毎日新聞 2月8日(金)20時32分配信
内戦状態が続くシリアから、ロシアの北カフカス地方に移り住むチェルケス人が急増している。中東などに広範なコミュニティーを持つチェルケス人にとって北カフカスは、1世紀半前に帝政ロシアの圧迫で離れざるをえなかった「民族の故郷」。シリアの戦火が帰還の機運を高めている形だ。
シリアの首都ダマスカスで技師として働いていたショウカットさん(68)は昨年春、妻イプティサムさん(63)、36歳と31歳の息子2人と北カフカスにあるカバルジノ・バルカル共和国の首都ナリチクに移住した。一家が暮らすのは、ソ連時代に建てられたサナトリウム(保養施設)の一室。施設はシリアからの帰還民に提供されており、現在38部屋に56人が滞在している。
「曽祖父が今のシリアに逃れた。父から北カフカスが故郷であることを聞き、いつか戻りたいと思っていた。シリア情勢の悪化で帰還を決断した」とショウカットさん。仕事はまだ見つかっていないが、地元の人が食事などを支援してくれており、「不自由はしていない」と話す。
在外チェルケス人の受け入れ支援のため08年に設立された地元の市民組織「前衛」によると、中東に住むチェルケス人の北カフカス移住はソ連崩壊前後から見られるようになり、年に100人程度が入ってきていた。だが、内戦激化に伴うシリアからの移住者が急増し、最も多いカバルジノ・バルカル共和国では昨年だけで約500人にのぼった。移住者は近隣のカラチャイ・チェルケス、アディゲ両共和国にも来ている。シリアでは今も約2000人のチェルケス人が帰還を希望しているという。
しかし、移住後の環境は厳しい。「前衛」の代表でシリアからナリチクに移住したアフマド・スタシュさん(39)によると、帰還者はロシア語が話せず、日常生活や職探しで苦労するケースが多い。特に技能労働者はロシア語ができないと就労できず、「前衛」ではロシア語教室を開いてサポートしている。
また、ロシア政府は国外のチェルケス人を「同胞」と認定していない。このため、ソ連崩壊で独立した共和国に住む「同胞」ロシア人が本国に移住する場合に受けられる公的支援を得られない。通常の外国移民と同じ扱いとなり、毎年の受け入れ枠が制限されている。居住許可に煩雑な行政手続きが必要で、さらに市民権を取るには最低5年かかるという。
政権側がチェルケス人の受け入れに消極的な理由として、中東のイスラム過激主義や、逆に「アラブの春」のような民主化運動がロシアに広がることを警戒しているともいわれる。在外チェルケス人組織の一部は、来年2月にロシア南部ソチで開かれる冬季五輪について「1864年に帝政ロシアによるチェルケス人大虐殺が起きた場所だ」として反対しており、政権は神経をとがらせている。
これに対し、スタシュ代表は「シリアのチェルケス人でアサド政権支持または反体制派支持の人はごく少数で、9割は政治的に中立だ」と話す。シリアの内戦が泥沼化するなか、「チェルケス人はロシアを唯一の『庇護(ひご)者』としてみている。政府は我々の声をもっと聞いてほしい」と積極的な支援を求めた。【ナリチク(ロシア南部)田中洋之、写真も】
◇チェルケス人とは
北カフカスの先住民で、19世紀にカフカス征服を進めた帝政ロシアの迫害を受け、多くが当時のオスマントルコ領内に逃れた。主にイスラム教を信仰する。現在ロシアに78万人が住み、国外ではトルコ(約400万人)、ヨルダン(約12万人)、シリア(約9万人)のほか米国やドイツなどに計500万人以上が暮らしているといわれる。
http://mainichi.jp/select/news/20130209k0000m030061000c.html
内戦状態が続くシリアから、ロシアの北カフカス地方に移り住むチェルケス人が急増している。中東などに広範なコミュニティーを持つチェルケス人にとって北カフカスは、1世紀半前に帝政ロシアの圧迫で離れざるをえなかった「民族の故郷」。シリアの戦火が帰還の機運を高めている形だ。
シリアの首都ダマスカスで技師として働いていたショウカットさん(68)は昨年春、妻イプティサムさん(63)、36歳と31歳の息子2人と北カフカスにあるカバルジノ・バルカル共和国の首都ナリチクに移住した。一家が暮らすのは、ソ連時代に建てられたサナトリウム(保養施設)の一室。施設はシリアからの帰還民に提供されており、現在38部屋に56人が滞在している。
「曽祖父が今のシリアに逃れた。父から北カフカスが故郷であることを聞き、いつか戻りたいと思っていた。シリア情勢の悪化で帰還を決断した」とショウカットさん。仕事はまだ見つかっていないが、地元の人が食事などを支援してくれており、「不自由はしていない」と話す。
在外チェルケス人の受け入れ支援のため08年に設立された地元の市民組織「前衛」によると、中東に住むチェルケス人の北カフカス移住はソ連崩壊前後から見られるようになり、年に100人程度が入ってきていた。だが、内戦激化に伴うシリアからの移住者が急増し、最も多いカバルジノ・バルカル共和国では昨年だけで約500人にのぼった。移住者は近隣のカラチャイ・チェルケス、アディゲ両共和国にも来ている。シリアでは今も約2000人のチェルケス人が帰還を希望しているという。
しかし、移住後の環境は厳しい。「前衛」の代表でシリアからナリチクに移住したアフマド・スタシュさん(39)によると、帰還者はロシア語が話せず、日常生活や職探しで苦労するケースが多い。特に技能労働者はロシア語ができないと就労できず、「前衛」ではロシア語教室を開いてサポートしている。
また、ロシア政府は国外のチェルケス人を「同胞」と認定していない。このため、ソ連崩壊で独立した共和国に住む「同胞」ロシア人が本国に移住する場合に受けられる公的支援を得られない。通常の外国移民と同じ扱いとなり、毎年の受け入れ枠が制限されている。居住許可に煩雑な行政手続きが必要で、さらに市民権を取るには最低5年かかるという。
政権側がチェルケス人の受け入れに消極的な理由として、中東のイスラム過激主義や、逆に「アラブの春」のような民主化運動がロシアに広がることを警戒しているともいわれる。在外チェルケス人組織の一部は、来年2月にロシア南部ソチで開かれる冬季五輪について「1864年に帝政ロシアによるチェルケス人大虐殺が起きた場所だ」として反対しており、政権は神経をとがらせている。
これに対し、スタシュ代表は「シリアのチェルケス人でアサド政権支持または反体制派支持の人はごく少数で、9割は政治的に中立だ」と話す。シリアの内戦が泥沼化するなか、「チェルケス人はロシアを唯一の『庇護(ひご)者』としてみている。政府は我々の声をもっと聞いてほしい」と積極的な支援を求めた。【ナリチク(ロシア南部)田中洋之、写真も】
◇チェルケス人とは
北カフカスの先住民で、19世紀にカフカス征服を進めた帝政ロシアの迫害を受け、多くが当時のオスマントルコ領内に逃れた。主にイスラム教を信仰する。現在ロシアに78万人が住み、国外ではトルコ(約400万人)、ヨルダン(約12万人)、シリア(約9万人)のほか米国やドイツなどに計500万人以上が暮らしているといわれる。
http://mainichi.jp/select/news/20130209k0000m030061000c.html