が集まり、カラー段ボールや毛糸などを使って、オニの顔と手を製作した。
 この日、完成したオニは、子供たちの自由な発想がうかがえる色鮮やかで楽しいデザインが目をひく。卜部代表は「公演当日に人形がスポットライトを浴びるのを全員が心待ちにしている。舞台芸術に参加することができ、子供たちは達成感を感じているよう」と話している。
 24日は午後2時開演、25日は午前11時と午後2時開演の2公演。チケットは18歳以上が1200円。5~17歳が500円、5歳以下は無料。定員は各回100人で、事前予約が必要。予約、問い合わせはやまびこ座、電話011・723・5911(午前9時~午後5時、月曜休館)へ。(中村公美)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/773342/

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残そうとする凄烈な意志 〈アイヌ語を語り継ぐ〉中川裕=思索のノート

2022-12-12 | アイヌ民族関連
信濃毎日新聞2022/12/11 20:02有料会員記事
私が早稲田大学の田村すず子先生の合宿で北海道平取(びらとり)町に行き、アイヌ語の話者の元を訪れたのは、大学3年生の時。その時から気になっていたことは、この人たちはなぜこんなに熱心に私たちの相手をしてくれるのだろうということだった。
 ペナコリという集落に住む川上松子さんには、その後も10年以上にわたって大変お世話になったが、初めて会った時から、簡単な単語もろくに聞き取れない学生たちに、一生懸命アイヌ語での会話を聞かせようとしているのが、ひしひしと伝わってきた。
 その会話の相手は木幡菊三さん。会話そのものは、日本語になったりアイヌ語になったり、気の向くままだったが、韻文で節をつけて語るヤイクレカㇻパ「会見の辞」というもので私たちを迎えてくれた。その時には当然のことながら、何を口にしているのかわからなかったのだが、その後何十年もたって、このヤイクレカㇻパの実演記録は、北海道全体でもごくわずかしか残されていないということに気づいた。当時、私たちは非常に貴重な体験をしていたのである。
 菊三さんはさらに、風邪をひいて調子が悪いというのに…
(残り1253文字/全文1726文字)
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022121100106

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ウーバー、アイヌ、水俣……斎藤幸平さんがみた「ニッポンの現場」

2022-12-12 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2022/12/11 11:00(最終更新 12/11 11:00) 有料記事 3752文字
ベストセラー「人新世の『資本論』」で知られる気鋭の経済思想家、斎藤幸平さん(35)が、全国各地の「現場」を歩いた記録「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」(KADOKAWA)を刊行した。経済格差は広がり、気候危機も年々深刻化する社会で、「より良い未来」を描くヒントは見つかったのだろうか。時に人々との出会いに打ちのめされながら、斎藤さんが2年間の「旅」でつかんだものを聞いた。【平林由梨】
現実から正しい未来を
 ――本書は、2022年3月まで2年間、毎日新聞朝刊で連載した「斎藤幸平の分岐点ニッポン」を書籍化したものです。話題になった初回の「ウーバーイーツで配達してみた」にはじまり、書籍化のために追加取材した「アイヌの今」まで、23のテーマが並んでいます。「気候危機の根本原因は資本主義にある」などと指摘してきたマルクス研究者が今回、「現場から学ぼう」と取り組んだのはなぜですか?
 ◆19年12月、准教授として在籍していた大阪市立大の研究室で、毎日新聞の記者さんから、この企画の話をもらいました。
 わたしは普段、マルクス研究をしていて国内外で本を出してきました。その中では例えば「資本主義は環境問題や搾取を引き起こす。だから社会主義へと置き換えていくべきだ」というような主張をしています。どうしても主語が大きくなるんです。
 いわゆる、古典的な哲学思想研究ではあるわけですが、一歩間違うとそれで何でも説明できて、社会問題に精通しているかのように錯覚してしまう。非常に権威的になりかねないな、ということについてはずっと自覚がありました。
 ――「学者は現場を知らない」とか「机上の空論だ」などと、ネット交流サービス(SNS)上で批判されることもあったそうですね。
 ◆…
この記事は有料記事です。 残り3012文字(全文3752文字)
https://mainichi.jp/articles/20221209/k00/00m/040/132000c

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自民本部前「差別やめろ」市民が杉田政務官更迭訴え

2022-12-12 | アイヌ民族関連
赤旗2022年12月11日(日)

(写真)「差別発言を繰り返す、杉田水脈氏の更迭を」と訴える人たち=10日、東京都千代田区
 LGBTQ+や女性、性暴力被害者やアイヌ民族などあらゆる人たちに対して差別発言を繰り返す杉田水脈総務政務官の更迭を求める緊急抗議が10日、自民党本部前で行われました。市民有志の呼びかけで約120人(主催者発表)が集まり、「差別をやめろ」とコールしました。
 抗議を呼びかけた共同発起人のワインさんは、杉田氏の発言によって恐怖を感じる人がいることが許せないと強調。同時に、そうした発言や行動を許容しているとしか受け取れない自民党にも責任があると述べ、「あらゆる人が連帯して、差別を許さない意思を表明しましょう」。
 女性差別撤廃条約実現アクション共同代表の柚木康子さんは、杉田氏が国会で差別発言について追及され、「差別をしたかのように伝わってしまった」と答弁したと批判。「誰が聞いても、明確に差別です」
 「個人として参加した、ゲイの当事者です」と話した編集者・ライターの山縣真矢さんは、杉田氏が2018年にLGBTQ+は「生産性がない」と月刊誌に書いてから4年が過ぎたが、「同氏は学ぶことも謝罪することもしない。諦めず、これからも声をあげ続けよう」と語りました。
 千葉県市川市から参加した女性(26)は、「女性やマイノリティーを差別する人が、政治の重要なポジションにいることに危機感があります。すぐ辞めてほしい」と話しました。
 日本共産党、立憲民主党、社民党、れいわ新選組の国会議員が参加し、共産党からは宮本岳志衆院議員、伊藤岳参院議員があいさつしました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-12-11/2022121113_01_0.html

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【シリーズ「地域から元気を 地方創生が生み出す未来」5】北海道東川町

2022-12-12 | アイヌ民族関連
観光経済新聞2022年12月11日
街中散策の人気高まる
 観光経済新聞、塗料報知、農村ニュース、ハウジング・トリビューンの4紙誌は、2022年共同キャンペーン「地域から元気を 地方創生が生み出す未来」を展開しています。今、各地で芽吹いている地域活性化の動きを、観光業、農業、住宅・建設業などの視点でレポートします。
 東川町の観光は北海道最高峰の旭岳と、その麓に位置する「旭岳温泉」「天人峡温泉」という二つの温泉地が中心。ただ、近年はカフェや木工工房を巡る街の散策も人気という。
 旭岳の登山は標高1100メートルの山麓駅から1600メートルの姿見駅を結ぶ「大雪山旭岳ロープウェイ」を利用できる。10分ほどの空の散策だが、特に9月中旬ごろは「日本一早い紅葉」が見られると人気だ。
 約3万年前の噴火で形成された柱状節理や、270メートルという北海道一の落差を誇る羽衣の滝が見られる天人峡も人気のスポット。
 旭岳温泉、天人峡温泉の二つの温泉地とも北海道内では古い歴史を持つ。源泉掛け流しの良質の湯を日帰り利用もできる宿泊施設で味わえる。
 町の北側に位置するキトウシ森林公園は、東京ドーム25個分という広大な敷地にスキー場、ゴルフ場、パークゴルフ場、ゴーカートなど各種のアウトドア施設を持つ。高台にある展望台から碁盤の目のように整った水田や、町を囲む山並みを一望する。現在、リニューアルが進み、新たな温浴施設が近くオープンする予定だ。
 町の中心はおいしい天然水を生かしたコーヒーが飲めるカフェや、町の景観にマッチしたおしゃれな店が点在。町中の物販、飲食店は8年前の約35店舗から現在は約75店舗と倍以上に増えた。さらなる出店計画もあり、2022年中には80店舗を超す見通しという。移住者らが新たに開業している。
 これら店舗ではHUC(フック=東川ユニバーサルカード)と呼ばれるIC式ポイントカードを利用できる。買い物や飲食でポイントがたまるほか、さまざまな特典を用意。町民の約8割が同カードを保有している。
 観光客は年間およそ110万人。コロナ禍前のピーク時(約150万人)から減っているが、極端な落ち込みはない。隣接する旭川から訪れる日帰り客は逆に増えたという。
 町では現在、北海道のアイヌ文化、地元の「大雪山文化」を次世代に伝えようと、アイヌ文化伝承者、知里幸恵(ちり・ゆきえ)さんをモデルにした映画「カムイのうた」の制作を進めている。撮影は2022年7月に開始。2023年秋の公開を目指している。町では制作費2億5千万円を集めることを目標に、同町では「ひがしかわ株主制度」と呼ぶふるさと納税制度で広く資金を募っている。
 町の現状について同町企画総務課企画財政室の栁澤奨一郎主任は「『人が人を呼ぶ』ことがこの町で起きている。移住者に対して行政だけではなく、住民が親切丁寧にいろいろ相談に乗っている。移住者が次に移住する人に同じことをするという良い連鎖が起きている」と指摘。
 「『写真の町宣言』や『椅子の日』の制定など、町はさまざまなチャレンジをしている。全てが成功しているわけではないが、30数年前から地道に取り組んできたことが、今、成果となって表れている。チャレンジすることでまた新たな人とのつながりが生まれてくるのだと思う」。
https://www.kankokeizai.com/【シリーズ「地域から元気を%E3%80%80地方創生が生み出-2/

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[読みたい北海道・難読地名編]「然別湖」は、冬になると幻の村が現れる大雪山国立公園内の湖の名前!

2022-12-12 | アイヌ民族関連
毎日新聞2022/12/11 16:00(最終更新 12/11 16:26) 2149文字
民間調査会社による47都道府県魅力度ランキングで13年連続1位に輝く「北海道」。
観光地として圧倒的な人気を誇り、豊富な海の幸や新鮮な牛乳やチーズなどの酪農製品、札幌ラーメンなどのご当地グルメ、雄大な自然、スキーなどのアウトドア…とにかく”非日常的“な魅力がいっぱいです。
そんな北海道には、漢字の一般的な読み方から想像するのが難しい地名がいくつもあります。
九州の2倍強という広い大地ゆえ、馴染みのないエリアだと道産子でも読めないものも少なくありません。「おとなの週末Web」では北海道の難読地名を取り上げながらその周辺の観光スポットやグルメも紹介していきます。読み方を学びながら束の間の旅気分を味わってみませんか?
今回は「然別湖」です。
然別湖は大雪山国立公園唯一の自然湖!
読み方は「しかりべつこ」です。十勝の鹿追町(しかおいちょう)にある湖の名前です。
然別湖は、大雪山国立公園唯一の自然湖で、標高は810m。道内で最も高い場所の位置する湖です。帯広から北へ車で約1時間で到着。冬の期間は晴れていれば、道中、白樺並木や畑に積もった白銀の世界を見ることができます。
期間限定の幻の村「しかりべつ湖コタン」
この湖の上に、毎年1月下旬~3月下旬に期間限定の幻の村が現れます。「しかりべつ湖コタン」です。コタンとはアイヌ語で「村」の意味があり、冬のシーズンには氷と雪の家がお目見えします。まるで北極圏の世界に入り込んだような気分になります。
氷で作ったグラスで飲み物を楽しめる「アイスバー」や、雪景色を体全体で体感できる「氷上露天風呂」、スノーモービル体験もあり、氷の上のアクティビティを満喫できます。極寒でしたが、アイスバーでキンキンに冷えた氷のグラスに入ったドリンクを飲んだことは、忘れられない体験になりました。
並んでも欲しい!柳月の銘菓「三方六」の切れ端
北海道の有名な菓子メーカーのひとつ、柳月(りゅうげつ)。最近はあんことバターを使ったサブレ「あんバタサン」や、バスクチーズケーキ「トカチック・バスキュ~」なども有名ですが、根強い人気商品が「三方六(さんぽうろく)」。北海道産の砂糖やバター・小麦粉を使い、白樺の木肌をホワイトチョコとミルクチョコレートで現した薪の形のバウムクーヘンです。半世紀以上も愛され続けているお菓子で、私も道外の知人や親族によくお土産で買っていきます。
帯広市に隣接する音更町の「柳月スイートピア・ガーデン」では、三方六の切れ端を格安で数量限定で販売しているんです。整理券が配られるので開店前から並ぶ必要があります。この日はオープン約30分ほど前に並び、なんとか整理券をゲット!切れ端を手に入れたときの嬉しさで満足してしまったのか、写真を撮るのを忘れてしまいました・・・もちろん切れ端も美味しかったです!
店内には、買ったお菓子やケーキをその場で食べられるカフェテラスがあり、ここだけでしか食べられない「十勝きなごろもソフト」などの軽食も販売されています。私は誘惑に負けて、「あんバタトースト」と「十勝カルビまん」を注文。優しいあんこの味と濃厚なバターを味わえるあんバタトーストと、ジューシーな十勝カルビまんで、朝から体も心も満たされました。
新しい1万円札の顔、渋沢栄一が開いた町「清水町」の絶景
再来年、新しい1万円札の顔になる実業家の渋沢栄一。十勝の開墾のため渋沢栄一がかかわったのが、帯広市の北西に位置する清水町です。農業や酪農が盛んなのどかなまちです。
仕事で何度も訪れたことのある町で、なんといっても素晴らしいのはその景色。NHK連続テレビ小説「なつぞら」のロケ地「清水円山展望台」や、清水町と日高町の境にある「日勝峠」からは、雄大な十勝平野を見渡すことができます。
この景色を見るたびに心が洗われます。日勝峠は紅葉の名所としても知られており、シーズンには多くの観光客が訪れます。
雄大な十勝エリアは、見どころがまだまだたくさんあります。季節に合わせてお好みの観光地を巡ってもらえたら嬉しいです。
文・写真/森順子
https://mainichi.jp/articles/20221211/mtm/00m/100/003000c

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ロシア兵舎火災、2人死亡 パルチザン関与主張、ドローン説否定―クリミア

2022-12-12 | 先住民族関連
時事通信2022年12月11日20時33分

出発するロシア軍の動員兵=9月27日、ウクライナ南部クリミア半島セバストポリ(AFP時事)
 ロシアが一方的に「併合」したウクライナ南部クリミア半島の町ソビエツキーで10日朝、ウクライナ侵攻のため動員兵が集められたロシア軍の兵舎が火災に見舞われた。親ロシア派が通信アプリで伝えたところによると、2人が死亡したという情報があるほか、約200人が避難した。
 ウクライナ人と先住民族タタール人のパルチザンを名乗る団体「アテシ」が同日夜、声明を出し「計画に成功した」と主張。人為的に火を付けたと訴えた。
 これに先立ち、ウクライナの一部メディアは火災について「ドローン攻撃が原因」と報道。親ロ派は「フェイク(偽情報)」と否定していた。アテシは「ロシア軍を内部から破壊し続ける」と警告した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022121100242&g=ukr

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戦死したロシア兵「約1万人を特定」英BBC このうち動員兵は約400人

2022-12-12 | 先住民族関連
TBS NEWS DIG - 2022年12月12日
イギリスBBCはロシア語版サイトで、ウクライナ侵攻で死亡したロシア兵およそ1万人の名前を特定したと報じました。

戦死したロシア兵「約1万人を特定」英BBC このうち動員兵は約400人
© TBS NEWS DIG
イギリスBBCのロシア語版サイトによりますと、9日の時点でウクライナ侵攻で死亡したロシア兵1万2人の名前が特定されたとしています。
ロシアの独立系メディア「メディアゾナ」とともに墓地や記念碑などを調べ裏付けたとしています。このうち394人は、今年9月の部分的動員によって招集された動員兵だということです。
また、1509人の将校が特定されたとし、高機動ロケット砲システム「ハイマース」などで指揮所への攻撃が可能になったことが背景にあると分析しています。
ロシアは9月に軍の死者数を5937人だと発表して以降、更新していませんが、BBCは、実際の死者数は「2万人以上に上る可能性がある」と指摘しています。
こうした中、ロシアが一方的に併合したウクライナ南部のクリミアで10日、ロシア軍の動員兵らが集められた兵舎で火災が発生し2人が死亡、およそ200人が避難したと地元メディアが伝えました。
先住民族クリミア・タタール人のパルチザン部隊を名乗るグループが犯行声明を発表し、「これからもロシア軍を内部から破壊していく」と警告しています。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/戦死したロシア兵「約1万人を特定」英bbc-このうち動員兵は約400人/ar-AA159Idx

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投票用紙に「杉田水脈」と書かれたら困る比例単独議員の炎上上等選挙戦略とその限界

2022-12-12 | アイヌ民族関連
Yahoo!ニュース12/12(月) 6:30
坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
 性的少数者や女性、先住民らに対する発言がかねがね問題視されていた杉田水脈自民党衆議院議員。第2次岸田文雄改造内閣で「総務大臣政務官」という政府の役職に就任したため、臨時国会では過去の言動を追及されて釈明に追われました。
 杉田議員が問題視されて当然の言行を繰り返すため「なぜそんなことばかり言うのだろう」「何でこの方は国会議員に選ばれているのか」と素朴な疑問を持つ者も多いようです。そのあたりを調べてみると、どうやら選ばれ方自体が杉田氏本人に影響を与えている可能性も。以下に推測してみます。
初当選はブロック最下位で比例復活
 杉田氏がいつから、発言のような思想信条を持っていたかは本人のみしか知り得ません。ただし初当選の頃は、さほどの過激さは見当たりませんでした。
 そもそも杉田氏は自民党生え抜きではありません。2012年の初当選は旧「日本維新の会」(12年~14年)から。出身地の兵庫県から出馬し(6区)自民党新人に競り負けて次点ながら重複立候補していた近畿ブロックで比例復活当選したのです。同ブロック定員29人の29番目。ギリギリに滑り込みました。この選挙で維新は改選前11議席を大幅に上回る54議席を獲得。ブームに救われた形でした。
 この時の杉田候補を紹介した神戸新聞の記事(12年12月6日)によると現在とは相当に異なった人物像が浮かび上がります。
 自身が西宮市役所に18年勤めて公務員改革を模索した。福祉や環境、教育は権限や財源を地方に移すべき。官僚政治にNO。(維新の)橋下徹代表代行が大阪でやった公務員改革を国でも進めたい。
 当時の維新の主張に忠実に沿った主張です。
 ところが維新は14年に分党。杉田氏は橋下氏側でなく平沼赳夫氏や石原慎太郎氏らによって結成された「次世代の党」を選択して14年総選挙を再び兵庫6区で戦うも惨敗。浪人生活を強いられます。
 公式サイトによると杉田氏の「好きな言葉」は「過去と人は変えられない。自分と未来は変えられる」「置かれた場所で咲きなさい」。どうやら言葉通りの変化がこの後に訪れるようです。
必ずしも比例順位を厚遇されたとはいえない
 浪人時代に従軍慰安婦問題などでの発信を続けたのが安倍晋三首相(当時)の目にとまり、17年総選挙からは自民党公認・比例中国ブロック単独候補として当選を重ねて今日に至ります。中国ブロックになったのは彼女が鳥取大学出身と土地勘があったのもさることながら同ブロック内の山口4区が安倍氏の選挙区であるのが決定的でしょう。
 一部には「比例順位を厚遇された」とありますが、実際には「厚遇」というほどでもありません。17年は17位、21年総選挙は19位ですから。対して自民党の比例区(比例代表に同じ。以下同)獲得議席は17年が5で21年は6。順位だけで考えると当選は到底覚束ないはずです。
 からくりは杉田氏自身がかつて恩恵を受けた復活当選制度にあります。17年の自民名簿1位は小選挙区の候補が同一順位にずらっと並び、1人以外が選挙区で当選したため(=名簿から抜ける)17位でも自民内2位。
 21年は少々厳しかった。選挙区事情で自民の名簿1位は単独候補。2位に重複立候補者が並んで小選挙区で敗れた2人が復活当選。さらに18位の単独候補も当選し、自民としては6人当選中5番目に滑り込みました。
 以上のように杉田氏の当選3回で小選挙区勝利は一度もありません。1回は比例復活。2回が比例単独での議席獲得となるのです。
自民王国のブロックゆえ当選できたからくり
 杉田氏が自民移籍後の2回の総選挙で議席を得られた最大の理由は上位に並ぶ重複立候補者が小選挙区で勝ちまくるブロックであるというのが非常に大きい。中国ブロック内全20選挙区のうち自民が候補者を擁立した19選挙区(1選挙区は連立与党の公明党に譲る)での勝敗は実質(※注)18勝1敗。「実質」というのは岡山3区は自民公認が敗れて比例復活しているものの、勝った無所属候補も当選後自民へ入党しているからです。
 何でこんなに強いのかというと中国が全国屈指の世襲王国だから。無所属を含む18人中実に13人が世襲。自民が選挙区を落とした広島6区は当選した立憲候補が世襲というおまけつき。
 世襲は地元のいわば「殿様」で固い支持層が期待できます。山口に至っては21年、世襲の参院議員であった林芳正氏が衆院に鞍替えしたため弾き出される形となった河村建夫衆議院議員が息子に世襲して比例中国ブロックでの優遇を求めるも果たせなかったという激しさです。もし河村家の世襲がかなっていたら杉田氏の当選は一層厳しくなったでしょう。
 このことから杉田氏を引き上げた安倍氏の画策という声もささやかれました。可能性は否定できません。ただ仮にそうであっても「杉田氏を守る」以上の動機が安倍氏にはあったのです。93年までの中選挙区時代、安倍家と林家、および河村氏が地盤を引き継いだ田中義一元首相の息子の系統が同じ旧山口1区でしのぎを削ったライバルでした。この期に葬っておきたいと考えてとしても(憶測ですが)おかしくありません。
 いずれにせよ杉田氏は中国地方の自民王国という特殊性で助かっている部分が大きいのです。
「自民」と書いてもらってパイを広げるのが当選につながる
 もっとも選挙は水もの。杉田氏の順位より上にズラッと重複立候補がいて場合によっては比例区で議席を得る=杉田氏にとってピンチという可能性は常にあります。防ぐためには比例の自民票を増やす自助努力が求められるのです。
 日本の小選挙区比例代表制は2票制で比例区は政党名のみ有効。すなわち杉田氏が支持を訴えるにあたって「杉田水脈」と個人名を書かれたら無効になります。
 ここは極めて重要。普段選挙でよく聞く候補者名の連呼は比例単独候補にとって何の意味もありません。あくまで「自民」と書いてもらってパイを広げるのが自身の当選につながるのです。
 ここで杉田氏の主張を重ねてみましょう。「生産性がない同性愛の人たち」「女性はいくらでもウソをつける」「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」などなど。有権者に性的少数者を異端視したり、嫌韓感情が強い者も多くいるのは事実で、そうした思想・信条の持ち主が「よく言ってくれた」と賛同する可能性は十分あります。
 しかも杉田氏自身が女性というのも武器たり得るのです。女性ならばジェンダー平等を唱えるはずなのに(この発想もステレオタイプですが)逆の意見を述べると説得力が高まる効果が期待できます。
 むろん自民支持者が皆杉田氏の発言に賛同するわけではありません。ただ炎上上等で同調するコアな支持層を引き寄せるだけの意義は選挙戦略として十分に認められそうです。
定数是正の大波を受けて当選が危ない次回総選挙
 ただこうした捨て身(?)の作戦も今後役立つか暗雲が立ちこめてきました。臨時国会で成立した衆議院議員定数「10増10減」が彼女のいる中国ブロックに大きな影響を与えそうだから。
 まずブロックの定数自体が1つ減ります。さらにブロック内にある小選挙区が3つも減ってしまうのです。減員された議員を比例単独上位に処遇するとか、コスタリカ方式を採用するといった過去の対処法が純粋に次回総選挙で採られたならば既に21年の段階で杉田氏より上位に2人の比例単独がいたところに上澄みされるので当選は非常に厳しくなりそう。庇護者の安倍氏ももういません。
 保守王国ゆえに名簿2ケタの単独でも比例区で当選してきた杉田氏。皮肉にも保守王国ゆえの「殿様」比例区転出で議席を失いかねない状況です。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tarobando/20221212-00327778

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昔も今も、華南は中国中央政府を脅かす――中国の〈南北対立〉とは?

2022-12-12 | 先住民族関連
現代ビジネス12/12(月) 7:03配信
「中華民族の偉大な復興実現」、「一つの中国」を唱え、対外拡張路線を進める中国。
それは今になってはじまったわけではない。
なんと歴代王朝もまた中華世界の拡大を図っていたのだ! 
そのはじまりは南にある辺境の地・華南の統合であり、それを担ったのは移民たちだった。
だが、移民たちは中央政府に従順な、単なる良民ではなかった……。
『越境の中国史』は、移民たちの壮絶な歴史と、彼らが築いた社会の姿を教えてくれる。移民者たちの〈フロンティア・スピリット〉を知れば、もうひとつの中国の姿が見えてくる! 
(※本稿は、菊池秀明『越境の中国史』一部再編集の上、紹介しています)
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台湾からアフリカまで拡大する中国の脅威!
 いま中国の周辺世界は大きく揺れている。「中華の復興」を唱えて強国化を進める中国に対して、近隣の諸国および地域が抱く警戒心はかつてないほどに高まっている。
2020年6月に中国政府は香港で国家安全維持法を施行し、それまで一つの国内に資本主義と社会主義という異なる二つの制度が存在する「一国二制度」の原則のもとで認められていた自由な言論に禁圧を加えた。
また中国は台湾の民進党政権を、大陸と台湾が「一つの中国」として不可分の関係にあるという考えを受け容れない勢力として批判し、外交および軍事面で厳しい圧力を加えている。
いっぽう中国国内ではウイグル人に対する統制が強化され、国家の安全を脅かすと見なされた人々の拘束や迫害が行われている。それはモンゴル人やチベット人など他の民族も例外ではなく、彼らの言語や文化を否定した同化政策が進んでいるという。
さらに中国は「一帯一路」と呼ばれる広域経済圏構想のもと、圧倒的な経済力を背景として東南アジア、アフリカなどで影響力を強めた。政府間で交わされた債務の返済に苦しむこれらの国々では、中国系企業の利益重視の姿勢がともすれば貧困に苦しむ現地の人々の反発を招いている。
こうした中国周辺地域が直面している問題を読み解くためには、華南に視座をおいた中国の歴史をきちんと振り返る必要がある。
民族の衝突、そして融合の地、それは華南!
 現在中国の主要民族となっている漢民族(歴史的には漢人)の歴史は、大きく見れば北方から南へ向けての越境の歴史だった。漢人の移民は中国王朝の版図に属しながら、先住民族が多く住んでいた東南、西南の各省へ入植した。
やがてそれらの地域が飽和状態になると、移民はさらなる辺境へ向かい、海を越えて東南アジアに広がった。
中国中心の視点に立てば、移民は周辺地域を内地化することで中華世界の拡大に貢献したのであり、現在世界に散らばる華人はこの移民の後裔にあたる。
いっぽう辺境の諸民族にとって、中華世界の拡大は中国王朝の軍事侵攻と向きあう苦難の歴史だった。彼らは王朝政府の苛酷な統治に加えて、漢人の移民による激しい搾取と差別に苦しんだ。
また漢人の移民も厳しい競争のなかで互いにぶつかり合い、中には政府の統制を嫌ったために弾圧を受ける者がいた。辺境の統治に貢献しながら、成功を収められず切り捨てられた者たちは、王朝政府に強い不信感を抱いた。
現在の香港、台湾で見られる中国政府に対する反発は、こうした長い歴史的背景を持った現象だと言えるかも知れない。
このように中国は、古くから多様な民族が衝突と融合をくり返しながら形成されてきた社会であった。それは政治的、文化的に強い統合圧力をかかえながら、同時に地域や民族の境界を越えて移動する人々によって不断に「創り出された」社会でもあった。
この中国社会の特質は、華人の故郷である福建、広東の二省やそれと隣接する地域──華南に最もよく表れた。中国の南端に位置する華南の歴史は、いまの中国を理解するうえで焦点となる場所なのである。
華南が歴史を動かした!
 華南の歴史はこれまで日本人にあまり知られてこなかった。
日本人にとって馴染みのある中国史はまず遣唐使など日本の使節が派遣され、黄河流域を中心に多くの王朝が興亡をくり返した古代の歴史、あるいは騎馬遊牧民族が進出して王朝をうち立てた北方の歴史が中心だったからである。
しかし中国の歴史は北方だけを中心に展開してきた訳ではなかった。
10世紀に成立した宋朝以後、長江下流域にあたる江南地方(華中あるいは広義の華南と呼ばれることもある)の開発が進み、貨幣経済が浸透して華北すなわち北方各省とのあいだに南北の経済的格差が生まれた。
それは14世紀に成立した明朝の首都を江南に置くか、モンゴル人の王朝だった元の首都で北方の軍事的要地である北京に置くかという論争となって表れた。
明の永楽帝が首都を南京から北京へ移して以来、近代にいくつか短命の政権が南京を首都にしたのを除くと、中華人民共和国に至るまで首都は北京に置かれ続けた。
いわば政治的必要が経済的な合理性を圧倒したのである。
この間も華南は政治の表舞台に立つことはなかった。発展を遂げた江南に代わるフロンティアとして、移民の入植と開発のただ中にあったからである。北京の王朝政府から見れば、華南は江南のさらに南にある辺境の地だった。
だが近代に入るとこうした情況は一変した。もともと海外交易の窓口である泉州、広州を抱えていた華南では、近代ヨーロッパとの出会いをきっかけに新しい時代を担う動きが始まった。
太平天国の洪秀全[こうしゅうぜん]、辛亥革命の孫文など後に「革命」と評価される運動の指導者や、改革派と呼ばれる人材の多くはこの華南の出身者だった。
革命であれ、改革であれ、中国史上初めて南から北へ向かって変革の風が吹いた時代――それが中国近代史なのだ。
華南VS.中央政府
 新たな時代の担い手としての華南の役割は、1978年に始まった改革開放政策に受け継がれた。植民都市として建設された深センなどの経済特区がこの政策の牽引車の役割を果たしたことは良く知られている。
1992年にトウ小平が南方の諸都市を視察して、外資導入による経済建設を大胆に進めるように指示した南巡講話も華南の発展を加速させた。
ただしそれは数百年間続いてきた中央政府による政治重視の姿勢を排除するものではなかった。北の政府や人々にとってみれば、華南は江南に代わって台頭してきた新興勢力だった。
それまで上海の頭を押さえつけていれば良かったものが、新たに広東という異質な文化と向き合わなければならなかったのである。
しかも西側諸国との窓口だった南の世界がもたらした価値観には、資本主義的な消費文化に加えて国内の民主化に関する政治的要求が含まれていた。共産党内の保守勢力はこれを精神汚染とみなして危機感を持ち、1989年の天安門事件で弾圧に踏み切った。
近年こうした国家による統制がとみに強化されていることは、中国で唯一天安門事件について語ることが可能だった香港で、事件の追悼集会が事実上禁止されたことによく表れている。
現在の習近平による権威主義的な統治は、中国における南北の対立や国家と社会の緊張関係という歴史的背景を持った産物なのである。
中央政府は南からのエネルギーを統御できるのか?
 華南経済圏の発展を支えたのは、越境する人々のエネルギーであった。
中央政府の眼が届きにくかったこともあり、華南には中国社会の中でも相対的に「自由」な空間が生まれた。
天安門事件後に国家の統制が厳しくなった時でも、華南では「上に政策があれば、下には対策がある」という言葉が示すように保守的な中央の意向に必ずしも従わない自律性が見られた。
 近年中国が強大化する中で国家の統制が強まり、メディアや知識人に対する言論の弾圧がくり返される中で、こうした空間は急速にしぼんでしまったように見える。
だが中国は日本人が考えるほど一律で規格化された社会ではない。水面下に隠れながらも、越境することで様々な圧力を乗り越える行動力は今なお生きている。
菊池 秀明(国際基督教大学教養学部教授)
https://news.yahoo.co.jp/articles/aaa56243a3ce79f165d14e3538a5bbe6c03f2bf5

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