ふろしき王子のブログ◎
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帰り途。

北千住の宿場通りの槍かけ団子は
建て替えたようで、手描き看板は無くなっていた。

また、最近近くに大学ができたようで、
街はことのほか若者で賑わいたり。

それはよいこととして、
荒川放水路がさみしかった。

だけど、そもそも自然界は 畏(かし)こき世界にて
ちょっと怖いくらいで普通なんだけど、
それを克服すべく開発するのではなく
こわさに寄り添いながら、慎ましくも健やかに暮らしていれば
自然が妖怪の(かたち)となって、かえってサポートしてもらえる。

無関心が最も危険で、
川はこわい処、海はこわい処、山はこわい処
・・・だけど私たちを育んでいる、かけがえなき環境ゆえに
もっとよく知らねばと。

それと比べて、うちのちっちゃな庭の愛(かな)しさときたら。
とはいえ、小さいながらの妙(たえ)なる生態系は不思議に満ち、
僕自身の挙動、季節、コトリなどの訪問者、庭の意志()とで
映りゆく氣配の愛(いとお)しさはたまらなく深い。

いっぽん(数輌)の鉄道で遇えるか分からないほどの美女であっても、
我が家のこむぎ畑で遊ぶ、つぶらな瞳のカナヘビにはたして叶うだろうか。

今年は出逢えるか分からない、
氣まぐれのワープで来るカナヘビは、
むしろ小麦畑の精霊かも。
手足がありトカゲの仲間ですが、
漢字で愛蛇(かわいいヘビの意)と書きます。

うちは、野菜くずを庭に置いてから
ヨシズを立て掛けて目隠ししているが、
それを食べるナメクジや団子虫が増えると
小鳥やカナヘビが食べにくるのだ。

まだ寒くて虫は少ないが、毎日スズメ、きじばと、目白が来る。
麦のおかげで、寒い庭も青々している。
これからの移ろいも楽しみです。


(2011年)

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今日は夜から北千住で風呂敷講座のため
今向かっています。

歴史のある宿場町通りを進み、手描き看板が味のある
槍かけ団子 の先を左に曲がると、会場の生涯学習センター。

北千住は、特につくばエクスプレスができてから
浅草の実家からも行きやすくなりましたが、
初めに訪れたのは意外と新しく、学生時代に映画の撮影に来ました。

たしか うらなり少女というタイトルで、
冴えない娘が自分の思いのままの放課後を過ごす話。

一人、目隠ししてふかしたかぼちゃを公園でスイカのごとく割り、
ベンチでほくほく食べてる絵が思い出される。

北千住はまるで島のように、2本の川で挟まれてる低地ゆえか
昔から物資が、そして人々が集まり飲み屋なんかも多い。
水商売は、文字通り水辺が適しているのかな。

川面にせり出して たわたわと実る夏みかん、
これも好きな水風景だ。
その川にはたまにボラの大群がやってきたりと。

ボラは高級魚だが、水が汚れると臭いがついて敬遠されるようになった。

川の上流は一見きれいだけど、本来は下るほどに
倖(サチ)は増える。

日本文化が、剥き出しをよしとせず
物もこころも表現にしても、くるみにくるんでしまうのは
もしかして、くるまれている物を食べてきたからか。
云わく、くるみや貝。

それは半分しゃれみたいなものだが、
手間をかけるほどエネルギーが高まるという感覚がつよいのかもしれない。

機能を高めるための段取りだった手間が、
いつしか、手間がかかっていること自体価値があるとされているような。

実質はチャチでも、余分な手間を何層も塗り重ねて、
いかにもよきに見せて高く売り逃げる、という手法が、
あらゆる製品やサービスや肩書きに浸透していよう。

腐ったおうちに キュートな壁紙、それが忌まるる現代だ。

クルミもはまぐりも趣のある殻にくるまれているけれど、
食べて美味しいのは中身だ。
いざ、裸んぼうではばたきたい。

もしも日々、自らの裸身を鏡に映して讃えたならば、
細胞はぴちぴちとはねて 本来のキレ♪が甦ってくるだろう。

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