ナショナルジオグラフィック2022.06.05

「わな猟はわたしの人生の大きな部分を占めています」と、カナダ、ノースウエスト準州のイエローナイフ郊外でわな猟を営むネイサン・コギアク氏は言う。「これはわたしが先祖とつながる方法なのです」(PHOTOGRAPH BY PAT KANE)
2020年春、ジュールズ・フォーネル氏は、現金6万ドルを持ってカナダのコルビルレイクに到着した。氏はカナダ、ノースウエスト準州政府の毛皮バイヤーで、北極圏にあるこの人口130人の集落までやってきたのは、テン、マスクラット、オオカミ、キツネ、オオヤマネコの毛皮への前金を支払うためだった。
しかしその冬、英女王エリザベス2世はもう毛皮製品を購入しないとの話が伝わってきた。この噂が人々の間に広まり、どうやら毛皮を買う人はひとりもいそうにないと考えた地元のわな猟師たちは、わなを仕掛けていなかった。フォーネル氏は、6万ドルの現金に手をつけないまま現地を去った。あれから2年がたっても、コルビルレイクでの毛皮取引は回復していないとフォーネル氏は言う。「この地域のわな猟は壊滅的な打撃を受けました」
わな猟に支えられてきた経済が打撃を受けているのはコルビルレイクだけではない。ファッション界から毛皮を追放することを目指す近年の運動に加えて、価格の暴落、環境の変化、野生動物の毛皮の供給源である北部の先住民コミュニティーにおける生活費の上昇が、事態に拍車をかけている。そのせいで、カナダ北部に暮らす先住民が何百年にもわたって続けてきた生活様式が危機に直面している。
「ああした小規模なコミュニティーには産業がありません」と、政府による毛皮買い入れプログラムを主導するネイサン・コギアク氏は言う。「わな猟から得るお金が、彼らの稼ぎの大半を占めています」
コルビルレイクでわな猟が盛んだったころには、「スノーモービルが午前3時まで休むことなく走り続けていました」とフォーネル氏は言う。しかし今では、「わな猟で生計を立てることはできないでしょう」
気まぐれなファッション
ロナルド・ビーバー氏は11歳のとき、カナダ、アルバータ州ワバスカにあるクリー族の集落周辺の猟場で初めてオオヤマネコを捕まえ、彼の父親はその毛皮を1100ドルで売った。「1981年のことです」とビーバー氏は言う。父親は息子に100ドルを渡し、何でも好きなものを買いなさいと言ってくれたという。
あれから40年がたち、状況はすっかり変わってしまった。2022年3月にカナダ、オンタリオ州ノースベイで開催された野生動物の毛皮のオークションでは、オオヤマネコの毛皮の売値は平均で1枚160ドルにも満たなかった。
世界の毛皮貿易が始まって以来、その価格は気まぐれな流行に左右されてきた。19世紀には、ビーバーの毛皮を使った帽子が大きな人気を博し、北米のビーバーは絶滅寸前にまで追い込まれたが、流行が変わったことによってビーバーは救われ、その毛皮の価格はあっという間に下落した。
毛皮に対する業界の姿勢は、最近のほうが激しく揺れ動いている。1990年代初頭、北米先住民であるディネ族出身のファッションデザイナー、ダーシー・モーゼズ氏は、毛皮を使ったデザインを依頼され、出来上がった商品はいくつもの高級デパートに買い取られた。
「毛皮が問題になることはありませんでしたし、人々はファッションアイテムとして毛皮を身につけていました」とモーゼズ氏は言う。
しかしその後、強硬な反毛皮ロビー団体がファッション業界に狙いを定めた。大規模な反対運動により、ハイファッションにおける毛皮の需要は、90年代末から2000年代初頭にかけて減っていった。ただし2010年代になると、需要は再び増加に転じる。
毛皮の価格がピークに達したのは、ファッションショーの世界に毛皮が大々的なカムバックを果たした2014年のことだった。しかし、この復活は長くは続かなかった。その年以降、反毛皮活動家たちは、ファッションブランドや、英王室などの大きな影響力を持つ存在を対象に、毛皮を使わない未来という考えに同意するよう直接圧力をかけ、次々と勝利を収めていった。
2015年以降、アルマーニ、グッチ、ヒューゴボス、ヴェルサーチェ、シャネル、マイケル・コース、ラルフローレン、トミー ヒルフィガー、ジミー チュウが毛皮を使わないと宣言し、その他多くの大手ファッション・小売ブランドも同様の対応をとった。かつては野生動物の毛皮使用を支持していたカナダグースなどの企業もこれに加わった。オランダ、アムステルダムなどの都市、米カリフォルニアなどの州、さらにはイスラエルのような国家までが、新たな毛皮製品の販売を禁止しており、その数は今後さらに増加するとみられる。
こうした最近の傾向は、先住民のわな猟師にとって好ましいものではない。ヨーロッパやアジアの毛皮農場であれば、比較的容易にコストの上昇や価格の下落を吸収できるが、野生動物の毛皮の利益幅は非常に薄く、ゼロに等しい。
フォーネル氏は言う。「3年前、ノースウエスト準州のフォートグッドホープで出会った3人のわな猟師は、労力をかけても見返りが何もないと口を揃えていました」
伝統文化か動物か
毛皮産業を批判する側の人たちは、わな猟がじわじわと絶滅していくことを、動物の非人道的な扱いを終わらせる闘いにおける大きな勝利としてとらえている。
「エシカル(倫理的)に調達される毛皮など存在しません」と語るのは、動物保護団体「ヒューメイン・ソサイエティー・インターナショナル」の毛皮禁止運動アドバイザー、シェリー・ブライアン氏だ。「毛皮目当ての動物の搾取や殺害は、それを農場で行う場合であれ、野外に仕掛けられたわなを使う場合であれ、動物を苦しめずにはできないのです」
毛皮業界の関係者でさえ、こうした運動家たちが業界の基準を確立するうえで果たした役割を認めている。彼らの働きかけにより、脚をはさまれた動物が生きたまま放置されるタイプのわなは72時間に1度は見回るといった、法律上の最低基準が設けられた。
しかし、わな猟を完全に禁止することは、先住民コミュニティーにとって多大な負担となる。カナダ北部では、わな猟とその伝統は毛皮貿易よりもずっと古くから存在し、多くの人々の文化的アイデンティティーにとって極めて重要なものとなっている。
わな猟は、カナダ先住民の健全な暮らしに欠かせない世界観の一部をなしている。かつて雑誌にそう書いたのは、ノースウエスト準州の南の州境に位置するカナダ、ウッド・バッファロー国立公園でわな猟を行うクロエ・ドラゴン・スミス氏とロバート・グランジャンベ・ジュニア氏だ。
「わな猟は、わたしたちと大地とのかかわりの根底にあるものです」とドラゴン・スミス氏は言う。「大地に接しているおかげで、わたしたちは感情、精神性、精神力、肉体といった、自身のアイデンティティーをすべて完全な状態に保てるのです」
西欧世界では多くの人が、人間は自然にとって有害なものとみなしていると、ドラゴン・スミス氏は言う。「しかしわたしたちの文化では、人間は豊かさを生み出し、自然世界の中ですべてが繁栄するのを助けるうえで必要不可欠な存在なのです」
最近では、カナダ各地の環境当局が、現場の状況を知るうえでわな猟師を頼ることが増えている。
「わな猟師、猟師、漁師は、その仕事の性質上、動物たちがどこへ行き、何をし、豊かで健康であるために何を必要としているかを理解する必要があります」と、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学の野生生物学者クレイトン・ラム氏は言う。「野生動物の暮らしを妨げる何かが起こっているとき、たいていは科学者や政府よりも先に、地元の土地管理者がそれを知ることになります」
そして政府は今、そうした人々の力を活用するために多額の資金を投入している。カナダが進める「先住民管理者」プログラムでは、全国の先住民猟師を雇用し、彼らが先祖代々暮らしてきた土地での、野生動物の健康状態や気候の変化の監視を依頼している。
新たなわな猟師
ノースウエスト準州の州都イエローナイフからほど近い猟場で、デボン・アルールー氏は、片側を開けた合板の箱にバネ式のわなと餌を仕掛けていた。好奇心旺盛な動物が餌に引き寄せられてやってくれば、一瞬で首をへし折られてしまうだろう。
アルールー氏が狙うのはオオカミ、クズリ、テンだ。イエローナイフの生活費は高く、日中の本業も辞めるわけにはいかないが、この3種であれば、まずまずの収入を生んでくれる可能性が高い。
アルールー氏のような若いわな猟師は最近では珍しい。氏は2年前、副収入を得るために、YouTubeやオンラインフォーラムでわな猟のやり方を学んだ。
動機のひとつとなったのは、ノースウエスト準州が提供する「純マッケンジーバレー産毛皮プログラム」だった。これは、地域政府が北部産の毛皮を買い取って市場に出す制度だ。買取額は、たいていはオークションで取引される価格を大きく上回る。毛皮が大幅に高く売れた場合はわな猟師にボーナスが支払われ、安く売れたとしても、受け取った金を返す必要はない。
「市場で大きな変動があったときには、政府が差額を負担してくれるのです」とコギアク氏は言う。「このプログラムがなければ、かなり悲惨なことになるでしょう」
それでも、まだ十分とは言えない。昨年、同準州で活動していたわな猟師はわずか280人だったと、コギアク氏は言う。かつてわな猟師の数は1000人にものぼったという。
毛皮の行く末が再び不透明になっている今、ドラゴン・スミス氏とグランジャンベ氏は、補助金プログラムが市場の刺激から抜け出すように望んでいる。現在のやり方は、「価格が高ければ猟をするというメンタリティー」を助長しかねない。逆に、安ければとらないという人が出てくるのも決して良いことではない。
グランジャンベ氏によると、1980年代、オオヤマネコの価格が高かった時期には、わな猟によってオオヤマネコの数がある程度まで減り、彼らの主食であるウサギが繁殖する助けとなったという。
「しかし1982年には毛皮市場が大暴落し、オオヤマネコが売れなくなりました」と氏は言う。その結果、わな猟師たちがオオヤマネコを捕るのをやめると、その数は何倍にも増え、ウサギを食べ尽くしてしまうほどになった。「84年には、オオヤマネコもウサギもいなくなりました。この地域では、以前のバランスはまだ取り戻せていません」
「野生動物の毛皮は重要ですが、そこには製品としての価値だけでなく、さまざまな理由があるのです」とグランジャンベ氏は言う。グランジャンベ氏とドラゴン・スミス氏は、毛皮をその天然由来のバリエーションと、それぞれの毛皮が先住民のコミュニティーにもたらす恩恵を強調して市場に売り出せるのではないかと考えている。
成長するアジアの毛皮市場であれば、いい反応を得られる可能性はある。2021年1月18日付けで「ヴォーグ ビジネス」誌に発表された調査によると、中国の消費者は、動物福祉と倫理的実践に大きな関心を寄せるようになってきているという。
先住民がとる毛皮のよりよい未来はしかし、地元の市場にあるのかもしれない。毛皮の由来や文化的な重要性をわかってくれる人たちを相手に売るというのは、より高い値段をつける方法のひとつではある。ビーバー氏はパウワウ(先住民が集う祝祭)で晴れ着用の毛皮を売り、アルールー氏は「その動物がどうやってわなにかかったのかを語れる」地元の人たちを相手に商売をしている。
かつて世界の高級ファッションメーカーに毛皮を売っていたモーゼズ氏もまた、先住民の捕る毛皮を売れる地元の市場が増えるように望んでいる。毛皮の縁取りがついた服を何百万着も作る時代は終わったという反毛皮団体の主張ももっともだと、モーゼズ氏は言う。
「しかし、先住民コミュニティーとの協力関係があれば、毛皮は持続可能なものになります」と氏は言う。「毛皮は経済的な利益をもたらし、文化を維持し、誇りを与えてくれるものです。居留地に一度も足を踏み入れたことのない反毛皮団体によって、それを奪われるのはごめんです」
文=JOHN LAST/写真=PAT KANE、AMANDA ANNAND/訳=北村京子
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