ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

四角形

2015-11-05 15:43:46 | 日記・エッセイ・コラム
今日は前回の「三角形」に引きずられて「四角形」とします。

「四角形」の話題は書きづらいところがあって、これまで避けてきたような感じがしております。これまでに「三角形」、「五角形」、「六角形」、「七角形」、「八角形」の話題は書きましたので、抜けている「四角形」の話題も避けて通れないような気がしております。

なぜ、四角形が書きづらいかと言うと、それは日常的には四角形はあまりにも普通で、他のカタチよりも圧倒的な多数派であると思われるからです。例えば、住んでいるマンションも店のビルも四角形ですし、毎日見ているTVやパソコンの画面も四角形です。身の回りには他にも多くの四角形のものがあり、日常は四角形で溢れていると言えるでしょう。



今日の最初の写真は昨日撮ってきた京都の建仁寺・方丈の格天井です。(「方」には四角形の意味があります。)四角形の集合形の典型だと思い、思わず写真を撮りました。

私はどちらかと言うと多数派を好みません。ベストセラーとかヒット商品には興味が無く、むしろそのようなものを避ける傾向があると思います。そのような理由から多数派だと思われる四角形も避けてきたように感じております。

ただ、人間の日常では多数派の四角形も自然界でもそうかと言うと、実はそうではなく、どうも四角形は少数派のようです。

赤瀬川原平氏の著作に「四角形の歴史 (こどもの哲学・大人の絵本)」というタイトルの本があって、「自然界に四角形のものは存在しない、これは人類が作り出したものだ。」というような事が書いてあるそうです。私もそのように思います。四角形は人間が作り出したもので、文化とか産業と言ったような人為的なものはキチンとした四角形が基盤になっていると思います。それは合理的で効率的なカタチであり、しかも作り易いカタチだからなのだろうと思います。

では、自然界ではどうでしょうか?

例えば、四角形が六面で構成される立方体のカタチをした黄鉄鉱のキューブ状の結晶は、一見するとあたかも人工的に作られたもののように感じてしまいます。逆に、それが自然のものである、ところが面白いのですが、あまりにも完全なキューブ状の結晶は、それが珍しいものだとしても、鉱物コレクションに加えようとすると若干躊躇してしまいます。それはその完全さが人工的なものかもしれないという疑念を生み出すからです。人間的な日常世界にいると、どうしてもそのような先入観に捕われてしまうのだろうと思います。

店の中で四角形を探してみると、少数派ながら、幾つか見つかりました。黄鉄鉱以外には、まず、岩塩の結晶があります。



今日の2番目の写真はそれです。これはカナダのSeleine鉱山の岩塩の結晶です。これが面白いのは内側の四角形を取り込むように青みがかった外側の四角形があって、四角形の2重構造のように見えるところだと思います。

今日はあえて写真は出しませんが、方鉛鉱の結晶の中にも立方体や立方八面体のカタチをしたものもあり、そこにも結晶面に四角形があります。

他にも切頂八面体や斜方立方八面体のカタチをした螢石の結晶の一面にも四角形の面があります。また、魚眼石や沸石類の中にも四角形のカタチを見出す事ができます。

変わった四角形のものとしては、極希に水晶のウィンドウに正方形を成すものがあります。過去に一度話題にした事がありました。(「ウィンドウ水晶」2012-07-03 )

このように見ていくと、鉱物の世界では四角形は決して多数派とは言えないものの、少数派ながらしっかり存在しております。鉱物の世界の四角形は三角形や六角形のような鉱物らしい存在感があるカタチと比べると、どうしても人為的に普通という印象が残ってしまい、相対的に存在感が薄くなってしまっているという気がしてしまいます。

鉱物の世界からまたミクロの化学の世界に視点を移すと、アヌレンという環状炭化水素が四角形をしております。マクロな視点では宇宙には「赤い正方形の星雲」(MWC922)という四角形を見出す事ができます。それから動物や植物の世界でも四角形の存在は知られているようです。自然界にも少ないながらも四角形は存在しております。そういう意味で「自然界に四角形のものは存在しない。」という言葉は間違いです。

同じように曲線的なデザインで知られたルイジ・コラーニ(1970年代に一世を風靡したインダストリアル・デザイナー)の「自然界に直線はない。」という有名な言葉も間違いです。なぜなら自然界には四角形やその他の多角形があり、それらは直線から成り立っているからです。

どうも「四角形」からは「どんなものにも例外がある。」という教訓を読み取れそうな気がしてきました。ただし、論理学的には「例外のない規則はない」という例外のパラドックスがあります。その命題は自己矛盾に陥っており、「三角形」の時の無限と同じように、またもや「知の限界」を知らしめる事になりそうです。

三角形も四角形も単純なカタチでありながら、実は、そこには禅のような深い意味が込められており、深読みしすぎると「知の限界」に陥ってしまうようです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三角形 | トップ | 純粋階段 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事