ふろしき王子のブログ☆
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つくづく、三ノ輪はたのしき町なり。
あんまし詳しかないが、
幼稚園のころから35年間、なんだかんだと通っている。

新開地こと「ジョイフル三ノ輪」たるアーケード商店街の
中ほどにあったNASスイミングスクールに通っていた。

火事で閉店した鯛焼きがすきだった。

今も美味しい、パンの「オオムラ」で普通に買っていたのも
しあわせなことだ。

魚屋で生きたどぢやう(ドジョウ)を買って、母が唐揚げにしていたが、
僕は数ひきもらって、金魚とともに飼った。

あの八百屋の糠漬けは、既にもちろんいまと変わらずにあった。
あの乳酸菌のにおいでは、きっとインフルエンザウィルスも
近寄れないだらう。

そのうち、
天然酵母ぱんの「むぎわらい」や
手撞きのお餅「月光」が現れて、
大人になってからも足繁く通うようになった。
(月光さんは鶯谷へ移店しました)

元々、浅草の実家からは都営バスがあるが
自転車や徒歩でも難なく行かれる。

そんなこんな三ノ輪ですが、一昨日のにちようびに、
アイドルである友達と男友達と三人で入ったのは、
沖縄料理の「てぃだ食堂」。店主夫婦氣さくで
あたたかな店。不定休なのと、惜しくも今年5月で閉めるそうです。

なぜだか急に、アイドルの子を入れた今回の3人で
「東京Fumitz'」というグループを結成し、
あらかじめ買っておいた色紙にサインを書き、お店に置いてった。


(イラストは、みほな店長)

まだ変更前のスペルなので、レアな(?)色紙です。

僕はそこでも「ふろしき王子」の芸名でした。
躍りがすきなので、バックダンサーとして盛り上げたく存じます。

たたむ前に、中間報告としてふたたびこのお店に
来たいと考えています。

いつもスタート!
いつもゴール◎
毎回、ちょっとしたことでも
形にのこすことが大切です☆☆

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仲よきだけが友達ではない。
ちゃんと大切なことを言ってくれるのが
かけがえのない本当のともだちで、
懇ろだけでなく適度な緊張感さえあり、
相まって敬愛を生みだす。
いつもありがとう!!!!!

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駅の駐輪場で、どんぐり拾っててん、
電車に乗り遅れてんねん。

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この焼きチーズケーキの上に…


昨日、8/9は長女の誕生日だった。
8/9は、長崎にプルトニウムの原爆が落とされた、悲しい日である。

僕の実家のお店には、長崎出身の従業員さんが長年はたらいていたが、
少年のときに原爆を体験し、その火傷をアロエで治したそうだ。
原爆症を心配し、生涯独り身だった。
アロエには有機塩素が含まれているから、殺菌効果があり、化膿を防げたのだろう。
そのためか、彼の作業場のそばにはいつも、アロエの鉢植えが置かれていた。

ただ、アロエはそのように強い殺菌力があるため、常用するものではない。
皮膚を守っている常在菌のバランスを崩すおそれがあるからだ。

長崎というと、僕は長崎の血もちょっと入っているらしい。母方の血縁で、長崎や福岡があるとか。
それでなのか、母はあまり出しゃばらない雰囲氣があり、目の彫りがすこし深い。
これは、先ほど書いた長崎出身の男性にも共通する風貌であり、
ほんとうか知らないが、隠れキリシタンの長年の生き方が、そのようなまなざしを形成していったという
表現を、たしか遠藤周作さんの本で読んだことがある。

子どもたちが、隠れずに堂々と生きられる世の中であるように、
見本となる生き方をし、社会と環境の基盤を築いていかなきゃならない。



生のサワークリームをのせて、
土台のクッキー、焼きクリームチーズ、生サワークリームの
三段構えのチーズケーキが完成。

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実家の片づけによる掘り出しもの。

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長女作◎

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・昨日、自宅のある日野にも、雪はよく降りました。
 娘っちの幼稚園の迎えは徒歩往復1時間。彼女は泣き言ひとつなく
 黙々と歩きつづけ、帰宅するとお風呂で温まっていました。

・今日は晴れて、小平市での風呂敷講座へ向かっています。
 今朝はまず家の前の雪かきをしましたが、大きいスコップが無いため
 ちりとりですくっては放り投げるやり方。
 これが腕は疲れず足腰のバネではかが行き、もぐらのように
 あっという間に道が開通。
 スコップはそれ自体が意外に重いので、コツが要ります。
 トレーニングでやる訳でなければ、如何に疲れにくい身体使いをするかが大切。

・雪の下で、小麦やのらぼう菜、いちご、鮒など
 健やかに居らるることでしょう。

・本日の講座後、帰り道は昨夜あれほど降雪したと
 思われないほどに、融解と雪かきにより、黒く輝く
 道がひらけていました。自分の使う道だけでなく
 みんなが歩きやすいように、すすんでみちを整えようとする
 感覚は、日本人の得意とする所ではないかと思います。
 国によっては、自他のプライベートを尊重する余りに
 逆に公共の領域に踏み出せないのではと考えたりもしますが、
 地域や個人によっても異なるはずで、大まかにくくって
 レッテルを貼るのは氣をつけないと。

・昨日は縦横無尽に吹雪けりし道を出歩くにあたって、
 水につよい素材の風呂敷をマントや裾よけにし、
 長靴を履いて臨みました。風呂敷のよいところは、大げさで
 大がかりで、かえって機動性を損なう重装備と違い、
 身軽でしなやかながら、その場の問題を涼やかに解決して
 くれることです。

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ハロインが流行っているが、魔物系の姿ではなく、ただ好きな
仮装をするだけの人がふえているのは悪くないと思う。もう
「金木犀のお花見の日」でよい。もしも悪魔に準ずるなら、
パーティーの持ち寄りは可愛いケーキでなく、
「魚の目玉だけの煮込み」などにするべき。
個人的に、こわい変装で町や電車に乗り込まれるのは抵抗がある。

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「天の川」

(長文注意)

 様々な絵画や写真の構図が自分の感覚と合わないことがほとんどだが、
それは、構図は、制作者と対象物とのこころの距離感・関心の度合いを
(意識の有無に関わらず)反映してしまうものだから、一致しないのが普通。
という前提で見れば、構図から、テーマやコンセプトとは別次元の、制作者の
まなざしや本音や人となりが見えてくる。もちろんそれも、鑑賞者のものさし
による解釈となるので、結局は何を見ても、他人の物の見方あるいは異物・
異世界をそのように感じることによって、自分を知ることへつながってくる。
「それがそうなのではなく、そう感じる自分がここにいる」

 また、同じ構図でも、濃淡や色、キャンバスの大きさ、ひいては置かれる
環境によっても見え方が変わってくるから、位置とかたちとしての構図だけでは
語り尽くし得ない。A4に描いた設計図やデザインがパーフェクトに見えても、
実際の現場にただ拡大して写し付けたものがイメージ通りにものされる可能性の方が低い。
「どんなに妄想たくましかろうが、現場に立たなければ注入されない」

 ともあれ、何を考えても考えなくても、人を通して生まれたものには、
そのときのかけがえのないリアルが吹き込められている。その味わい方は無限であり、
ちらっと第一印象だけで素通りするにはもったいない。まるまったティッシュの
しわの出来かたを眺めるだけでも、その各部分への共感や違和感によって、自分の傾向を知ることができる。
「目の前のものをゆっくりと眺める呼吸の足りない人は、食べ過ぎである(酸素を消化で消費しちゃっている)」

 そして、記号の詰め合わせによって如何にテーマやコンセプトになぞったところで、
違和感や共感は、位置や大きさや環境などのちょっとしたさじ加減によっても180度
変わってしまうものだから、言葉の設計図だけを頼りに物をつくると、残念な結果に
終始する。ある‟ゆるキャラ”が成功するか否かは、たとえ設定が揺るぎなくても、
目の位置の5ミリメートルの高低次第で印象に天地の差が出ることもある。
「むしろ設定やコンセプトは、自由になるための制約にすぎないから、
 あんまり重要ではない(クライアントやスポンサーにはそう言ってはならない)」

 だから、コンセプトやテーマというのは、頭でっかちの人間に表面的な同意を得るために、
後づけでもそれらしく取ってつけて合わせておけばよく、中身は、自分でもよく分からないけど、
やってたら現れてきた愛すべき存在であることの方がずっと大事だ、というのが卒業制作だった。
具体的には、卒業制作から現実逃避して、毎日上野で絵を描いていたが、それだけを提出しても、
前提となる理屈、なぜその作品がそうなるかというさるべき理由無しには落とされる学科であったので、
後から屁理屈を付けた。
「その屁理屈を押し通す力が、世の荒波??を超えるのに必要、という意味では、愛情たっぷりの学科だった」

 最終的に、数枚の絵を飾り並べて、そのタイトルを、マジックテープで付け替えられるようにしました。
犬の絵に『女性』とあれば雌に見えるし『天草四郎時貞』と付ければ、犬に生まれ変わったのか、
と想像してしまう。好きな意味は後からどうにでも与えられるから、はなからコンセプトの牢屋に
こころを閉じ込めずに、根っからの内面性やそれとは逆方向の外部から干渉してきた何かを素直に表現して、
商業的にはしかるべきキャッチコピーでもあてがっておきませう、というメッセージを後づけした展示でした。
「制作者の細胞が可愛ければ、何をつくってもかわいくなり得る」◎


『愛新覚羅亜依ぼん』

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本日のふろしき教室は、お蔭さまで総勢8名の参加がありました。
青空の下できもちよかったです。
家族も同行し、帰りは久しぶりに地元の韓国料理屋で夕飯しました。






末娘


末娘の撮影






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先日、サッカーのイラストを描いて差し上げた近所の方の
妹さんより紙と鉛筆を給わりまして、2枚目を描きました。
そのまた妹さんも、待っているようです。
日野市に越してはや6年目になろうとしていますが、
ようやく、地元キャラになってきたか。
いや、はじめから妖しい人物として囁かれていたかも。



玄関の床にて、コピー用紙に鉛筆。

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昨日、長男の髪を僕が切っていたのを見てて、真似したくなったのでしょう。
長女(3)が髪の毛をセルフカットしたとの連絡を帰宅前に受け、
どんなヘアアレンジかとどきどきしたものの、
無茶はしてなかった。






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車を使わず、バスや電車や徒歩により幼な児たちと旅する。
肉体・精神双方、これほどの修業のあるものかと。

苦楽をともにすれば、あえて一方向のしつけは必要なくなる。

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家に家族がいるのに、近所でひとり外食なぞしいひん、と
述べたばかりですが、今日は遅いお昼を1人、エキ近の
インドカリー屋で持ちました。

I had a later lunch at an Indian retaurant by the station near my house.

色々間違ってそうな英語で、押し通してみる。
何だかこの頃、英語学びたくなった。
言葉そのものが好きだから。外国語を知ることは、きっと
日本語の表現にも影響を受けそうで面白そうって。

I want to study English nowdays.
And,I'd like to explain Furoshiki and how to tie it.

同時に北京語も学べば、熟語の幅がふえそうだ。
漢文や漢詩でもよいかもしれない。
簡体字はすきじゃない。台湾で使っている繁体字(=旧字=正字)
がすきだ。味があって、イマジネーションも広がる。

結局は、血である日本語を愛してるから、違う角度から見つめるための
外国語、という入り口なんだなたぶん。
そればかりじゃなくて、人が好きだから、つながる窓口が
ふえたらよいというのもある。

わあわあいっても、B型のマイブームに過ぎないことは承知
だけど、そんなマイブームの蓄積が、自分の引き出しになるのだね。



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