先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ民族の映画 俳優・宇梶さんPR

2022-06-06 | アイヌ民族関連
北海道新聞06/05 21:29

舞台あいさつで映画化の裏話などを話す宇梶剛士さん(井上浩明撮影)
 アイヌ民族をルーツに持つ青年の葛藤を描いた舞台演劇「永遠ノ矢 トワノアイ」を記録した映画の上映が3日、帯広の映画館シネマ太陽帯広で始まった。4日には作・演出、出演を兼ねた俳優宇梶剛士さんが同館で舞台あいさつした。
 東京で生まれ育った主人公がアイヌ民族の亡き父の故郷である北海道を訪れ、自らのルーツや家族と向き合う内容。宇梶さん主宰の劇団「パトスパック」(東京)が2019年に東京で上演し、昨年には北見など道内3カ所で公演された。映画は昨夏に釧路で行われた舞台の公演記録。
 舞台あいさつで、宇梶さんは「映像化により、役者の汗が見えるなど舞台と違う、新しい醍醐味(だいごみ)を感じた。皆さんに見てほしい」と語った。
 上映は9日まで。問い合わせは同館(電)0155・20・1525へ。(古谷育世)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/689858

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反毛皮の波で苦境に、カナダ先住民の伝統的なわな猟師たち 写真20点

2022-06-06 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック2022.06.05

「わな猟はわたしの人生の大きな部分を占めています」と、カナダ、ノースウエスト準州のイエローナイフ郊外でわな猟を営むネイサン・コギアク氏は言う。「これはわたしが先祖とつながる方法なのです」(PHOTOGRAPH BY PAT KANE)
 2020年春、ジュールズ・フォーネル氏は、現金6万ドルを持ってカナダのコルビルレイクに到着した。氏はカナダ、ノースウエスト準州政府の毛皮バイヤーで、北極圏にあるこの人口130人の集落までやってきたのは、テン、マスクラット、オオカミ、キツネ、オオヤマネコの毛皮への前金を支払うためだった。
 しかしその冬、英女王エリザベス2世はもう毛皮製品を購入しないとの話が伝わってきた。この噂が人々の間に広まり、どうやら毛皮を買う人はひとりもいそうにないと考えた地元のわな猟師たちは、わなを仕掛けていなかった。フォーネル氏は、6万ドルの現金に手をつけないまま現地を去った。あれから2年がたっても、コルビルレイクでの毛皮取引は回復していないとフォーネル氏は言う。「この地域のわな猟は壊滅的な打撃を受けました」
 わな猟に支えられてきた経済が打撃を受けているのはコルビルレイクだけではない。ファッション界から毛皮を追放することを目指す近年の運動に加えて、価格の暴落、環境の変化、野生動物の毛皮の供給源である北部の先住民コミュニティーにおける生活費の上昇が、事態に拍車をかけている。そのせいで、カナダ北部に暮らす先住民が何百年にもわたって続けてきた生活様式が危機に直面している。
「ああした小規模なコミュニティーには産業がありません」と、政府による毛皮買い入れプログラムを主導するネイサン・コギアク氏は言う。「わな猟から得るお金が、彼らの稼ぎの大半を占めています」
 コルビルレイクでわな猟が盛んだったころには、「スノーモービルが午前3時まで休むことなく走り続けていました」とフォーネル氏は言う。しかし今では、「わな猟で生計を立てることはできないでしょう」
気まぐれなファッション
 ロナルド・ビーバー氏は11歳のとき、カナダ、アルバータ州ワバスカにあるクリー族の集落周辺の猟場で初めてオオヤマネコを捕まえ、彼の父親はその毛皮を1100ドルで売った。「1981年のことです」とビーバー氏は言う。父親は息子に100ドルを渡し、何でも好きなものを買いなさいと言ってくれたという。
 あれから40年がたち、状況はすっかり変わってしまった。2022年3月にカナダ、オンタリオ州ノースベイで開催された野生動物の毛皮のオークションでは、オオヤマネコの毛皮の売値は平均で1枚160ドルにも満たなかった。
 世界の毛皮貿易が始まって以来、その価格は気まぐれな流行に左右されてきた。19世紀には、ビーバーの毛皮を使った帽子が大きな人気を博し、北米のビーバーは絶滅寸前にまで追い込まれたが、流行が変わったことによってビーバーは救われ、その毛皮の価格はあっという間に下落した。
 毛皮に対する業界の姿勢は、最近のほうが激しく揺れ動いている。1990年代初頭、北米先住民であるディネ族出身のファッションデザイナー、ダーシー・モーゼズ氏は、毛皮を使ったデザインを依頼され、出来上がった商品はいくつもの高級デパートに買い取られた。
「毛皮が問題になることはありませんでしたし、人々はファッションアイテムとして毛皮を身につけていました」とモーゼズ氏は言う。
 しかしその後、強硬な反毛皮ロビー団体がファッション業界に狙いを定めた。大規模な反対運動により、ハイファッションにおける毛皮の需要は、90年代末から2000年代初頭にかけて減っていった。ただし2010年代になると、需要は再び増加に転じる。
 毛皮の価格がピークに達したのは、ファッションショーの世界に毛皮が大々的なカムバックを果たした2014年のことだった。しかし、この復活は長くは続かなかった。その年以降、反毛皮活動家たちは、ファッションブランドや、英王室などの大きな影響力を持つ存在を対象に、毛皮を使わない未来という考えに同意するよう直接圧力をかけ、次々と勝利を収めていった。
 2015年以降、アルマーニ、グッチ、ヒューゴボス、ヴェルサーチェ、シャネル、マイケル・コース、ラルフローレン、トミー ヒルフィガー、ジミー チュウが毛皮を使わないと宣言し、その他多くの大手ファッション・小売ブランドも同様の対応をとった。かつては野生動物の毛皮使用を支持していたカナダグースなどの企業もこれに加わった。オランダ、アムステルダムなどの都市、米カリフォルニアなどの州、さらにはイスラエルのような国家までが、新たな毛皮製品の販売を禁止しており、その数は今後さらに増加するとみられる。
 こうした最近の傾向は、先住民のわな猟師にとって好ましいものではない。ヨーロッパやアジアの毛皮農場であれば、比較的容易にコストの上昇や価格の下落を吸収できるが、野生動物の毛皮の利益幅は非常に薄く、ゼロに等しい。
 フォーネル氏は言う。「3年前、ノースウエスト準州のフォートグッドホープで出会った3人のわな猟師は、労力をかけても見返りが何もないと口を揃えていました」
伝統文化か動物か
 毛皮産業を批判する側の人たちは、わな猟がじわじわと絶滅していくことを、動物の非人道的な扱いを終わらせる闘いにおける大きな勝利としてとらえている。
「エシカル(倫理的)に調達される毛皮など存在しません」と語るのは、動物保護団体「ヒューメイン・ソサイエティー・インターナショナル」の毛皮禁止運動アドバイザー、シェリー・ブライアン氏だ。「毛皮目当ての動物の搾取や殺害は、それを農場で行う場合であれ、野外に仕掛けられたわなを使う場合であれ、動物を苦しめずにはできないのです」
 毛皮業界の関係者でさえ、こうした運動家たちが業界の基準を確立するうえで果たした役割を認めている。彼らの働きかけにより、脚をはさまれた動物が生きたまま放置されるタイプのわなは72時間に1度は見回るといった、法律上の最低基準が設けられた。
 しかし、わな猟を完全に禁止することは、先住民コミュニティーにとって多大な負担となる。カナダ北部では、わな猟とその伝統は毛皮貿易よりもずっと古くから存在し、多くの人々の文化的アイデンティティーにとって極めて重要なものとなっている。
 わな猟は、カナダ先住民の健全な暮らしに欠かせない世界観の一部をなしている。かつて雑誌にそう書いたのは、ノースウエスト準州の南の州境に位置するカナダ、ウッド・バッファロー国立公園でわな猟を行うクロエ・ドラゴン・スミス氏とロバート・グランジャンベ・ジュニア氏だ。
「わな猟は、わたしたちと大地とのかかわりの根底にあるものです」とドラゴン・スミス氏は言う。「大地に接しているおかげで、わたしたちは感情、精神性、精神力、肉体といった、自身のアイデンティティーをすべて完全な状態に保てるのです」
 西欧世界では多くの人が、人間は自然にとって有害なものとみなしていると、ドラゴン・スミス氏は言う。「しかしわたしたちの文化では、人間は豊かさを生み出し、自然世界の中ですべてが繁栄するのを助けるうえで必要不可欠な存在なのです」
 最近では、カナダ各地の環境当局が、現場の状況を知るうえでわな猟師を頼ることが増えている。
「わな猟師、猟師、漁師は、その仕事の性質上、動物たちがどこへ行き、何をし、豊かで健康であるために何を必要としているかを理解する必要があります」と、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学の野生生物学者クレイトン・ラム氏は言う。「野生動物の暮らしを妨げる何かが起こっているとき、たいていは科学者や政府よりも先に、地元の土地管理者がそれを知ることになります」
 そして政府は今、そうした人々の力を活用するために多額の資金を投入している。カナダが進める「先住民管理者」プログラムでは、全国の先住民猟師を雇用し、彼らが先祖代々暮らしてきた土地での、野生動物の健康状態や気候の変化の監視を依頼している。
新たなわな猟師
 ノースウエスト準州の州都イエローナイフからほど近い猟場で、デボン・アルールー氏は、片側を開けた合板の箱にバネ式のわなと餌を仕掛けていた。好奇心旺盛な動物が餌に引き寄せられてやってくれば、一瞬で首をへし折られてしまうだろう。
 アルールー氏が狙うのはオオカミ、クズリ、テンだ。イエローナイフの生活費は高く、日中の本業も辞めるわけにはいかないが、この3種であれば、まずまずの収入を生んでくれる可能性が高い。
 アルールー氏のような若いわな猟師は最近では珍しい。氏は2年前、副収入を得るために、YouTubeやオンラインフォーラムでわな猟のやり方を学んだ。
 動機のひとつとなったのは、ノースウエスト準州が提供する「純マッケンジーバレー産毛皮プログラム」だった。これは、地域政府が北部産の毛皮を買い取って市場に出す制度だ。買取額は、たいていはオークションで取引される価格を大きく上回る。毛皮が大幅に高く売れた場合はわな猟師にボーナスが支払われ、安く売れたとしても、受け取った金を返す必要はない。
「市場で大きな変動があったときには、政府が差額を負担してくれるのです」とコギアク氏は言う。「このプログラムがなければ、かなり悲惨なことになるでしょう」
 それでも、まだ十分とは言えない。昨年、同準州で活動していたわな猟師はわずか280人だったと、コギアク氏は言う。かつてわな猟師の数は1000人にものぼったという。
 毛皮の行く末が再び不透明になっている今、ドラゴン・スミス氏とグランジャンベ氏は、補助金プログラムが市場の刺激から抜け出すように望んでいる。現在のやり方は、「価格が高ければ猟をするというメンタリティー」を助長しかねない。逆に、安ければとらないという人が出てくるのも決して良いことではない。
 グランジャンベ氏によると、1980年代、オオヤマネコの価格が高かった時期には、わな猟によってオオヤマネコの数がある程度まで減り、彼らの主食であるウサギが繁殖する助けとなったという。
「しかし1982年には毛皮市場が大暴落し、オオヤマネコが売れなくなりました」と氏は言う。その結果、わな猟師たちがオオヤマネコを捕るのをやめると、その数は何倍にも増え、ウサギを食べ尽くしてしまうほどになった。「84年には、オオヤマネコもウサギもいなくなりました。この地域では、以前のバランスはまだ取り戻せていません」
「野生動物の毛皮は重要ですが、そこには製品としての価値だけでなく、さまざまな理由があるのです」とグランジャンベ氏は言う。グランジャンベ氏とドラゴン・スミス氏は、毛皮をその天然由来のバリエーションと、それぞれの毛皮が先住民のコミュニティーにもたらす恩恵を強調して市場に売り出せるのではないかと考えている。
 成長するアジアの毛皮市場であれば、いい反応を得られる可能性はある。2021年1月18日付けで「ヴォーグ ビジネス」誌に発表された調査によると、中国の消費者は、動物福祉と倫理的実践に大きな関心を寄せるようになってきているという。
 先住民がとる毛皮のよりよい未来はしかし、地元の市場にあるのかもしれない。毛皮の由来や文化的な重要性をわかってくれる人たちを相手に売るというのは、より高い値段をつける方法のひとつではある。ビーバー氏はパウワウ(先住民が集う祝祭)で晴れ着用の毛皮を売り、アルールー氏は「その動物がどうやってわなにかかったのかを語れる」地元の人たちを相手に商売をしている。
 かつて世界の高級ファッションメーカーに毛皮を売っていたモーゼズ氏もまた、先住民の捕る毛皮を売れる地元の市場が増えるように望んでいる。毛皮の縁取りがついた服を何百万着も作る時代は終わったという反毛皮団体の主張ももっともだと、モーゼズ氏は言う。
「しかし、先住民コミュニティーとの協力関係があれば、毛皮は持続可能なものになります」と氏は言う。「毛皮は経済的な利益をもたらし、文化を維持し、誇りを与えてくれるものです。居留地に一度も足を踏み入れたことのない反毛皮団体によって、それを奪われるのはごめんです」
文=JOHN LAST/写真=PAT KANE、AMANDA ANNAND/訳=北村京子
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/stories/22/060100038/?ST=m_photo

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『DNA解析と「アイヌ民族否定論」―歴史修正主義者による先住民族史への干渉』についての補遺

2022-06-06 | アイヌ民族関連
note2022年6月4日 10:28
 このたび専門外にも関わらず、『解放社会学研究』35, (2022) pp. 7-32に標記の論文を(査読を経て)掲載していただきました。こちらの論旨が伝わる程度にはなんとか論文の字数制限内に入れることができましたが、書き残したこともかなりあるので、いくつか補足説明をします。
 まず、最初に問題にしたいのは、2014年に公刊された的場光昭による『アイヌ民族って本当にいるの?金子札幌市議「アイヌ、いない」発言の真実』(展転社、2014)に「五 これだけの科学的証拠、“アイヌが先住民族”のウソ」という章が設けられていることです。そもそも先住民族というのは人権問題における用語であり、政治的なイッシューです。歴史によって規定されるため「科学」が入り込む余地は本来ありません。近現代における蝦夷地・北海道でのアイヌ史を概観するだけで先住民族に該当することは明白です。つまり、問題設定から詭弁を用いているということに注意が必要です。加えて、著者が医師であることから科学的知見を持っていることを読者は疑わないでしょう。さらに、近現代史、特にアイヌ史については公教育できちんと扱わないために知識の空白が生じているところです。これだけの条件が整えば、著者の主張をそのまま真実として受け取られてしまう蓋然性は非常に高いと言わざるを得ません。
 この本では「科学的」と前置きをおいて、分子人類学者の篠田謙一の著書(篠田、2007)および講演録(篠田、2012)を引用し、そこから、アイヌは北海道の縄文人の子孫ではないという結論を導いています。しかし、篠田による原典と的場の引用を比較すると、意図的に一部を省略することによって、アイヌは縄文人の子孫であり、それに加えてオホーツク人の遺伝子も受け継いでいるという篠田の主張を、読者にわからないように改竄しているのです。
 学問の成果はまず原著論文として発表され、専門家の間で検証が重ねられて生き残ったものが定説となります。この本が発刊された2014年時点において、分子人類学でアイヌが縄文人の子孫ではないとした学術論文は私が調べた範囲では存在しませんし、その後現在に至るまで、すべての研究成果は縄文人の子孫であるという説を補強こそすれ否定するものはありません。日本語で読めるものとして、増田隆一による『遺伝的特徴からみたオホーツク人:大陸と北海道の間の交流』(北海道大学総合博物館研究報告、2013)をあげておきます。論文の図2を見れば、それ以上の説明は必要ないはずです。
 さらに問題なのは、この本がヘイトスピーチ、すなわち民族差別を煽動する言説であることです。アイヌが民族としての権利を主張することは、危険であるという「現代的レイシズム」の一例とみなすことができます。東條慎生は
「小林,的場らが,なぜこのような弥縫策を弄してまで,アイヌ民族否定論を組み立てるのか。小林の議論に特徴的なのは,アイヌの政治的主張を「特権」の要求とみなすところだ。これは,歴史的に差別抑圧を被ったことへの回復措置を特権と称して攻撃する在特会のロジックとも同型で,現在の差別主義の特徴的な要素である。」『「アイヌ民族否定論」に抗する』(河出書房新社、2015)
と、在日コリアンに対する差別との類似性を指摘しています。そして実際に、的場は『アイヌ副読本『アイヌ民族:歴史と現在』を斬る―北朝鮮チュチェ思想汚染から子供を守れ』(展転社、2020)なる書籍を刊行するに至るのです。
 ここで、小林(よしのり)の名が出てきたのは偶然ではありません。論文では註10にその旨を書いておきました。時系列で言えば、まず的場が『正論』に投稿することから始まります。的場の文章は西村慎吾が全文引用する形をとって同誌437号(産經新聞社、2008)に掲載されます。これがきっかけとなって、国会のアイヌを先住民族とする決議に対する論難が始まります。さらにその内容を、小林が漫画『ゴーマニズム宣言』(小学館、2008)で広めます。論文の註6で、的場が屯田兵村の割り当て面積を間違ったことが、検証されずにそのまま小林の漫画でも踏襲されていることを指摘しています。ここから、小林は実際に資料にあたったわけではなく、的場の言うことを鵜呑みにしていたことがわかります。後に、香山リカとの対談(『創』、2015)で小林が「あなたね、歴史のことを考える時には第一次史料、第二次史料、第三次史料って形で、ちゃんと紐解かなきゃいけないの。」と諭すように言っているが、当の本人が「第一次史料」を確認していなかったということになります。
 横道にそれましたので、ヘイトスピーチの話に戻ります。ちょうど昨日、人権団体「のりこえねっと」の共同代表である辛淑玉が、DHCテレビジョンおよび長谷川幸洋に対して損害賠償を訴えた裁判の控訴審判決が東京高裁から出されました。判決は、DHCテレビジョン側には損害賠償を支払うこと、長谷川への訴えは棄却するとした地裁判決を踏襲するものでした。判決後の記者会見において、この番組は在日コリアンである原告を通した沖縄差別であるということ。そして、日本の法律ではこの差別を裁くことができないことを強調していました。論文で書いた問題についても全く同じ構図が当てはまりまることは、上に書いた通りです。
 正直なところ、物理学実験を専門とする私が専門外の分子人類学の原著論文を読むのはかなりの困難を要しました。その上、投稿先も『解放社会学研究』という全く分野違いのものでしたので、査読を通過して掲載されたのは奇跡的なことだと思っています。そこまでの労力を払ったのは、的場が私の勤務校の出身であることが大きな理由です。私は将来医師になる有望な若者に対して物理学の基礎を教えるのはもちろんのこと、自然科学というものの考え方、文章作法を指導する立場にあります。我々は先人の知恵の集積に基づいてそれを学ぶことで、最先端の問題に取り組むことができるのです。そのためには論文の引用についての「作法」を自然にこなせるようにならなければなりません。特に医師のような専門家の発言にはその立場に応じた責任が伴います。物理学実験が専門だからと逃げてはいられない重大な問題として、主に正月の休暇を利用して書いたのがこの論文です。ぜひともご覧くださるよう心からお願いします。
2022年6月 旭川医科大学物理学教室 准教授 稲垣克彦
参考文献
稲垣克彦、DNA解析と「アイヌ民族否定論」―歴史修正主義者による先住民族史への干渉、『解放社会学研究』35、2022
東條慎生、再演される戦前―アイヌ「民族」の定義について、岡和田晃、マーク・ウィンチェスター編、『「アイヌ民族否定論」に抗する』、河出書房新社、2015
小林よしのり、ゴーマニズム宣言第35章 アイヌは先住民族なのか?、『SAPIO』454、小学館、2008
小林よしのり、香山リカ、『創』、2015
篠田謙一、『日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元構造』、NHK出版、2007
篠田謙一、特別講演 縄文人はどこから来たか、北の縄文文化を発信する会編、『縄文人はどこから来たか』、2012
西村慎吾、アイヌ先住民族決議の背後にある日本人悪しかれ史観の嘘、『正論』437、産經新聞社、2008
増田隆一、遺伝的特徴から見たオホーツク人 : 大陸と北海道の間の交流、『北海道大学総合博物館研究報告』6、 2013
的場光昭、『アイヌ民族って本当にいるの?金子札幌市議「アイヌ、いない」発言の真実』、展転社、2014
的場光昭、アイヌ副読本『アイヌ民族:歴史と現在』を斬る―北朝鮮チュチェ思想汚染から子供を守れ』、展転社、2020
https://note.com/ji3xok/n/nf1aef059e36c

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<日本の名湯>北海道・ポロト湖畔で大自然を満喫 白老温泉「界 ポロト」

2022-06-06 | アイヌ民族関連
毎日キレイ6/5(日) 17:00
今年1月に北海道・白老(しらおい)温泉に開業した宿「界(かい) ポロト」。デザインは建築家の中村拓志(ひろし)さんが手がけ、アイヌ文化から得た着想を随所に取り入れ、さまざまな木材を活用した。なかでもひときわひかれるのはシラカバで、館内にいるのにまるでシラカバ林の中にいるような癒やしを感じられる。窓の外には、動植物にあふれる天然林と美しいポロト湖が広がり、大自然を満喫できる。
 客室はすべてポロト湖ビュー。客室にもシラカバがあしらわれており、フローリングは足なじみも良く、温かい季節なら裸足で木のぬくもりを感じられそう。リネンのアイヌ文様のほか、炉をイメージしたテーブルなど、調度品にも随所にアイヌ文化からの着想がちりばめられている。
 温泉は、化粧品にも配合される天然由来の成分が含まれたモール泉。コーヒー色のとろみのある湯が、心地よく全身を包む。余分な角質や皮脂をオフしてくれるので、スキンケア効果が期待できる。大浴場は、日帰り施設の〇湯(まるのゆ)と宿泊者専用の△湯(さんかくのゆ)。〇湯は洞窟のような空間でぽっかりと空いた天井の穴から光が差し込む。△湯は、アイヌ文化の建築様式「丸太組みの三脚構造」で建てられている。
 食事処は半個室とカウンター席。半個室は、壁の木材の節穴から漏れる光がまるで夜空に浮かぶ星に見え、デザイン性があって楽しいのがいい。ポロト湖ビューの半個室もある。
 食事は毛ガニやホタテ貝、ウニやじゃがいもなど北海道らしい食材を生かした会席料理。器やカトラリーでアイヌ文化の特色を表現している。意外性のある料理もあり、驚きと感動にも出合える。
 宿の隣にはアイヌ文化の復興と発展を目的とした施設「民族共生象徴空間 ウポポイ」がある。歴史や文化を学べる博物館のほか、子供も参加できる調理や弓矢などの体験、伝統芸能の鑑賞などさまざまなプログラムを楽しむことができる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab12e44e6104fcf98f8ae3f57ba35651ca31cd25

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