ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 





国立駅北口徒歩7分ほどに モロゴロという カフェがあります。
農家の方が営んでいて、店頭で採れたての野菜も買えるという、嬉しいお店。

今日はこちらで、風呂敷使い方講座に呼んでいただきました。



1時間半は、あっという間です。まだまだお伝えしたい技も残っていたので
ランチ後に、いくつか一緒に結んだりしました。

そういえば、今回のチラシが、手描きのイラスト入りのすてきなレイアウトで、
創造に満ちた場です。描いてくださった方は、カフェで食べられるパンも焼いています。



ふろしきの結び方の他、歩き方、走り方、縫い方、染め方、健やかに役立つ技術は
つながっているので、いつかまた、ここで楽しいことを共有できたらと感じています。

今日は、お子さま連れのお母さんが多くて、にぎやかでした。
風呂敷のある生活が、子育てをより豊かに彩るでしょう。

ご参加のみなさま、お店の方々、本当に このマイペースな僕を
迎えてくださり、ありがたく思っています。

お互い、よきコラボをして、相乗効果を盛り立てていきましょう。

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帰り途。

北千住の宿場通りの槍かけ団子は
建て替えたようで、手描き看板は無くなっていた。

また、最近近くに大学ができたようで、
街はことのほか若者で賑わいたり。

それはよいこととして、
荒川放水路がさみしかった。

だけど、そもそも自然界は 畏(かし)こき世界にて
ちょっと怖いくらいで普通なんだけど、
それを克服すべく開発するのではなく
こわさに寄り添いながら、慎ましくも健やかに暮らしていれば
自然が妖怪の(かたち)となって、かえってサポートしてもらえる。

無関心が最も危険で、
川はこわい処、海はこわい処、山はこわい処
・・・だけど私たちを育んでいる、かけがえなき環境ゆえに
もっとよく知らねばと。

それと比べて、うちのちっちゃな庭の愛(かな)しさときたら。
とはいえ、小さいながらの妙(たえ)なる生態系は不思議に満ち、
僕自身の挙動、季節、コトリなどの訪問者、庭の意志()とで
映りゆく氣配の愛(いとお)しさはたまらなく深い。

いっぽん(数輌)の鉄道で遇えるか分からないほどの美女であっても、
我が家のこむぎ畑で遊ぶ、つぶらな瞳のカナヘビにはたして叶うだろうか。

今年は出逢えるか分からない、
氣まぐれのワープで来るカナヘビは、
むしろ小麦畑の精霊かも。
手足がありトカゲの仲間ですが、
漢字で愛蛇(かわいいヘビの意)と書きます。

うちは、野菜くずを庭に置いてから
ヨシズを立て掛けて目隠ししているが、
それを食べるナメクジや団子虫が増えると
小鳥やカナヘビが食べにくるのだ。

まだ寒くて虫は少ないが、毎日スズメ、きじばと、目白が来る。
麦のおかげで、寒い庭も青々している。
これからの移ろいも楽しみです。


(2011年)

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今日は夜から北千住で風呂敷講座のため
今向かっています。

歴史のある宿場町通りを進み、手描き看板が味のある
槍かけ団子 の先を左に曲がると、会場の生涯学習センター。

北千住は、特につくばエクスプレスができてから
浅草の実家からも行きやすくなりましたが、
初めに訪れたのは意外と新しく、学生時代に映画の撮影に来ました。

たしか うらなり少女というタイトルで、
冴えない娘が自分の思いのままの放課後を過ごす話。

一人、目隠ししてふかしたかぼちゃを公園でスイカのごとく割り、
ベンチでほくほく食べてる絵が思い出される。

北千住はまるで島のように、2本の川で挟まれてる低地ゆえか
昔から物資が、そして人々が集まり飲み屋なんかも多い。
水商売は、文字通り水辺が適しているのかな。

川面にせり出して たわたわと実る夏みかん、
これも好きな水風景だ。
その川にはたまにボラの大群がやってきたりと。

ボラは高級魚だが、水が汚れると臭いがついて敬遠されるようになった。

川の上流は一見きれいだけど、本来は下るほどに
倖(サチ)は増える。

日本文化が、剥き出しをよしとせず
物もこころも表現にしても、くるみにくるんでしまうのは
もしかして、くるまれている物を食べてきたからか。
云わく、くるみや貝。

それは半分しゃれみたいなものだが、
手間をかけるほどエネルギーが高まるという感覚がつよいのかもしれない。

機能を高めるための段取りだった手間が、
いつしか、手間がかかっていること自体価値があるとされているような。

実質はチャチでも、余分な手間を何層も塗り重ねて、
いかにもよきに見せて高く売り逃げる、という手法が、
あらゆる製品やサービスや肩書きに浸透していよう。

腐ったおうちに キュートな壁紙、それが忌まるる現代だ。

クルミもはまぐりも趣のある殻にくるまれているけれど、
食べて美味しいのは中身だ。
いざ、裸んぼうではばたきたい。

もしも日々、自らの裸身を鏡に映して讃えたならば、
細胞はぴちぴちとはねて 本来のキレ♪が甦ってくるだろう。

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今日、つわりの妻の代理で、聖蹟桜ヶ丘の料理教室へ行って参りました。

時間がぎりぎりだったので、駅からバスを待たず、
桜ヶ丘の山を走って上る。
アニメ『耳をすませば』で朝焼けを臨むために
上っていったのと同じ坂道。

毛糸帽子とマフラー、セーターにジャケットの冬服に風呂敷リュックでしたが、
疲れにくい忍者走りで汗もかかず、バスに追い抜かれずに到着しました。




さて、そんな忍者歩きも学べる講座を、来月のはじめに開催します。

・3/2(土)代々木上原 ヘルシーBAR
11:00 代々木上原駅(小田急または千代田線)改札の外待ち合わせ ~13:00 その後ランチ。
参加費2500円
駅から会場までは、風呂敷を背負うにもぴったりな、疲れない歩き方、忍者歩きを実習します。
会場では、風呂敷の基本と応用を身につけます。自然食ランチ付き。
参加ご希望の方は、メール isamix@gmail.com までご連絡ください。

補足:忍者歩き/走りのメリットの例。
・溜めがなく、すばやく無駄なく、歩いて走れる。
・腕を振らないため、歩き、走りながら手を色々と使える。
・背中にしょったリュックなど荷物が揺れず、腕も振らないので、疲れにくい。
・お盆やカメラを揺らさずに、滑るように歩いたり走ったりできる。
・前を向いたまま横移動ができるので、危険をよけやすい。
・筋肉よりも骨中心の身体使いで、年をとっても負担のない身のこなし。

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今日も一日お世話になりました、と
自分のからだをねぎらいたい。
特にいっぱい運動したわけではないが、
妻が産院に行っている間、息子と共にいながら
家で洗い物、染めもの、土いじり、メールなどをした後、
引っ越して一年してなかった印鑑登録のために
自転車タンデム(?)で市役所へ行った。

しかし、本人確認の免許証の住所が前の前の
実家浅草のままだったため発行できず。
保険証ならあるけど、役所は規則で動く所、
個人商店のような融通は利かない。
窓口でブ~垂れてもいっこう駄目なのは承知だ。
担当者さんが息子に「また一緒に来てね~」と微笑んだので、つい
「一緒だから大変なんですぅ」とつぶやく。
自転車キコキコこいで帰宅し、パスポートを持って再び臨んだ。
さて、来週あたりは税務署だ。

今朝はバナナ入りのホットケーキを焼いた。
タマゴではなく少々の重曹で膨らませているので、
風味が今川焼のようで下町育ちには懐かし美味しい。

家庭の中には、ちょっとした仕事が無数に在る。
そしてそれらはパズルのようにつながっていて、
ここを片付けたお蔭でこのスペースにそれを置けて、
そのお蔭で・・・と小さなきっかけから
ぴりりと響いてくるから、頭で優先順位を決めるよりも
今目の前にいる者を手塩にかければ、きらきら光が射すものだ。

先日山梨へ風呂敷講座でおじゃました時も、
帰りに川原に寄って 庭に使う石ころを拾い集めたが、
その場にあるものや自然に集まったものを工夫し生かすべきと
思い直し、石は置いて帰った。

何故かしら?川原に香ばしい空氣を感じれば、
ちょいと向こうに鹿が倒れてて、
胴体はワシなどに喰われたのか骨になっていた。

見つめて、この山深いところ、人の住んだ歴史も浅く
元々はシシ(山の動物)たちの領域だなって感じたのも、
石を置いて帰ったきっかけです。

様々な経験や価値観の人々と逢うという意味では、
世界一周もご近所一周も同義だ。
我が輩が市長、否、町会長にでもなった暁にゃ
ご近所と出逢うきっかけと居場所を作りませう。
TPPや多国籍企業の影響を受けない、自給自足、地産地消、
そして住人の自主的な自治へ、未来を得る。

異国にきらめく石のあろうとも、
僕はおらが庭に元々あった石ころを主軸に
庭いじりを遊びたくてよ。

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昨日、山梨で風呂敷講座をしたときの写真。
日よけつき帽子(潮干狩帽)をかぶっているこの方は、
90歳すぎのとっても元氣ではっきりしている女性。

高齢の方は、健康を保ってきたがゆえに高齢まで生きているわけで、
げんきのない中年よりもずっと元氣だったりします。

彼女は、自分よりも20才ほど若い(それでも70以上)参加者に、
正座の姿勢を正すようアドバイスしていました。
「シリで座るな、ムスメ(女性器や子宮のこと)で座れ。背すじが伸びるよ」

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ズボンを手渡し、食材を買って再び京王線で折り返し。

JRよりも時間はかかっているはずが、
疲れが全くないので
のどかなちょっとローカル線はよいな。

同じことは、自転車のほうがひと息で突っ走っちゃうために
歩いたほうが疲れない
佳き歩き方をすると、一部の骨や筋肉に集中することがないので
各機関がほんのちょっとずつ供給すれば足りる
サスティナブル?な省エネモードなのだ。

まあ、疲れ方というのは 筋肉やカロリー消費だけでなく
自分の焦り方や電磁波の問題、うれしさや楽しさの有無によって変わる。

辛氣くさい新幹線で京都まで2時間で突っ走るよりも、
日だまりの鈍行で すきな漫画や小説をめくりながら
10時間かけて着くほうが、楽ちんな場合もある。

女性は実際的な快適を重要視するだろうが、
比較的男性は、たとえば向かいに魅力的な女性が座っていれば
その時間だけでも時を忘れて時めくでしょう。

無理に断じるなら、
男性の悩みは食べ過ぎ(浪費)が原因だが、
パンチラひとつでしあわせを感じる。
一方女性は、男性からの寵愛の無さが苦痛の原因で、
それは沢山食べることでバランスをはかる。
要するに、男性は物質的な問題を、精神的なときめきで解消した氣分になれて、
女性は逆に、精神的な問題を、物質的な安定で心安めてしまうということ。

ですから、やっぱり結ばれて一つになります。

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京王線にのって、都心へ向かい中。
オーダーメイドの、大アサ本藍染のズボンをお届けに。

せっかくの都心であるけれど、自宅に大切な友達がくるから
流浪せず舞い戻る。

最近は、何かしら毎日描いているが、
素材を大切にする自分にしては、
コピー用紙にボールペンと色エンピツという、
手軽すぎる道具による。

絵を描く行為が全く特別なことでなく、
トイレに行くくらいにありふれた日常でありたいという
そこはかとない意識の表れか。

絵を描くのがスキな人が たとえば美術大学に入ると
やがて絵を描かなくなるというのはありがちだ。

高校時代までは、クラスでイラストを描く者は数名で
皆から大事に(?)されたり家庭で誉められてきた子が、
まず芸大美大受験のための予備校で
物のかたちを見えた通りに表す デッサンの訓練を続けながら、
幼少より築き上げてきた自分なりの画風を
いったん消失する。

以前のように テンシがそそのかすように
迷いなくわくわくとは描けなくなる。

経験を重ね、いざ学校に入ると、周りはみな
描いてきた者たち。

いるだけで目立って、モチベーションにつながる環境ではない。
そうして、何となく絵を描かなくなっていく。

何かのデザインはしても、落書きからはじまったルンルンたる絵の道が
美大受験により途絶えた子は案外多いのではないか。

しかし、それでも描きつづけてる者は、
基礎訓練による財産や混成を経て
もう一度、時を忘れてまなざしを傾けずにはいられない
おらがイラストの世界を取り戻したりもする。

我輩も 拙き画にござそうらえども、
物心つく前から好きだった絵は、
マイペース、ときにぞっこんしながら 続いていくだろう。

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先日の多摩川につづいて、今日は八王子まで自転車で買い物に行く途中の

浅川という、多摩川支流を訪れた。
自宅からは最も近い川です。ちなみに、実家に近いのは隅田川。

多摩川よりは小さい川だが、親しみやすい。
河川敷にグランドもなく、街の中にすうと溶け込んでいる川だ。

おそらく、下水を処理した水の流入がないのか、
多摩川のような藻のにおいがない(処理水は富栄養のため、藻が生じやすい)。
ちょっと入れば、石ころの明るい川原が広がっていて、ほのぼのする。

ちょうど、同時にやってきた小学校高学年くらいの女子2人が
川原に降りて、「あー、氣持ちいい~っ」と素直に歓ぶ。

石ころころの上を歩ける川原の存在は、大切だ。
そこを歩くだけで、バランス感覚を調えたり、つぼ押しにもなりそうな石の道。
漂着の流木も拾える。石を積んでたき火もできる。
河川敷の両サイドの護岸は目をつぶるとしても、
直接の水際の護岸の、味氣無さというか、無機質のこわさは
かえって心を凍らせて、川や水との付き合い方を身に付けるべくもなく
安全保障を妨げるのではないかとすら感じる。

激烈な水害を緩和するための、最低限度の土木は必要だけど、
ぎりぎりまで人間が住めるようにするための護岸工事は
結局その場しのぎで、自然を甘く見ている。

川辺や、川の水位よりも低い土地にはなるべく住むべきでないし、
建てるならば、流され壊れること前提に、質素で趣のある掘っ立て小屋にして、
軒に小舟をつるし、日常は観光やレクリエーションのための
海の家ならぬ川の家というレベルのものがつきづきし。

それは海辺にもいえる。津波で破壊されること前提に、
雨季と乾季のある国などを参考にしたい。

ともあれ、野球グランドは賑わうけれど、水際までは
バーベキュー以外にさほど人々の集わない多摩川に比べると、
浅川のほうが水までの川原の幅も狭くて、氣軽に近づける。
といっても、川に行こうとする人は少ない。



流れのそれた小川には、川魚の子がメダカのようにスイスイ泳ぐ。

僕は、基本的に川のは持ち帰らないのだが、
庭で畝(うね)を支える石が欲しいと前々から探していたので、
川原に向けて、「うちに来たい人!?」と尋ねながら
同じ場所を何周も回りながら丁重に石を選んでは戻し、
最終的に5つの石を持ち帰ることに。
その交換として、以前は小銭を置いておくという考えだったが、
今日は、僕の思いを込めて水筒の水を川に注いだ。

庭の畝にはまだ足りないが、すてきな一員がちょっと加わるだけで、
庭のポテンシャルがどんと引き出されるように、自分の氣持ちが上がる。
また遊びにいこう。暖かい季節もまた、楽しそうです。

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あまり脈絡なく イラストを載せてましたが、
絵を描くのは僕にとって最大の癒しかもしれない。

他に 癒されることとは、マサに今こうして
ブログに文を書いていること・・・
のんびりすいてる電車で移動中に打つのも好きだ。

最近は ホットケーキを焼くのが、食べるに勝るくらい好きやねん。
騎馬民族ゆえか、元々粉ものは得意なんだけど
(ちなみに、騎馬民は北方のため、略奪する地域の穀物が麦なのだ)
ホットケーキには、多くの人々と同じに
子ども時代の懐かしさがある。



氷河期を生き抜いたDNAの本能的には、
食べ物はまずカロリーの高いものを選ぶから、
油(バター)と糖分(メープルシロップ)のほとばしる
ホットケーキは、命くすぐる糧と映らむ。

昨日焼いたのは、お粉に重曹少々と塩と水を練って
フライパンで焼いただけ。豪華にするなら、
重曹の代わりに泡立てタマゴ、ミルクと甘みも混ぜるでしょうが
今そこにある材料で簡易につくるのが好き。
(ちなみに今回は強力粉を使った。)

熱して油敷いたフライパンにタネを落としたら、
中弱火で焼き続けて、重曹のおならがぽつと湧いたら
すぐにペホとしっくり返す。
そしたら、うちはフタをして、氣の済むまで焼く。

熱々のに、上等のバタを乗せて塩を振るとこたえられないが、
牛の苦手な人は 美味しい油を注ぐがよい。
マーガリンは消化によくないのでおすすめしません。

甘みは、芳しのメープルが王道で カナダの輸入品ならよいが
国産のはたいてい混ぜ物が多い。
ハチミツは、粘りがあってケーキに染みにくい。
生地じたいに甘みをつけなければ、パンのように
おかずを挟んでも食べられる。

ホットケーキでこない長々書くつもりはなかった。

布団の中。

あ 風呂敷講座のお知らせは、ひとつ前の投稿です。

明日17(日)はまだ参加者がいないので(よくあること・・・)
あなたがご参加ならば、嬉しがって逢いにいきます。

よき週末を。おやすみなさい♪

(翌朝追伸)
代々木上原では、3/2(土)にも、ふろしきの歩き方・結び方実習を開催します。
1つ前の日記・今後の講座でご確認ください。よろしくお願いします。

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2/13の閲覧数が 333 だった。ベトナムのビールだか。

いやや、 お日さま サンサン たる 希望を現している 贈り物だ。


このうれしさを、いま ここを読んでいるあなたに

注ぎます。 サン サン サン ○きらきら~ !っ



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帰りみち。
帰宅は日をまたぐかな。
お台場で行われた、日本ふんどし協会のイベントに招待いただき
あれこれ楽しく拝見しました。

ふんどしも、風呂敷も、先入観では エッ...昔の ?。 と思われがちであるが、
使い方と、有用な機能、素材のデザインによる印象の違いを知ると
何だか欲しくなってくるところと、
元の形はほぼ一定ながら 素材や色柄によって
イメージががらりと変わるのも似ている。

我が輩も 風呂敷から数年後にふんどしを始めて、
10年くらいになるのか。

始めの数年間は、ただ腰に一本ヒモを巻いて結び、
後ろに手ぬぐいの先を挟み入れてから
もう一方の、下に垂れた先を股にくぐらせて
お腹のひもの下から引っ張り出して垂らす
という、セパレートタイプの越中ふんどしだった。

扱いやすくて便利なのだが、その場しのぎに映ったらしく
見かねた祖母が さらしにひもを縫い付けた
ザ ふんどし をこしゃえてくれた。

その後は、布の端を輪に縫ってひもを通すかたちにして、
素材も 乾きやすく清潔な麻(大麻草)に、
藍染を重ねたものを愛用。

ひもは編んでいたが、厚みの出る三つ編みは、
上からのズボンなどに圧されつづけると腰に食い込むため、
たく編んで(織って)あるヒモがふさわしい。

こういう改変が、たまあに訪れるから、何事も続けていくと
思い入れの強さにかかわらず、自然と洗練されるものだ。

さて 明日はできるだけ早めに出かけて
用事を満たした後、多摩川の観察。
たま川と会話する。

何してほしい?

自分自身が、川に何をしたいかも問う。
川原の石ころ、ヨシ、水、川端の町とも会話をする。

ひとりで川をうろついてしまうのも
よい因縁と思う。
全心を癒してくれる、山から下ってきた川の水がだい好きだ。

川のある日常に向けて、
現実的、具体的、物理的な改善を導くための
ひとさじの祈りを捧げる。

そういえば 初めて多摩川っ原を訪れたのは
中学生のときだったか。飼っていたニワトリの巣材のワラが、
浅草では手に入らないので
多摩川まで電車にのって、河川敷の枯れを摘んで帰った。

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タマ川が、地元衆やお出かけ客の、
文字通り たまリバーになったらよい。

もちろん、放射能の計測を行なった上で。

川は海とならんで 生活のメインストリートのはずが、
今や接点が無さすぎる。

まず 意識を向ける人が増えていくことで
よりよき一歩が奏でられていく。

ちなみに、多摩川は 羽村より先は
ほとんどが下水の処理水のようだ。
垂れ流しに比べるとずっときれいだが、
問題を3つあげるなら、やはり奥多摩方面からの源流がつながってほしい。
(元々の水は、羽村からダムへ運ばれる)

また、下水処理場でも分解し切れない
中華屋から流される油、美容院からの毛染めとパーマ液、
家庭からの界面活性剤(歯磨き、シャンプー、入浴剤、洗剤)の成分は
再び川に戻ること、
そして、処理水は大量の塩素で消毒されるから
命の抵抗となる塩素化合物を作り出す。

一時(昭和40年代)よりはだいぶきれいになっているが、
それにも氣付かないように、人心が川に向いていない。

タマ川が生き生きとなれば、江戸前ののきらめきに直結する。

明日か明後日、多摩市の聖蹟桜ヶ丘で用事があるから、
近くを流れる多摩川にも寄って、いろんな薫りを感じてみたい。

川で泳ぎたい。危険を知り対応を身に付け、
安全に楽しく川遊び。
石を拾って眺めたい。

奥多摩湖は発電用だが、より効率よい電力にシフトした折には、
ダムを解体し、川の水量を増やしつつも
山の保全により水量を安定させ、
見事な清流へ還っていくに違いない。
それが、未来だ。

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