今日は夜から北千住で風呂敷講座のため
今向かっています。
歴史のある宿場町通りを進み、手描き看板が味のある
槍かけ団子 の先を左に曲がると、会場の生涯学習センター。
北千住は、特につくばエクスプレスができてから
浅草の実家からも行きやすくなりましたが、
初めに訪れたのは意外と新しく、学生時代に映画の撮影に来ました。
たしか うらなり少女というタイトルで、
冴えない娘が自分の思いのままの放課後を過ごす話。
一人、目隠ししてふかしたかぼちゃを公園でスイカのごとく割り、
ベンチでほくほく食べてる絵が思い出される。
北千住はまるで島のように、2本の川で挟まれてる低地ゆえか
昔から物資が、そして人々が集まり飲み屋なんかも多い。
水商売は、文字通り水辺が適しているのかな。
川面にせり出して たわたわと実る夏みかん、
これも好きな水風景だ。
その川にはたまにボラの大群がやってきたりと。
ボラは高級魚だが、水が汚れると臭いがついて敬遠されるようになった。
川の上流は一見きれいだけど、本来は下るほどに
倖(サチ)は増える。
日本文化が、剥き出しをよしとせず
物もこころも表現にしても、くるみにくるんでしまうのは
もしかして、くるまれている物を食べてきたからか。
云わく、くるみや貝。
それは半分しゃれみたいなものだが、
手間をかけるほどエネルギーが高まるという感覚がつよいのかもしれない。
機能を高めるための段取りだった手間が、
いつしか、手間がかかっていること自体価値があるとされているような。
実質はチャチでも、余分な手間を何層も塗り重ねて、
いかにもよきに見せて高く売り逃げる、という手法が、
あらゆる製品やサービスや肩書きに浸透していよう。
腐ったおうちに キュートな壁紙、それが忌まるる現代だ。
クルミもはまぐりも趣のある殻にくるまれているけれど、
食べて美味しいのは中身だ。
いざ、裸んぼうではばたきたい。
もしも日々、自らの裸身を鏡に映して讃えたならば、
細胞はぴちぴちとはねて 本来のキレ♪が甦ってくるだろう。
| Trackback ( 0 )
|